ドラゴンクエストⅦ 悪名高いレブレサックの村のストーリーについて考察する

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ドラゴンクエストⅦのあらゆる石板エピソードの中で、いまなおファンに語り継がれている

レブレサックの村

について、クリア後訪れることになったので、遊んだレビューになる。

時間がない人のためにアニヲタwikiで詳細に書かれている。ネタバレ注意。

上記の内容を含んだうえで「ネタバレ」になるが、語っていく。

 

 

 

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ネタバレ レブレサックの神父の運命は回避することができなかった

まず、レブレサックの村で一番悪かったのは、オルゴ・デミーラの手下である「ポトク」であり、彼が自分の姿と勇敢に立ち向かった神父の見た目を入れ替えたことで、村人たちを錯乱させたことが、すべてのきっかけになる。

神父は、自分の正体を村人たちに伝えれば、魔物が村を襲うことを知っていたので、目線で訴えることしかできなかったのか、魔物に変えられた時点で喋ることができなかったと推察される。

 

冷静に魔物にされた神父を見て、なぜのこのこと村に帰ったかを考察すれば、魔物は悪ではなかったということにたどり着けたかもしれないが、死がつねに隣り合わせという環境が、判断力を鈍らせた。

というのも、レブレサック周辺には王国もなければ、兵士もいない、すべて村人だけで自衛する必要があるのだ。

 

ウッドパルナと違い、魔物が原因であることを突き止め、神父はじめ多くの村人が死を覚悟しても戦いに参戦するというぐらいに彼らは勇敢だったのだ。

実は原作では神父は自分が残ることで、村人たちは責任を感じ続けることを悟って村を出るところまでは同じだが、別の村にたどり着いて、そこで主人公を守って死ぬらしい。説明文の通り、神様より神様らしいな…

 

 

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レブレサックの村 現代で行われた改ざんについておもうこと

レブレサックの村における教訓というのは、人や失敗や過ちを犯すがその後にどのように修正するか?これが大切だと思う。

現代のレブレサックでは、過去の村長が遺した石板が何者かにより、主人公たちが神父を襲い、村人たちが撃退して神父を守ったという美談に改編されてしまっている。

 

犯人は現代の村長なのか、その少し前の村長なのかわからない。

村の中心部分に「かつて、神父を信じることができずに殺す寸前まで痛めつけてしまいました」と自戒の文章を書き続けるってというのも、村の求心力を考えると難しいなと思う。

 

とはいえ、「村人で協力して魔族をはねのけました」とか「旅人の力をかいて倒しました」ぐらいの改編にとどめればいいものの、自分たちのやったことと180度違うことを改編したというのは、やりすぎであることは否めない。

この状況に対して、主人公たちは現代の村長か過去の村長いずれかに本来の割れた石板を返すという選択肢を迫られる。

 

現代の村長にそのまま返せば、村長はあわてて棍棒で粉々に砕く。

隠ぺいの事実をしったのは、石板を見つけた子供たちだけで、子供たちは大人に押し込まれるが、自分たちだけでも真実を守ろうとする。

過去の村長に渡せば、改変させられないように主人子の銅像を建てて、正直にいきていくことを美徳として、口伝していく。

 

後編の方がハッピーエンドにみえるが、人はそう変わらないし、口伝のほうが石板以上に改ざんの余地を与えるような気がする。

2つのセーブデータでそれぞれの結末を見届けたが、そのうえであえてバッドエンドにみえる、現代の村長に石板をこなごなにされるという結末を選んだ。

 

 

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レブレサックを遊んだ感想 ドラクエⅦと人生

個人的にドラクエ7のシナリオに順位をつけるなら、レブレサックはトップ3に入るけど、グリンリーフのほうが好きだった。

両者共通する点として、ドラクエⅦというストーリーは、「村人たちや傍観者たちのストーリー」みたいなところがある。

 

主人公というのは、オルゴ・デミーラによって滅ぼされた島や村を復活させていくのだが、本当に復活できるかどうかというのは、村人や町人たちの努力や良心にゆだねられているというのが気に入っている。

ルーメンの町のように何度救っても、モンスターに襲われ続けて結局滅びるというルーメンの町という例もある。

 

アラフォーになって、ドラクエやRPGを遊ぶと、世界をきままに旅して、圧倒的な戦闘力でモンスターを倒していく主人公一派ではなく、その村で生き続けて、結婚し、子供を産み、死んでいくような村人たちのほうが気になってしまう。

そもそも、我々の大部分はそうした村人たちと同じ人生を歩むことになる。

 

ドラクエⅦの主人公たちは、そういった村人たちの生きざまというものを心に刻み、継承された世界を受け継いで、魔王と倒す。そこに無駄な人生というものはなかったというところに救いがある。

 

原作の副題につけられていた「エデンの戦士たち」というのはもしかしたら、人間すべてをさす言葉だったかもしれない。

そうした「人」を描いた物語だったからこそ、20年以上経過した現在でも、なにか胸を打つようなストーリーを見せることができたのかもしれない。

 

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