ガリレオ 容疑者Xの献身を2024年の視点で評価してみる

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何度かテレビ放映もされているし、すでにストーリーに関してはあまり語ることはないだろう。

容疑者Xの献身は、いまだにガリレオシリーズ、さらには邦画ミステリーの中で、金字塔、傑作として称賛されている。

 

もちろん、東野圭吾による優れた原作が存在するからだが、実写も非常に評価されている。

 

 

多くのドラマから派生した映画が、ドラマの流れを大切にしよう、似たようなキャスト、似たようなテンションでお届けしようという中

この容疑者Xの献身とドラマガリレオはもう別物といっていいぐらいにつくりが違う

湯川と内海のコミカルなかけあいは最小限に抑え、あの印象的なテーマ曲も実はエンディングになってようやく流れる。

道路や机に方程式をかきだすシーンなどもなく、本当に原作の世界観を壊さないように、映画として1つの作品と作るためにスタッフが心血を注いだ一作であるということがわかる。

 

 

私が最初に容疑者xの献身をみたのは、10年ぐらい前だったと思う。あまりにも強烈なラスト、もちろん堤真一さんの演技は脳裏にやきついているのだが、誰も幸せになれない、報われないトリックが悲しい。

石神が、隣人の母と娘の殺人を救うために、死体すり替えのアリバイトリックをしたというもの。

 

見返すと、「ここ見て」と言わんばかりに石神がけだるそうに高架下のホームレスロードを歩いているシーンが2回もうつされるし、しっかり石神が殺人したホームレスが消えていることもわかる。

この作品で言う「献身」は「狂気」に近い。いくら感謝をして、愛にもにた感情を覚えていたとしても、助けるために自ら進んで殺人の犯すということをするだろうか…

石神がホームレスを選んだのは、自分と同じように「この世に消えても誰も認知されない存在」という意識があったからだ。事実、ホームレス仲間が湯川や内海に「最近あいついないよな」みたいな相棒でよくあるシーンはない。

 

そして、石神は自殺に躊躇のない男で、それが他殺につながってしまった。

最後に、湯川による推理が暴かれたことによって、隣人が自らの罪を告白することで、石神との愛情が証明されたともいえるし、石神が身代わりによって隣人を守ったことでも、見ている我々からしたら、そこまで人を守りたかったのだなと愛は証明される。

 

わざわざ、容疑者xの愛ではなく、献身と記載されていることから、愛を別の言語や、証明するとしたら献身になるのだろうか…

 

いろいろと考えさせられる、それはこの容疑者Xの献身があまりにもテーマとして汎用性が高すぎるからだろう。

 

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ドラマ版とのトリックの違い 論理で警察と戦う石神

ドラマから映画を見た私は、ドラマのような科学、化学を利用した犯罪、トリックとは全く違う、ある意味、地味な容疑者Xの献身に最初は、ちょっと物足りなさを感じてしまった。

 

しかし、石神は、数学教師という立場を使って、警察に対してどのように返答すれば、どのようにアリバイ工作すれば相手が納得するかということを考えている。

 

いわば、すべてが理科系なトリックといっても過言ではなく、冒頭の石神と警察の対抗もいまとなっては、ものすごくスリリングで楽しめる。

 

あと私が好きだったあの「古畑任三郎」にやはり近い。完全な倒叙形式のストーリーであり、石神はいかにアリバイ工作を完遂したのか、そして事件の全貌によって明るみになる石神の人間性が暴かれる点もスリリングに感じられる。

特に好きなのが、湯川が石神と一緒に隣人の弁当屋にいくのだが、隣人にいい顔をして近づく(本当にいい人みたいだが)ダンカンをみて、石神が嫉妬を隠し切れない表情をみせ、それを湯川が鏡越しで気づくシーンがある。

この時の堤真一氏の表情の演技が本当に素晴らしい。露骨に嫉妬しているわけではなく、その嫉妬を隠そうと目をそらそうとしたりでも、苦悶にもみえるその表情。どうしたらあれだけの演技ができるのか、本当にすごい。

また容姿を気にする石神から、湯川はもしかしたら恋をしているのではないか?と仮説を立てている。

おいおい、湯川普通の男性よりも人の心を完全に読めているじゃないか…

 

 

容疑者xの献身は、答えのない道徳的なテーマ、衝撃的なトリック、そして役者の演技が映画向けにチューンナップされた表情の変化など、今見ても120分に凝縮された傑作と言って間違いないだろう。