KingGnu 「三文小説」 歌詞の勝手な考察と解説 なぜメロディと歌詞が頭からこびりついて離れないのか?老夫婦の話なのか?

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12月2日、KingGnuのニューシングル「三文小説」が発売されます。すでにYOUTUBEでMVが公開され、11月22日時点で再生回数が約900万再生。昨年の紅白から、「白日」をヘビーローテーションしていましたが、この三文小説は、白日を超える衝撃と、クオリティであると感じました。
今回は、勝手ながら、私が感じた三文小説の素晴らしさと、この曲の歌詞の解説と世界観についての考察を行っていこうと考えています。

 

 

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三文小説 曲について 世界観の中であらゆる矛盾が頭から離れなくなる

King Gnu – 三文小説

三文小説とは、安価で低俗な小説という意味です。そして、この三文小説はあらゆる矛盾が多く散りばめられています。

 

  • タイトルは三文小説で、自分の人生は三文小説だけどと自虐気味な主人公ながら、KingGnuの圧倒的な世界観、個々の演奏力、井口氏のボーカルが、あまりにもウェルメイド(よくできた作品)すぎる
  • 歌詞の冒頭、老夫婦を想起させる内容になっているが、井口氏のボーカルは、非常に艶やかな女性のハイトーン&ウィスパーボイスになっている
  • ピアノを基調とした正統派バラードと思わせながら、サビから2番へ非常に力強いドラミングが、胸を打つ

 

これらの矛盾は、矛盾しているから悪いというわけではなく、矛盾していることによって、「三文小説」の世界観や、音楽が私たちの頭から強烈にこびりついてしまうことを意味しています。

特にこの曲はバラードでありながら、ドラムが強烈なフックになっています。2番のサビ前のドラムソロが素晴らしく、主人公が苦しくても自分の人生を歩んでいくという意志とリンクしており、歌詞も非常に練られていますが、音で、主人公の生き様を表現しており、改めて、「音を楽しむ」ことを教えてくれます。

私は、現在進行形で仕事中に、三文小説のメロディと井口さんのハイトーンボイスが頭にこびりついて、離れません。KingGnuは恐ろしいバンドです(笑)

 

 

三文小説の歌詞の解釈と考察について 「僕」は「君」と出会うことで三文小説を忘れられる

ここからは、筆者による三文小説の勝手な解釈です。KingGnuの常田さんが、考えていることとかなりずれているかもしれませんが、ご容赦ください。

三文小説は、自分の人生を素晴らしく生きようと思ったけど、それができなかった「僕」が「君」という大切な存在と出会うことによって、本当に大切なものを見つけたという話です。

三文小説では、小説=人生になぞらえています。

自分の人生を素晴らしいものにしていこうとすると、実は不幸になるかもしれない 比較する苦しさ

誰しもが、素晴らしい経歴を残したい、幸せな人生を送りたいと思うものですが、人生とは思うようにいかないことが大半で、結局、周りに比べてたいした人生ではない、まさに三文小説な出来であると自虐する人は多いのではないでしょうか。

特に、現代はYOUTUBEやSNSで芸能人やインフルエンサーのきらびやかな生活や、思想までも簡単に見ることができる世の中になっています。

私もよくツイッターのプロフで、きらびやかな経歴や、家族構成をみて、自分の人生は何も果たすことができていないと、自虐的になることがあります。

 

三文小説の主人公である「僕」は、自分の人生を描き続けること、苦しくてもあがくこと、三文小説であってもよく生きようとしています。

一見すると、ポジティブな反骨精神のある主人公に見えますが、自分の人生がどのようによく見えるか、見られるかばかりを意識しています。

「君」という存在に出会うことで、自分の人生にこだわることから抜け出せる

そんな「僕」が三文小説な人生を忘れる瞬間が、「君」と触れ合っているときです。

「白日」と同様に、「三文小説」も自意識で苦しむ主人公の苦しみを和らげるきっかけをつくっているのは、他者であることを暗に示しています。

 

 

私も不安神経症なので、時々、自意識に自分の存在を殺されそうになります。そんな時に支えになるのは、家族であったり、自分を無条件に慕ってくれる犬だったりします。

「僕」が「君」と言葉を交わすとき、触れ合っているときは、「君」のことを考えることで、「僕」の今までの苦しい人生、間違ったかもしれないという恐怖から一時的に離れているように感じます。

 

三文小説の歌詞と世界観の考察 三文小説を描けたのは「君」のおかげ。だから「君」とこのはなしの続きを描く

三文小説は、一聴すると、老夫婦や愛すべき二人の話に見えるのですが、老いた大切な人を見送る話にも聞こえます。

というのも、もし老夫婦の話であれば、近年は熟年離婚やそもそも、生涯独身などで老夫婦として人生を追われない人が、多くなっており、この曲への共感性がなぜ高いかが、説明できくなります。(老夫婦として大切な人と生涯を添い遂げることへの憧れを投影しているといえますが)

一方で、多くの人々にとって

年老いた親、ペットの死をみとることは、普遍的な未来として受け入れられています。

 

親にしても、ペットにしても、身近で、老けていく、皺が増える、くだらないことで笑いあえる共感をしている想い出は非常に多いわけです。

そう考えると、三文小説は

今まで、自分のために人生を歩み続けたけど、自分が人生を歩めたのは、あなたがいたからだ。これからの人生はあなたを大切にしていくことが、僕の描く物語だ

という決意表明に見えました。

私も犬が7歳を超えて、寿命の半分に差し掛かろうとしています。私だけでなく、犬との大切な三文小説を描き続けていこうと思っています。