11月最も期待された東宝渾身の一作。ヒットメーカー「山崎貴」監督によるゴジラ70周年記念にして、最新作の「ゴジラー1.0」を見たんで、その感想を述べたいと思います。
ブログの性質上、ネタバレ全開で行かせてもらう予定ですが、とにかくこの映画泣ける映画なんですよね…振り返ってみれば、ストーリーがものすごく複雑ってわけでもなくシンプルですし、なんかあり得ないメロドラマとか、NHKの朝ドラをみているような気分になったこともあるんですが…
今回は、特撮とか役者がすごいとか、そういうこともすべて含めて「泣ける映画」を探している人に対して届けるレビューになります。
ゴジラ-1.0はなぜ私の胸を熱くさせるのか… ストーリーのあらすじとシンゴジラとの違い
ちょっと美談に聞こえるかもしれませんが
ゴジラ-1.0は、主人公の敷島はじめ、負け戦とわかっていた第二次世界大戦で、思うように戦えなかった男たちが、ゴジラを通して人生でリベンジをかけていくという話になっています。
お国のため、プライドのために戦っていた男たちが、街をボロボロにされ、本当に国民を守るため、さらには自分の命を守るためにいちがんとなって、ゴジラという未曽有の大災害に立ち向かうのです。
それにリンクするように、戦艦、戦闘機も第二次世界大戦で十分に戦えなかったものが再登場して、人を守る役割のためにゴジラに立ち向かうのです。
ここが、「シン・ゴジラ」と明確に違う点で、シン・ゴジラは命をかけなければゴジラに立ち向かえないという流れで、最終戦では戦闘機で半ば特攻をかけるような描写を入れます。
ゴジラ-1.0は、戦時中を舞台にしたからこそ、逆説的に自分の命も大切にしなければならない、生きて帰らなければならないという、いわば究極の反戦メッセージのこもった作品であり
これまでの山崎監督が手掛けた、戦争映画などを総結集させた作品であるといっても過言ではないつくりになっています。
ゴジラ-1.0を名作にさせた泣ける作品にさせた神木隆之介の怪演は語られるべき
ゴジラ-1.0は、神木隆之介さんの代表作であることに疑う余地はありません。
妖怪大戦争から小役として主役級の活躍をつづけた神木隆之介。
本作は敷島という役を通して、神木氏が人としての弱さ、脆さ、強さ、理不尽さなど様々な内面を含んだ演技をされていました。
私はいままでの神木氏を見ていて、声優にしてもそうですが、無難にうまくいろんな役を演じ分けているというテクニックのある役者というイメージが先行していました。
しかし、本作のゴジラ-1.0では、文字通り魂を込めて、敷島という男の人生を演じたと感じました。
特に、中盤にある喪失をきっかけに、それまで軍人として逃げてきたことに負い目を感じ、どこか物寂しい顔をしていた敷島が、ゴジラへの復讐という明確な目的を手に入れ
近づくだけで誰かを殴りそうな、鬼気迫る表情をずっと維持して演じているのです。
敷島は軍人として優秀ながらも、人間としては不安定な精神を持っており、同僚に戦争関連でちゃかされるとすぐに激高しますし、いつも夜はゴジラのトラウマで目が覚めます。
「もしかして今自分が生きているのは夢かもしれない、自分は生きていい人間ではない」
そんな薄氷をわたるようなメンタリティを持ちながら、生きている人は現代人にも多く、敷島に共感する人は一定数いそうですね。
ゴジラ-1.0におけるゴジラとはどんな存在なのか? 次回作はどうなる?
山崎監督、ゴジラ映画を撮るのは責任感も含め大変だと思われますが、次回作にも意欲的見たいです。
過去にALWAYSやドラえもんなど次回作を手掛けたものもありますからね。
本作のゴジラは、核兵器などの人類の業によって生まれたというよりは、突然変異した災害という見方ができますね。
人を捕食しているわけでもなく、ただ目の前の建物を衝動的に破壊しているように見えました。
ゴジラは驚異的な再生力を有しており、どのような状況でも全身が無傷だったかのように再生する能力を持っています。
そのため、アメリカやロシアが今後冷戦になるという流れになるので
ゴジラを敵国の近くに配備させることができれば、ゴジラが勝手に敵国を滅ぼしたという口実で攻撃できますからね。
ゴジラを何かしらの爆発でバラバラにさせて、輸送させて敵国の近くに置く。
続編ができるとしたらこの辺り何ですかね。
あと、もしかしたらゴジラ-1.0は、現代にゴジラがあらわれたら?というシュミレーション要素ではなく、過去にさかのぼった作品なので、逆にさらに先の未来でやってくるという意表をついてくるかもしれませんし、その方が面白そうです。