ネットで、雨穴氏が自ら脚本を書いて、声優もつとめて、本人役で出たということで、最も衝撃的なコラボ、クレヨンしんちゃんとのコラボをみた感想を述べていく。
のっけから、結構ネタバレしていくので注意
過去の雨穴さんにまつわる記事はこちらからどうぞ
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しん次元!クレヨンしんちゃんTHE MOVIE 超能力大決戦 とべとべ手巻き寿司 感想と評価 充は普通に悪者、「がんばれ」といっているひろしが一番時代の被害者の可能性について
「変な家だゾ」はどのような話なのか?
みさえに風呂掃除を指示された野原しんのすけは、風呂場にみたこもない、黒づくめで白い仮面をした雨穴と出会う。
どこから来て、なぜしんのすけに会いに来たのかわからない
風呂場にきたみさえに対して、雨穴は催眠術な業をつかって、「この人はもとから家族じゃない」とみさえもひろしも、ひまわりも取り込まれてしまう。
しんのすけは混乱のあまり、2階のアルバムから雨穴は本当に家族だったんじゃないかと過去の写真を探るが、見当たず
雨穴は強硬策で催眠術をしんのすけにかけようとするが、しんのすけはそんなものはにせものの家族だぞと拒否
雨穴の正体は、野原一家にあこがれていた我々の幼少期の集合体ともいえる存在だった。
雨穴はしんのすけに感謝の言葉は伝えるが、同時にもう2度と会えないことも伝える。
ラストに、回想でしんのすけ一家をうらやましそうに見ていた子供たちはすでに大人になっており、自立、子育てをしているシーンが描かれて終了する。
変な家だゾ 素晴らしいクレヨンしんちゃん考察 この20年における野原一家の移り変わり
雨穴さんの作品はミステリーやホラー、サスペンスなどに位置するのだが、なぜ怖さを演出できるかといえば、物事の本質や核心を的確に我々に伝えることにたけているからだ。
その能力をクレヨンしんちゃんでも発揮している。
クレヨンしんちゃんはすでに20年以上の歴史を誇る作品だ。そのため劇中のようにクレヨンしんちゃんを見て育って、大人になった現実の人々が多い。
野原一家は劇中では20年以上年齢をとることはなく、ひろしは商社で働き続き、みさえは幼い2人の息子を育て続けている。
そしてこの20年で野原一家のみかたは完全に変わってしまう。
クレヨンしんちゃんが世に出た当初は、岡田斗司夫が過去にテレビ番組で分析したように、ちゃぶ台を返すような父や、威厳たっぷりの親という象徴からはなれ、父も母もだらしない人間味のある一面が描かれている。
確かにクレヨンしんちゃんは家族を描いた作品ではあるが、押しつけがましい家族愛などがない
しかし90年代ではリアリティあふれる家族だったのが、この2020年代になって果たして野原一家はありふれた家族なのだろうか?
これはシン次元(以下省略)で指摘されたように、野原一家、特にひろしのスペックの高さは現代人にとって、かなり到達しがたいものになっている。
変な家族だゾ 考察 すき焼きシーンからみる歪さ
私が変な家族だゾをみて、一番興味深かったのが、雨穴に洗脳されたみさえが、ご飯をつくり、一家団欒で食べるシーンがある。
食事シーンというのは、家族アニメではかなり重要なシーンである。食卓を囲んで何かを食べる姿を見せることが「家族」であるというメッセージ性の強さにもなっている。
また食卓の上に何が置かれているかは、その家族の経済状況を示すバロメーターでもある
そこで出された料理が、すき焼きなのだ。
憶測なのだが、このすき焼きを食べるという工程、机の上の状況まで雨穴氏が監修していたとしたら、もうこれはすごいとしか言いようがない。
すき焼きは一般的に言えば高級食品。もちろんスーパーで安い肉をセールで買えば購入できるかもしれない。しかし一般的に毎日食べるような料理ではなく、「きょうはすき焼き」といわれたら、ガッツポーズするレベルだ。
単にすき焼きが食べられているのではなく、スペアのお肉、野菜が別皿に盛られている。
おそらくすき焼きをやるとなったら、1回分の量をまとめて鍋にいれるはずだが、ストックがある余力があるのだ。
これは、野原一家の経済状況の良さを示しており、雨穴氏に洗脳された異様な状況でもすき焼きを出せる経済力を示している。
ただ、反論材料として、雨穴氏に洗脳されて、あえてみさえが特別な日だからすき焼きにしたという見方もできなくもない。ただもしかしたら現代では、特別な日に高い料理を家族で食べるという家庭が年々減少しているかもしれない。
要するにこれは後述する「野原一家は浮いている」の仮説をより強める秒種になっている。
変な家だゾ ちびまる子、サザエさんと並ぶクレヨンしんちゃん
クレヨンしんちゃんという作品は、現代の子供たちに向けた幼児向け番組としても確立しているが、同時に幼少期に触れていた我々のような世代が昔を思い出すために見ているという側面もある。
クレヨンしんちゃんそのものは、こち亀のように日常系でありながら、常に最新の話題やニュースも作品に取り入れている。
しかし、雨穴氏が作品で指摘したように、しんちゃんの家族の在り方というのは90年代的で、彼らの生活そのものがノスタルジーを呼び起こすものになっている。
これは、かたくなに昭和時代を映すちびまる子ちゃんとは、少し違ったアプローチであり興味深い
日常系アニメが絶滅するというホラー
そう遠くない未来、日本の出生率が減り、生涯未婚率が過半数を超えるだろう。
そうなると、日常系アニメが更新されていくことはあるのだろうか?
というより、日常系アニメというのはここ最近、家族の生活が描かれているというものがどれだけあるのか?
あたしンちや毎日かあさんから果たして大きく更新されているのだろうか…
そもそも、学生生活やサークルでまったりしている子供(独身)のみの視点から繰り出されるアニメが多くなっているのではないだろうか?
家族主体の日常系アニメがなくなって、なにか大きな弊害があるかといわれたら、時代の流れの写し鏡としての役割がアニメにもあるから、そうなっているのだろうと自然と受け入れるのだろう。
変な家族だゾは意味を深堀すると怖くなるホラー
雨穴氏は、もちろん本作がのちに多くの人に見られることや、自分と同世代の大人にも見られることを想定して書いたはずだ。
そして「変な家族」というのは、文字通り野原一家を指している。
表の見方としては、雨穴氏が急に加わって、いびつな家族になった、不自然な家族になったという点で、変な家族になっている。
もう一段裏の見方として、クレヨンしんちゃんを強く引っ張る、見ている層が高年齢化して、いずれ忘れ去られていくものになるのではないかという寂しさというものが描かれている。
野原一家は、強烈な個性を持つ家族で構成された「変な家族」としてまさに話題性を読んだが、彼らの安定感や家族構成が、いまでは物珍しくそれだけで「変な家族」として浮いてしまっているという事実…
ちなみにこのコラボ回で「雨穴氏ってどんな小説書くのだろう?」って思った人は、変な絵がおすすめだ。
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