ここ最近、世間を騒がせている週刊新潮の、伊藤純也選手に対する性被害による刑事告訴問題について
まだ顛末は判明していないものの、象徴的なのは、アジアカップ中に公開された記事であり、伊藤純也選手は、メンバーから外され、おそらく年齢からアジアカップへの出場は最後になるだろうということで、サッカーファンをはじめ、週刊誌に対するバッシングも起こっています。
さらに、担当した記者に対して、「名前を出せ」という声もあり、実際にネットでは「この人ではないのか?」ということで、名前が挙げられています。
私もブロガーの端くれで、ハンドルネームではありますが、誰かを批判したり、情報をまとめることをしています。
それで、実際に危ない目や実生活に影響を及ぼすことがあるので、思ったことを書きます。
週刊文春、週刊新潮はなぜ著名人の性スキャンダルに躍起になるのかを考察
なぜここ最近、文春をはじめ週刊誌が性被害についてとりあげるのかを考察します。
「そんなの、お金とトレンドだからじゃない?」と言われたら、もちろんその通りです。民間企業ですから、利益を追求することは致し方のないことです。
ことの発端は、2023年のBBCのドキュメンタリーによる、故ジャニー喜多川の性犯罪報道(公表されていることが事実であれば、性加害という生ぬるいものではなく、これは性犯罪なのです)
文春は過去に、裁判まで行ってジャニーの性犯罪について取り上げたにもかかわらず、他メディアが事務所の圧力によって、消極的になって、現代ほどSNSも発達していないため、国民の関心も薄く、うやむやになってしまった。
それがいまになって、海外の権威のあるメディアによって公表された。
これは日本の大衆メディア、報道をつかさどるものにとっては、おそらく恥であり、挫折であると思うんですね。
その中でも一石を投じていた週刊文春は、自分たちがたたっていたにも関わらず、世の中を変えられなかったというのは挫折のはずです。もう同じ轍を踏んではならないという忸怩(じくじ)たる思いがあったのではないでしょうか?
だからこそ、松本人志報道については、より慎重に行い、ジャニーズで果たせなったことを、吉本という、巨大な組織に対して、リベンジを行う(ただ松本人志は社長でも会長でもなくトップではないという違いはある)
週刊文春の記者は給与のためにスキャンダルを取り上げているのか?
過去に文春の記者が給与に対して、話していたらしいのですが
要約すると、松本人志氏や渡部氏のような大きく稼いだ記事を取り上げたからと言って、出来高ではなく年俸制ということです。もちろんスキャンダルを取り上げたら、昇進に影響するとは思いますが
例えば、NHK党をつくった立花孝志氏が、NHKをやめ、告発する際に週刊文章の担当した記者などが、責任者として今回の松本人志氏の記事にかかわっており、それを受けて、立花氏は、「この記事内容は信頼できる」と発信しています。
また、よい記事を書いた記者は、他社から好条件でヘッドハンティングされる可能性もありそうですね。
でも、しがないブロガーの私は、給与も大切だと思われますが、自分が担当している、発信している、訴えている内容が、世の中に受け止められ、影響を与えている、そういうものを残せているというところにやりがいを感じているのだと思います。
私だって、ブログだけで食べられるわけもないし、やっている作業や、実はそれによって受けている実害を考えると、全く割に合わないのですが、結婚もしていないし、子供もいない僕にとっては、ブログやSNSで発信すること、残ることが人生のようなものなのです。
だから世間では、人のスキャンダルやトラブルで飯を食ってるってネガティブなイメージを与えていますけど、末端の担当している記者というのは、仕事として、理念として、さらには自分のアイデンティティをのっけて、書いていることは間違いないと思います。
もし虚偽記載だったり、相手の人生を狂わせた場合、記者の名前を公開すべきかどうか?
今回のサッカー日本代表の伊藤純也選手をめぐる報道で、問題となっているのは
「仮に今回が虚偽だった場合、伊藤純也選手のキャリアを大きく傷つけ、収入面で影響を与える、週刊誌側の責任」
「相手は、名前もあり、サンドバックのように攻撃されるリスクがあるのに、記者などは会社に守られているのは不公平ではないか?」
上記2点は分けて考えなければなりません。
前者に関して、週刊誌の売り上げに対して、裁判で週刊誌側が負けたとしても、慰謝料はあまり高いとは言えず、訴えられた側は、名誉を回復することと、収入面の補填が非常に難しいです。つまりやられっぱなしになってしまうといわれています。
個人的に、慰謝料に関してはもう少しシビアに請求できるようにするか、明らかに間違って、名誉を棄損してしまった場合は、営業停止であったり、小さいコラムなどではなく、数ページ、表紙も使って、改善すべきポイントや謝罪を週刊誌側で載せる
こういった責任は、第三者から見て、週刊誌側に問われるべきではないのか?と考えられます。
一方で、記者個人の名前を出すべきかどうかですが
前提として、記者は相手の人生を狂わせる、陥れるという悪意をもって、記事を書いているわけではなく、公益性、読まれた場合の社会的影響を考えて、記事にしていると考えられます。
さらに、訴えた人間が相手を陥れるために巧妙な虚偽を行った場合、短期間で記事を作成しなければならない、記者に全責任を追求するのは荷が重いのではないでしょうか?
加えて、記事の最終をチェックするのは、編集長やほかのセカンドオピニオンもあるわけですから、今回のように記事にした相手側に対して、かなり影響を与えるような記事を出す場合は、会社側が責任をもって出すという流れになるでしょう。
たとえて言うなら、他の仕事でも社員がミスした場合、ミスした全額を弁償するというわけではなく、基本は会社側が、社員のミスも想定して、ミスの損失を受けるということです。
さらに、会社が記者を守らなければ、政治や大企業、ジャニーズなどの事務所に対して、追求する記事を書く場合、記者の身に危険が迫るということもあります。
そのため、記載した記者個人にすべての責任を追及するというのは、重たい話ではないでしょうか。
今後のスキャンダル糾弾社会について思うこと
最後に、今回の件は会社で行っていることですから、個人の行動もある程度守られていますが
youtube、SNSやブログなど、個人の媒体で発信する場合は異なります。
確かに、個人の媒体で発信した場合、収益などが発生すればすべて個人の手柄になります。
そのため、個人で発信するメディアは、誰よりも早く、時として誰よりも過激に情報が発信される場合があります。
しかしながら、もし情報によって、誰かの人生に影響を与えたり、訴えられた場合。その責任も個人ですべて取らねばなりません。
ネットの発信というのは、実に恐ろしいもので、本来は万全を期して、繊細に行われなければならないものなのです。
そのため、我々一般人、さらにはネットで発信する人々は、週刊誌の報道に影響されて、自分たちも過激な発言や、個人の人生を左右しかねない言動は控えなければなりません。