7月21日、金曜ロードショーでもののけ姫がノーカットで公開されたようだ。
今回は、宮崎駿監督最新作「君たちはどう生きるか」の完全ネタバレ考察記事を書きたいと思う。
完全ネタバレなので、いきなり、物語の核心のことを話したり、展開はすべて話してしまう。
物語の面白さはもののけ姫やラピュタのほうが面白いと僕は思う。整合性や時代考証も君たちはどう生きるかは素晴らしいが、もののけ姫はひとつ抜けている。
でも、僕は君たちはどう生きるかを考察したうえで、鑑賞する価値のある作品だと思っている。
ただし、この考察は完成したものではないので、かなり読みにくいと思う。僕の恣意的な解釈もかなり多すぎるので、きになる点だけをもくじから読んでもらえると嬉しい。
過去の君たちはどう生きるかのレビュー、さらにほかのアニメのレビューもやっています。
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結論 君たちはどう生きるかはファンタジーの限界を描きながらもファンタジーを思い出として現実生きる人間を肯定する映画
ものすごく、つまらなく聞こえるかもしれないけど、君たちはどう生きるかは、いままで最も魅力的なフィクション、ファンタジーを描いてきた宮崎駿が、ファンタジーや空想ではなく、今や現実を生きるというエールの作品だととらえている。
なぜそう思ったかというと理由は2つある
- ファンタジーの創造主にならないか?平和なファンタジーに閉じ込めようとする大叔父に対して、眞人は明確にNOとつげ、戦争後焼け野原になる日本に戻ることを決意する
- 大叔父の作っている異世界は、決して魅力的なものではなくところどころで大きく破綻してしまっている
もちろん大叔父の作った異世界は、圧倒的な自然美だったり、ナツコのように現実社会で苦しい逃げたいというものの避難所になっている側面はある。
しかし、破綻している。一方で、全く魅力のない要素も備えている。それはこれから後述していきたいと思う。
あらゆる考察がされている大叔父の作った異世界と宮崎駿、スタジオジブリの比喩について
他の考察でもいわれているように、物語後半から、眞人が迷い込む塔の世界、眞人の祖先にあたる大叔父が作った異世界は、宮崎駿の人生、スタジオジブリを取り巻く環境や人々を比喩していると考えていいだろう。
他サイトや動画での考察、あと私の主観も少し取り入れると
眞人→過去いろんな傷を現実で受けて、異世界(アニメ)に来訪してきた私たちの代表
大叔父→宮崎駿、高畑勲(物語の創造主)
13の石→宮崎駿が手掛けてきた作品たち
青鷺(あおさぎ)→鈴木敏夫(あることないことを大きくいいながら、結果的に正しい方向に導く)
わらわら→ジブリに影響された一般アニメーター、またはアニメに触れてきた一般人
ペリカン→ジブリアニメーター、後継者と目された人々、アニメファン
インコ兵→スポンサー、ジブリのあまりにも熱狂的過ぎるファン
私が個人的に気になったのはインコ兵とペリカンの立ち位置だ。
君たちはどう生きるかに登場する異世界は大叔父が長年かけて作ったものになる。
もしあなたが、異世界をつくる才能があり、自分勝手につくれるとしたらどうするだろうか
大叔父のように自分の子孫が守られる世界を作る人もいるだろう
でも基本的には、自分を全部肯定してくれて、自分に都合の良い世界を作ると思う。
食にもこまらない、自分が一番金持ちで、権力があって、しかももてる。そんな世界を作ると思う。つまらないかもしれないけど。
大叔父の世界にいるペリカンやインコ兵は、大叔父に対して反感的だ。
次はペリカンとインコ兵、それぞれの役割について考察していこう
大叔父に冷遇されているペリカン 与えられた餌を奪われ、なおもこの世界にこだわってしまう存在
ペリカンは大叔父が気ままにつくった世界のせいで、食糧や飛ぶ力をひたすら奪われており、無気力なわらわらを食べることで生をつないでいる。
ペリカンは、ジブリにあこがれるが、結局後継者になれなかったアニメーター(でも他の会社で活躍していると思われる)や、ジブリだけでなく、アニメによっていかされ、アニメのみの知識だけで生きようとするが、生きられない人々をさしていると思われる。
ペリカンは大叔父に餌を与えられるだけの存在だからだ。
実際に、私のようなオタクは学生時代、いや社会人になっても映画、アニメなどをみて、生きるヒントはここにあると思ってがんばってみようとしていた。
友達も全然できなかったので、映画をみて監督は何を描こうとしたのか、間接的なコミュニケーションを試みていた。
でも、そこに明確な答えはなく、得られたものは、「俺はこんな考察ができたんだぞ」というちっぽけな自尊心だった。
有名なエピソードとして、宮崎駿は代表作の「となりのトトロ」を通して、子供たちに自然に触れてほしいと思っていたが、実際はトトロやそのほかの作品のDVDを家に閉じこもってみるという逆転現象が起きた。
任天堂を代表する宮本茂氏は、幼少期の野山で遊んだ体験などがマリオやゼルダにいかされているが、おそらく子供たちは、野山で宝探しして人生の知見を得るのではなく、マリオやゼルダに釘付けになっている。
考察が好きな人や、二次創作を通して、製作者に近づきたいという人は、作品をみて近づこうと試みるが、本当はその人が人生に何を体験したか、それと類似したものを体験しないと永遠に近づけない。
つまり、二次創作でどう思ったということも大切だが、現実世界でどのような経験を踏んできたが、人生を本質的に豊かにするのでは?と感じてならない。
大叔父の異界背で登場するインコ兵 最も優遇されながらも怠惰の象徴になっている
次に登場するインコ兵は、眞人の世界脱出を阻む存在として描かれている
同時に、大叔父と直接会話できる存在であり、異世界の中では最も数が多く、地下では宴会が行われ、贅沢な果物と肉を食べている。
他に面白い設定として、ペリカンやアオサギはほぼ元の鳥に近い見た目だが、インコ兵は二足歩行になっており、かなりデフォルメされている。
インコ兵は明らかに大叔父に優遇されている存在だ。
優遇されきってしまい、インコ兵の中にはそれをしきる王もいて、「我々の帝国」といってしまっている始末
最終的に、大叔父の世界を早く崩壊されたのは、インコ王の暴走によるものだ。
しかし一方で、インコ本来の飛ぶ力を奪われ、この映画の自由の象徴といえる糞をする(排泄する)権利も奪われているような存在だ。
このように優遇されているようにみえて、異世界に対して懐疑心もなく、この異世界だけで生きていこうとするインコ兵というのは、最も人間的であるが、最も未来のない存在としても描かれている。
大叔父とはどのような人物なのか?
大叔父に対して、失踪する前は読書にふけて、周りからは変人扱いされていたというエピソードがある。
様々な創作物に影響されて、インテリの頂点になって世界を創造しているのは、まさに宮崎駿や高畑勲だなと思うところもある。
もう1つ象徴的なエピソードとして
塔が突然隕石のようにふってきてやってきて、塔を保護するために資産と人脈をつかって、多くの人々をつかって保護しようとしたが、塔の拒否反応?事故で大勢の命が奪われる
この自分の目的のために、他人の意志や命をある意味かえりみない考えは、風立ちぬの二郎に見えた。
おそらく、宮崎駿や高畑勲はアニメーションの監督をつとめ、人当たりも対外的には悪くないため、つとまったとおもうが
大叔父は、人とのコミュニケーションや人生経験は圧倒的に足りず、その足りなさが、異世界での混乱や、思慮のなさ、ペリカンやインコ兵が生まれる要因になっている。
眞人が現実に立ち向かうことを選んだ理由について ナツコお母さん連呼の理由
眞人はジブリ作品、宮崎作品の中で最も我々に近い、金持ちであるが、特別な能力をもっているわけでもない、一般人として描かれている。
大叔父の跡をつげるだけの能力はあるかもしれないが、ここで重要なのは、戦闘能力があるわけでもなく、天才的な頭脳が突出しているわけでもない眞人が、もっともキャラクターとして魅力的な瞬間
それが、クライマックス、崩壊する異世界の中で大叔父の提案を断り、辛い現実を生きることを選択したということだ。
眞人は母のかわりに父と結婚した母の妹のナツコのことを嫌悪していた。
その眞人の嫌悪によって、ナツコは現世を忌み嫌い、大叔父の世界に逃げ込むことになった。
逆に眞人は、母が残した「君たちはどう生きるか」を読むことによって、涙を流し、自分でナツコを連れ戻すという選択をとった。
一見すると、眞人はナツコを母として認め、ナツコも眞人を受けれたようなハッピーエンドに見える。
おそらく、ナツコは激情気質で、現代で言うメンヘラっぽさがあるため、感情の起伏が激しい。
一方で眞人はぐれだしたら、ずっとそのキャラを貫く意志力がある。
ここでポイントなのは、眞人が執拗に「ナツコお母さん」と連呼している点だ。
ナツコに大嫌いと宣言された後に、「ナツコお母さん」と1度行って、それからお母さんといえばとても自然だ。
しかし、ナツコと再会してから、何回も「ナツコお母さん」とわざわざナツコとお母さんをつなげて言い続けているのは、どこか不自然だ。
これは、眞人にとって、ナツコは現実を生きる上での不快な存在であることの証拠だと思う。
ヒミが「あなただけでも戻って」といったが、眞人はかたくなに拒否して、ナツコを探し続けた。あれだけ嫌っていたのにちょっと不自然だ。
もし、眞人があのまま帰って、父親と二人きりで、父親に愛情を注がれることを選んでしまえば、眞人は大叔父と同じように「自分の都合の良い世界だけをつくろうとする」存在になってしまう。
例えば、社会人になって、会社の上司が人間的に問題があったとしても、私たちは我慢して、「○○課長」と言い続ける、社交辞令で接することがあるだろう。でも裏では忌み嫌っている。
忌み嫌っているは言い過ぎだが、眞人にとってナツコは、まだ母として受け入れられる段階にない。
これは、死んだ母が想いとして残り続けている眞人にとって、母の残した「君たちはどう生きるか」の生き方に即して、自分で決断した生き方なのだ。
実はまだ、眞人にとって母の死は大きく払拭できているわけではない。ヒミとの出会いでより母が尊い存在になったのかもしれない。
でも、現実の嫌な存在、避けたい存在をあえて受け入れて生きていくという点は、社会というこの上なく不愉快な環境を生きる私たちの胸を打つ。
ラストシーン 眞人が石を持ち帰った理由 その石はなにをしめす?
ジブリの作品はもののけ姫の生きろとか、風立ちぬの生きねばのように生にまつわるキャッチコピーが多くみられる
そしてなんと今回の映画は、タイトルが「君たちはどう生きるか」だ
最後にちゃぶ台返しのようだが、私は結構日ごろから人生終わってもいいと思っている人間だ。
別に新しい家族をつくる気力もないし、些細なことが気になって、びびって、生きることが正直怖いし、理不尽な世界だなと思う。ここに80年以上いきるってなかなかぶっ飛んでいるなを思う。
明日命がなくなったとして、とっても幸せな人生だったなと思うし、かかわったすべての人に感謝している。もちろんこんな自分を大切に育ててくれた親には言葉では言い表せない感謝しかないし、兄としたってくれた弟にも感謝している
宮崎駿はこの世界は生きるに値することを伝えたいという力強いメッセージを過去に発信している。
でも、それはいずれいいことがある、辛く理不尽な世界をいきる楽しさ、醍醐味があるんだぞという説教ではない。
言えることは、生きることに対して定義を考えたり、意味を見出してしまった時点で、その呪縛からは逃げられない
「生きることに意味とか資格なんてないよ」って励まされることもあるけど、そういうことはわかっている。わかっているけどこのあまりにも長い生について考えるしかないんだ。
眞人が本に影響されて、行動して「俺は理不尽で現実を生きるんだ」といういわば、酩酊した状態にならないと生き続けることは難しい
その酩酊する装置が、アニメだったり、二次元だったりするわけだ。
少なくとも、僕は人生の節目で、重要なアニメや映画や、ドラマにであって生をつないでいた。
(10年以上前の作品だが、ピングドラムは僕を大いに泣かせてくれた)
それはアニメに依存するのではなく、アニメに生きる理由や支えをヒントとして提供してもらって、生きてきた。
生きることを感情ではなく、理屈で考えてしまう僕たちにとって、幻想ではなく現実を生きろというメッセージは、幻想を捨てろという意味ではない
その証拠として、最後のシーンで眞人は大叔父の異世界から石を持ち帰っている。
この石はいわば「君たちはどういきるか」そのものだと思う。
作品そのものに飲み込まれるのではなく、作品の断片、メッセージから生を紡ぎだす
たぶん、いままでもこれからもそれは変わらないと思うし、僕のなかでアニメなどの二次元の存在は没頭するのものではなく、パートナーとして寄り添ってくれる存在ではないだろうか。
君たちはどう生きるか 微ネタバレ 声優・木村拓哉の演技はなぜ絶賛されたのか? キャラは誰?
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