サブスタンスというのは「物質」という意味。
今年2025年で一番狂気な作品として、多く映画インフルエンサーから取り上げられたので、アマゾンプライムの有料レンタルで見てみた。
視覚的にもグロテスクなのはもちろんだが、メンタル的にもかなり重い作品だなと思った。
(写真はAI画像によるイメージです)
「サブスタンス あらすじ」「ラストシーン モンストロ・エリザスーは何の象徴か?」など
本名リジーで、女優エリザベル・スパークルとしてオスカーまで輝き、50歳となっても、エアロビクスの看板番組を持っていた。(落ちたといえば落ちているが)
しかし、若い時のプロポーションを保てるわけではなく、プロデューサーの意向で降板することを知る。
そんなある日、交通事故に巻き込まれたことをきっかけに、細胞分裂を意図的に起こし、分身をつくる「サブスタンス」という薬があることを知らされ、その誘惑に勝てず、薬を使用する。
薬を使用したエリザベスの背中はぱっくりと真っ二つに割れて、そこから若々しい女性スーが誕生する。
スーは得意の美貌と、エリザベス仕込みのエクササイズのうまさで瞬く間にオンラインテレビ局へのスターダムを駆け上がる。
スーはもっと仕事がしたい、男と遊びたい。若いからこそ暴走する欲望やエネルギーを抑えきれず、エリザベスの体液を7日以上取り続ける。
そして、エリザベスはその代償として、一部が激しく老化してしまう。
一方で、エリザベスは仕事から抜けて、自分がしたかった暴飲暴食を繰り返すようになる。スーは自分が努力しているのに、ひたすら堕落的な生活を行うエリザベスが許せなくなる。
スーがあまりにも体液をとりつづけることで、エリザベスの肉体は、ロードオブザリングのゴラムみたいになってしまう。
体液を自分勝手に抽出し、老化が暴走しているエリザベスにサブスタンスを終了させて、殺されそうになったスーは、逆にエリザベスを暴力で殺す。
しかし、エリザベスの体液を自分に使うことができなくなったスーは、歯が取れ、耳がとれ、身体のパーツがボロボロになり、最後の手段として、残ったサブスタンスを自分に注入する。
エリザベスの中からあらわれたのは、モンストロ・エリザスーという。クリーチャーのような物体で、ドロドロのスーの顔に、背面にエリザベスの顔が貼り付けられている。
ラストシーン、身体がボロボロに崩れていってエリザベスの顔だけが移動して、彼女の名前が刻まれた星に乗っかって、生涯を終える。
モンストロ・エリザスーは
まさに「カリカチュア(風刺)」的な存在。
皮肉なのは、スーの顔はドロドロなのだが、背面のエリザベスの顔は非常にきれいに残って整っている点だ。
アンチルッキズムというほど過激ではないが、ある種、見た目から解放された、鏡をみても外に出て仕事に出続けたモンストロ・エリザスーはあれはあれで、一種の幸せだったのかと錯覚してしまう。
だからラストシーンは、悲劇、狂気というよりは喜劇のような見方もできる。
あまりにもド派手な血しぶきによって、観客が血まみれになるのも、全員が同じような容姿にとしてリセットされる…ようにも見えた。
そして、ラストシーン、身体がボロボロに崩れていってエリザベスの顔だけが移動して、彼女の名前が刻まれた星に乗っかって、生涯を終える。
前述の通り、モンストロ・エリザスーはエリザベスとスーが融合しているが、2人のルッキズムに対する欲望に肉体が耐え切れなくなった末路…という表現ができるかもしれない。
サブスタンス 精神的につらかったシーン ディナーに行けないエリザベス
(参考にした動画)
この映画、社会から要求されるルッキズム(外見至上主義)と、ルッキズムのトップで生きるエリザベス、スーの個人的なルッキズムの2側面のルッキズム、さらに分解すれば、エリザベス、スーそれぞれにもルッキズムのとらえ方が異なる。
特に精神的に来るなと思ったのが、エリザベスがスーによって体液を抜かれすぎて、一部老化が進行するなか、幼馴染に電話し、ディナーすることになる。
そこで、良いドレスを着て、いつもより化粧に気合を入れて臨むのだが、鏡をみて、自分の部屋から映るスーの容姿を比べた途端、自分に対して全く自信が持てなくなる。いくら化粧を塗り手繰っても満足できない。
次第にバットマンのジョーカーのように口紅を口中に塗り手繰るような奇行もして、幼馴染とのディナーはキャンセルになる。
このようなエリザベスの行動と近いことをした人はいるんじゃないだろうか。つまり、自分の主観的な評価で美を決めるのではなく、トップオブトップの芸能人やモデルと比較して、自分の評価を極限まで小さくしてしまう。
最悪なパターンとして、自暴自棄になってしまうのだ。
サブスタンス もう1つのテーマ 孤独と仕事
エリザベスは、50歳まで芸能界の第一線で仕事を続け、アメリカの一等地で高級マンションに住んでいる。
世間でいう「勝ち組」というやつだ。
しかし、彼女のマンションの部屋は、彼女の大きな等身大の写真が象徴的だが、どこか空虚に見える。
家族や友人の写真はなく、機能的なもので構成されている。
エリザベスとスーの身体が入れ替わる瞬間に前後の記憶が飛ぶような演出がされており(エリザベスとスーの人格は別だけど)、部屋が激しく散らかっている。
これは、エリザベスが芸能界で活動しているとき自制したが、本心では食べたかった大量の肉料理。スーが若さを活用して、イケメンと遊び散らかしたという欲望の表れとなっているが
エリザベスとスーの入れ替わりは2人の秘密であり、冒頭で世話をしていたメイドがいないため、男社会で生き続けたエリザベスは、家事などについては無頓着だった、という風にも見れる。
私はルッキズムよりも、この「孤独と仕事」によって人生の選択がせばまっていく恐怖の方が恐ろしく感じた。
ルッキズムというのは、女性はわからないが男性は30を超えたら、そこまで重視するものではなくなっていくから、でも孤独と仕事はおそらく死ぬまで我々に付きまとう課題だ。
視野を狭くしたからこそ、何に集中すべきかフォーカスして、その業界でトップを取れた…ともいえるが、最後までエリザベスもスーもその視野の狭さから抜け出すことができなかった。
そもそも、エリザベスは余生も楽しく生きることができたかもしれないし、スーになっていきなりやることが男遊びではなく、自分を不採用にしたエクササイズ番組への復帰…というのもどこか悲しい。
エリザベスとスーで、業界へのリベンジをしているはずが、またその業界に取り込まれてしまっているように見える。
