魔法少女まどかマギカ10周年ということで、新しい劇場版「ワルプルギスの廻天」がアナウンスされました。そのため、復習と新劇場版の叛逆の物語を見ていなかったので、10周年記念DVDを購入して鑑賞しました。
軽い、考察とネタバレになります。よろしければお付き合いください。
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魔法少女まどかマギカ 不可逆な存在に抗う未熟な少女に自分を重ね合わせ号泣する
魔法少女まどかマギカが、多くの人々に愛される要因として、スロット、パチンコ、スマホゲーといった他メディアの大成功があげられますが、物語の普遍性や、何度でも繰り返し見ることで味わいが異なる懐の深さも魅力の1つです。
魔法少女まどかマギカは、登場人物の1人であるほむらの時間遡行(タイムリープ)によって、何度同じ1か月が繰り返される特殊な時間軸で描かれています。
まどかたち5人が、願い事と引き換えに、魔女と戦い続かなければならないこと、戦いを否定したり、生きる気力がなくなってしまえば、その存在が消えてしまうということ
この前提条件は、まどかが円環の理になっても、ほむらが、どれだけ時間を戻しても書き換えができない事実になっています。
この不可逆性(決して変えることのできないもの、戻れないこと)に対して、劇中の魔法少女たちに同情したり、自分の変えられない過去や、失ったものと比較して、寂しい、悲しい気持ちが沸き起こってしまう。
その抗えない現実に、少女たちは自分たちの生の感情を吐き出したり、キュウベエから見たら未熟な知能であっても、何としてでも立ち向かっていくその姿に応援せざるを得なくなる。
まどかマギカは、ルールがしっかりしていたり、リスクとリターンが作中でしっかり解説されていて、それに見合った事象が起こるというゲーム的な、ロジック固めの作品に見えるのですが
未熟な少女や、決して変えることのできない現実を変えようとするという彼女たちの行動やその歪さに、至らない私のような人間は胸を打ちます。
魔法少女まどかマギカ 人間はみんな魔法少女なんだよ
まどかマギカの脚本家、虚淵玄氏が大いに参考にしたであろう「仮面ライダー龍騎」のとあるキャラが放ったセリフ「人間はみんなライダーなんだよ」
これはそのまま、まどかマギカにおける魔法少女、「人間はみんな魔法少女なんだよ」に転用できそうな気がします。
そもそも人間である私たちだって、知らぬうちに学校の勉強、受験というルールや強制を受けたり、社会に出たら、仕事と金の呪縛の中で生き続けることを強制されています。
「誰にも束縛されずに生きたい」「結婚して子供が欲しい」そんな淡い希望を叶えるために、日常という戦争や地獄の中に身を投じることを余儀なくされています。
ワルプルギスの廻天で魔法少女まどかマギカの物語は終わりを迎えるのか?
新劇場版では登場しなかった、作中最強の魔女といわれている「ワルプルギスの夜」がタイトルに書かれているので、ほぼ間違いなくワルプルギスの夜の再登場が予測される劇場最新作。
まどかマギカは、ほむらのタイムリープによって、パラレルワールドを作ることが容易なのですが、今回は新劇場版の正統な続編とのことです。
タイトルに使われている「廻天」はネットで検索できる辞書で調べると、「回転」と意味の相違はなく
- 世の情勢をすっかりと変えること
- 勢いがなくなったものが勢いを取り戻すこと
いろいろと妄想がはかどります。
さらに、今回のワルプルギスの廻天はまどかマギカのラストになるのか?というのも気になります。
結論を言えば、パチンコ、パチスロを代表する看板機種になっているまどかなので、派生作品も含め、今回のワルプルギスの廻天ですべてが終わる可能性は低いのではないでしょうか。
魔法少女まどかマギカの着地点について
まどかマギカも一応、物語であり寓話であるため、「この先も○○になりました」「めでたしめでたし」「DEADEND」のように、区切りとなる終わりを作るときがくるでしょう。
まどかマギカのエンディングやエンディングになり得る話はいくつかあります
ほむらが望むエンディング
まどかが魔法少女になることを回避し、自分が魔法少女として、魔女と永遠に戦い続け、まどかの命を守り続ける
まどかが望むエンディング
円環の理となって、すべての魔法少女を魔女にならないように救済する。魔法少女が魔女、災厄や化け物になることは回避できたが、魔獣という人の影や、闇を体現する存在が登場し、バランスが釣り合っている
まどかのエンディングを受けてのほむらのエンディング
悪魔ほむらとなって、円環の理の一部を奪い、自分が円環の理の対となる悪魔になることで、バランスを保とうとする。良い言い方をすれば、ほむらはまどかの役割を一部肩代わりすることで、まどかの負担を減らし、共存していく関係ともいえる
いずれも、まどかとほむらの希望のエンディングが体現された形となっています。さやかや杏子は、円環の理の一部を引き継いでおり、今回の新作は巴マミが活躍するという伏線がはられているようですが、順当に考えれば、ほむらの解決策を受けて、まどかがアンサーする内容になりそうですね。
個人的に、最近の龍騎の新しいDVDを見たことを踏まえると、魔法少女だったころのまどかとほむらが、互いを認知して、また再会するのが、ベタだけと感動する幕切れかな~と思ったりします。
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