レッドデッドリデンプション2 ストーリー感想・考察 アーサーという無法者から見る善悪と道徳について

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注意

この記事はレッドデッドリデンプション2のストーリーネタバレを含みます。

ストーリーは

章仕立てになっていますが、明確な起承転結があるわけでもなく、行き当たりばったりで、同じように強盗や殺しを繰り返すミッションばかりで、正直メインストーリーはシリーズ屈指の怠惰なものでした。

さらに

  • 早撃ちの簡略化
  • 煩わしい基本ステータス
  • 不便なファストトラベル
  • △で馬騎乗だが、一般人に馬乗りしてしまうことがある
  • 細かい木々の当たり判定が大きく、よくぶつかってコケる
  • 後半になるほど、拠点と町の距離が遠くなって、馬の移動時間が長くなる

アーサー・モーガンに深い共鳴を覚えないと、なかなか入れ込みづらいポイントが多いです。

メインを一通りクリアした今でも、「スパイダーマン」とは方向性が違うものの、娯楽性は劣るというのが正直な感想です。

ストーリーや、アメリカの裏社会を覗くという意欲がないと、なかなか楽しみづらい作品であることは、間違いないです。

およそ30時間ほどかけて、レッドデッドリデンプション2(以下RDR2)のストーリーをとりあえずクリアしました。

本作は、ゲームプレイもストーリーもGTAと初代RDRを含め、ロックスターゲームの中では最も自由度が低く、拘束された印象の強い作品でした。逆に言えば、ここまでストーリー要素が非常に濃いので、ストーリーに没入できるかで評価が変わります。

今回は、僕がストーリーを遊んだ感想をだらだらと書きます。

さて、RDR2のテーマはなんだったのかを振り返ろうと思います。

罪を重ねるメインストーリーと罪を償うサブストーリー

本作の主人公であるアーサー・モーガンは幼いころに父母をなくし、野盗に妻子を殺されたという過去を持っています。

彼にとって唯一の家族は、20年以上連れ添ったギャングの長のダッチ・ファン・デル・リンデとダッチギャングのメンバーたちです。

彼らは悪行を重ねながら、ギャングの家族、インディアン、メキシコ人、娼婦といった社会のはみ出し者たちを囲いながら疑似的な部族としてアメリカを活動しています。

彼らのターゲットは、一般市民ではなく、成金や銀行である金持ちであり、自らの行為を義賊的行為と正当づけます。

しかし、罪を重ねると成金からは、私立探偵をつくられ捜索され、行く先々で、食糧難にあうため、犯罪によって生計を立てるしかないジリ貧な状況に追い込まれます。

(行く先々でちょっかいや犯罪行為を繰り返すことで、常に追われる立場が続きます)

アーサーは、そんな繰り返しに疑念を持ちます。「自分たちの生き方が間違っているのではないか?」と。

犯罪のハードルが現代と異なり、治安もあれており、無法者が存在した時代。

アーサーは、ダッチギャングの中では人格者ですが、そんな彼はGTA、RDR、ストーリー上で最も警官や鉄道社員といった一般人を殺している人物です。

  • 初代RDRのジョン・マーストンが自らの罪を清算するため、ダッチやビルを含め、過去の仲間たちを殺していくという押し付けられたリデンプション(贖罪)。
  • 本作RDR2のアーサーは、自らの殺しや強盗が新しい復讐や因縁を生んでおり、自分でできる限りの清算を見つけるという自分で償うリデンプション。

そういう違いがあると思います。

そのため、本作はサブストーリー(見知らぬ人)が非常に重要な意味を持ちます。

メインストーリーは、ただダッチの計画や、血の気の多い仲間の突拍子な案に振り回されながら、時に反抗しながらも、抜け出せない因果に苦しむアーサーが描かれます。

一方で、サブストーリーは、アーサーが過去に殺した相手の未亡人や、困っている人間を助けていくうちに、自分の中に育まれていった善や道徳とこれまで起こした罪との葛藤に苛まれるという流れになっています。

(まるで、ダッチという因縁から逃れられなかった自分の想いを投影するように、過去の関係者に「遠い所へいっていちからやり直せ」と金を渡すアーサー)

(最愛のメアリーと駆け落ちしていれば、幸せになっていたのでしょうか?)

僕もすべてのサブストーリーを網羅したわけではありませんが、サブストーリーを遊ばないことには、RDR2のストーリーは、非常に浅いものとなります。

最終章では、アーサーは自分で正しいと思った行動をとります。インディアンと軍の問題にわってはいって、和平的な解決を試みます。一方でダッチはインディアンの血の気の多い若者の言葉に感化されて、正面から血で血を洗う銃撃戦を買って出ます。

ジョンが刑務所に収監されたとき、コルム一族に夫を殺されたセイディとともに、無断で救出に向かいます。

刑務所内の警官を大量に殺してしまったことで、常に「生死を問わず」追いかけられることになり、ダッチに「俺は計画を練っていたのに勝手な行動をするな」と非難されますが、ダッチは裏で、ギャングの上納金をピンハネし、ジョンを見殺しにしようとしていたことが判明します。

このようなアーサーの心の変化は、メインを追うだけだと唐突なものに感じられますが、サブストーリーを行っていくと、意外と世話好きで、過去に弱者側の痛みを感じ続け、強盗を続ける今の生活に良心が痛んでいることを知ります。

最終章では、ダッチと度々ギャングの行く末について、意見が衝突

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アーサーの結末 死によって罪と向き合う

本作はロックスターで初の試みである、主人公が病死(結核)するという結末が用意されています。マルチエンディング性がとられていますが、初代RDRの前日譚にあたるため、アーサーの病死という結末を変えることはできません。

(死を宣告されることで、自分が起こした行為と自分の心理の呵責に苛まれます)

ストーリー終盤で、アーサーは街の中で突然倒れ、医者によって深刻な結果により、余命がわずかであると宣告されます。

そこから、寡黙だったアーサーは、自分の半生を積極的に振り返り、「俺はこんな人間だった」と周りに打ち明けるようになります。

キャラクターの死は、初代RDRのジョンでも用意されていますが、アーサーの場合は、自分が死ぬことを自覚しているので、そこから自分が何をすべきか、清算すべきことはないのか?を考えます。

RDRの死による贖罪は、初代なら仲間の死とジョンの死によって贖われ、新しい復讐がジャックによって生まれてしまうというやや悲劇的な内容でした。

一方で、RDR2は、死を自覚することで、人の命を奪うという罪と向き合い、人の命を生かすすべを考えるという、死は次につながることへの希望として描かれています。

逆説的な道徳と善悪論

RDRシリーズを通してのテーマに「無法者の終焉」があり、クライムアドベンチャーを作り続けたロックスターが提示した本作のストーリーは

「なぜ人は、人を殺してはいけないのか?金品を奪ってはいけないのか?」

という道徳の定義を長いプレイ時間を通して、伝えようとしています。

いかに過酷な境遇にあっても、生きるために人を殺すこと、金を奪うことは奨励されるものではない。

移動手段、武器などがそろっていれば、人は罪を犯すことが可能だが、なぜ手段をそろえていても、他人に迷惑をかけずに、他人のために生きることができる人間がいるのか?

究極のクライムアクション、無法者が栄えた時代を描くことで、逆説的な道徳や善悪をみせるということが、本作におけるストーリーの狙いだと感じられます。

アーサーの物語がすべてなので、プレイヤーが「こうじゃないのかな?」と疑問を挟む余地があまりない点と、やや「善いことを考えましょう」というリードされているような、ストーリーの描き方で、正直、ストーリーそのものが切迫感のあるものになりました。

最低でも、途中でダッチギャングとたもとを分かつか、残り続けて仲間を逃がしていくかという選択肢があるだけでも、だいぶ展開に起伏をつけられたのではないでしょうか?

次回は、アーサーが救おうとした命がどのようになったのかを追っていきます。

(ラストミッションでは、走馬灯のようにアーサーと関わったキャラとの会話が再生されます)

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