雨穴×成田悠輔 対談の要約と感想 雨穴氏の仮面の向こう側の素顔?に迫る 創作の裏に隠された不安と辛さ なぜ彼は「ホラー」を作れるのか?

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雨穴さんと成田悠輔さんの対談動画がyoutubeでアップされていた。しかも4か月前だから結構最近、最新の雨穴さんの感性だったり、心情を見ることができる。

個人的に雨穴さんのファン向けの動画にはなっているが、作家、クリエイターの苦悩なども垣間見ることができる。

特に動画だけでなく、書籍でも雨穴さんに触れている人は、見ると「あぁそういうことだったのか」って発見が連続するのでお勧めだ。

あと、ブログで雨穴さんについて触れる機会がかなり多くなったので、彼の作品の紹介と考察ということでカテゴリーを作った。カテゴリーから記事を読んでもらえると嬉しい。

最新記事や考察は下記から

「ネタバレなし」 ミステリー作家youtuber 雨穴氏最新作「変な地図」書評と感想 ドラマの内容、ミステリーの見せ方、栗原さんが主人公 

「【完全解説】(書籍・動画) 雨穴『変な家(全新録)』あらすじ・黒幕考察|左手供養の真相と片淵家の呪い」 

【最後の5分ですべてがひっくりかえる】差出人不明の仕送り 雨穴先生作品レビューと感想 ネタバレあり

雨穴氏 noteで最新作製作に対する苦悩と労力を語る なぜ雨穴氏は作品を描き続けるのか?

【雨穴ホラーミステリー】あの日、彼らは何をした ネタバレ極力なし レビュー ファンが待ち望んだ新作について 今までとどう違う?

 

 

 

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雨穴さん、成田さんの対談の前半要約 何者でもある雨穴さん、究極のインディーズ作家?

雨穴氏は自分のホラーについて、わからないことがホラーの本質であるが、自分がつくっているホラーは、最後に謎を解き明かしてわからせてしまうので、正統派からすれば、邪道だと思う。

 

最初から結末を考えて書くが、書いている間に別の着地点をかいていて、思い描いたものとは違う結末になることが大半。

 

結末に関しては、webライターを主戦場としてやってきて、いかにSNSでバズるか話題になるかを考えて書いている。

驚きを与えることは、通俗的だと思われるかもしれないが、自分はそういう要素を入れたい。

 

物を作ることが好きだから、ジャンルやメディアにこだわりはない

原体験として、小学生の時の図画工作で、みんながかっこいい、驚くものが好きで、クラスで目立っていた。

 

一方で、中学以降の美術では、あまり活躍できず、アカデミックやセンスを要求されるものがあわなかった。

専門性へのコンプレックスがあり、自分はずっと図工をやりたい

自分は全力で、間取りなどを書いているが、どうしても専門家から見れば足りない、不完全な部分がある。しかしそこが受け手に親しみやすさやつながりやすさを生む部分かもしれない

 

将来的にお化け屋敷をやりたいが、お化け屋敷は動画や小説のように自分が100%コントロールできないため、それが雨穴氏にとって苦手な分野かもしれない

ミュージシャンや漫画家を目指していたが、何物にもなれなかった。そういったアマチュアイズムが雨穴氏の根っこにある

 

それが結果的に、「何物でもあるような存在」になった

 

 

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雨穴さん成田さんの対談 後半要約 創作は不安と訳の分からない辛さからの逃避でもある

雨穴氏が怖いと思うホラーコンテンツは、ザビーチボーイズというグループの

聞いてみたが、美しい旋律にもきこえるし、牧歌的にもきこえる。でも急に挿入される不協和音的なリズムが、なんかものすごく胸をしめつけてくる。そんな楽曲だった。

 

たぶん雨穴さんの対談動画をみなかったら、一生知ることはなかった曲だろう。

15時間ぐらいぶっ通しで作業して迎える深夜から明け方が一番ブーストがかかる。

本の締め切り間近の1か月は1日20時間ぶっ通しで作業している。

チーム雨穴はなく、全部雨穴1人で作業している。

 

子供たちが雨穴みたいになりたいといわれたら、「やめておきなさい、辛い人生だから」と即答。

成田さんが「雨穴さんはいろんな人に求められて今幸せか?」と聞かれて俯瞰したら幸せだが

「幸せさを気持ちとして実感できていない」

創作の原動力が楽しいとか幸せではなく、ナチュラルに暮らしていると襲ってくる不安とか、わけのわからない辛さとかそういうものを忘れたりとか麻痺させるために作る。

何か作っているときだけは、いろんな不安とかから作っているだから作る。必死に辛さを作ることで埋めている。

社会的に成功しているが、満たされて作品の原動力である辛さが落ちるということはなく、どんどん湧いている。

不安がないと不安という性格。何かの不安が取り除かれると別の不安を探して、そこで不安になる。

成田氏「変な不安の悪循環を才能っていうかもしれませんね」

 

物の構造と心の構造のズレが生み出す不安

雨穴氏の作劇は、物を作ってそこからストーリーを練りだす。そうなると家族や親子へ流れてしまう。無意識にやっている。

家族的なしがらみ、トラウマはないのだが、「変な絵」を書いているとき、母性の暴走がテーマの作品だが、自分の中にもそれがあるのではないか?

 

間取り、家族は私たちが生まれながらにして、与えられたもので、それを変えることが難しい。

もしかしたら、変えられるかもしれない。しかし変えられそうで変えられないジレンマ、不安、苦しさというものが、作品に込められている。

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対談を見終わった後の感想 不安を抱えながら生きていくということの辛さと共感…

今回の対談、非常に興味深かったし、太字の部分を雨穴さんがかみしめるように話している姿が本当に印象的で、こちらもなぜか涙が出そうになった。変声期をつかった「雨穴」という鎧の向こう側の、クリエイターの姿を垣間見た気がしたから。

ちなみに、深くは言えないが、筆者も神経症を患っているし、鬱になりがちだし、多動的でいつも失敗したり、不安を抱えながら生きている。

 

そして「不安がないのが不安」というの雨穴氏の発言は痛く共感するところがある。

かくいう僕も、雨穴さんとはクオリティや世の中の評判は雲泥の差だが、ブログを書いて何か要約しているときや、世に問うているときは、誰かに伝わっていなかったとしても、自己完結しているし満足している自分がいる。

 

まだ、金額が少ないためか、お小遣い程度でもブログで広告収入があればやりがいになる。

雨穴さんは、もう食べることに困らないぐらいの広告収益をなどを得ている。

 

私も投資で普通の人よりは、資産は増えているのだが、増えたとしても数が上下したってだけの感覚で、そこに大きな喜びも悲しみもない。逆に一喜一憂しないからこそ、市場に残り続けているのかも。

不安とか辛さって、本当に本人にしかわからないことだし、年齢を重ねるごとに慣れるのではなく、むしろ恐怖して避けたくなってしまう。

 

例えば、銀行に100万円あったとして、仕事で2~3円ぐらいのミスをしたとする。本来それぐらいのミスなら発覚したところで注意で終わったりするのだが、自分は半日ぐらいそれを引きずるし、それを頭にいれすぎて新しいミスにつながる。

本当にわからない。若いころであれば、貯金100万ぐらいあったら、もう無敵だってぐらいの意識だったと思う。どんなミスをしても、それは自分の責任だけではない、家帰ったらゲームしよってぐらいの能天気さがあった。

 

そして、辛さや不安から逃れるためには、抱え込むのではなく、ひたすら作業する、没頭すること…なのかもしれない。

ただ、雨穴さんは本当に読み手や受け手のことを考えて、作品はホラーだが、そのホラーは真心がこもっている。

前回の「変な地図」での書評も書いたが、本当に読み手の利便性、読解力にあわせた親切な導線が素晴らしく。

 

「変な家」含め、雨穴氏の動画がここまで人気なのも、「わけがわからない怖さ」よりも「みんなでシェアしたくなるわかりやすさ」があるからだと思う。

 

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怖い、ホラーの本質について 無知・既知・未知への転換

今回の成田さんと雨穴さんの対談で感じたことは、私なりにホラーや現実がなぜ恐ろしいのか?

そして不安の根源は何かということについてまとめてみる。

 

最後に謎を解き明かしてわからしてしまうので、ホラーとして邪道という雨穴さんの謙遜があったが、個人的に雨穴さんのホラーは

「無知を既知(きち)にする恐ろしさがある」と評価している。

無知、既知、未知。この3段階の恐怖があると筆者は考えている。

身近な例を出すと、なぜ私たちは真夜中の繁華街が怖いのか。

 

無知というのは、全く知らないこと。だから怖さを感じるという概念すらない。

既知、これは周りから教えられたり、自分が身をもって体験して覚えること。

普通の家庭であれば幼少期から「夜は勝手に出歩くな」と親から教育を受けるし、学校からも「夜は街を出歩くな」と教育される。

 

物心ついた時にニュース番組を見たら、真夜中に起きた事件などが羅列して、「真夜中に外に出ることはものすごい危ないことなんだ」と刷り込まれる。

一方で親からあまり教育を受けていなかったり、ニュースを見ていなかったり、学校の注意をあまり聞いていないのであれば、無知のままで夜の繁華街へ出歩き遊ぶことへの抵抗はかなり薄れる。

 

しかし、そこで痛い目を受けたら、暴行に巻き込まれたり、だまされて金を巻き上げられたりしたら、それも恐怖の既知へと変貌する。

そして最後の未知。これは、既知の上に自分の中で恐怖のイメージを膨らませること。

 

例えば繁華街で〇人事件が起こったら、自分もその近くや似たような現場に行けば刺されるかもしれないと恐怖して近づかなくなる。

飲み屋でだまされてぼったくりされたら、全国すべての飲み屋が危なくてのみに行けないとなってしまう。

 

わからないから怖いのではなく、中途半端に情報が入っているから怖い。そして年齢を重ねて行動しにくくなったり、リスクを考えすぎるのは、多くの人が「既知」につながる情報を仕入れすぎてしまって、未知を膨らまして行動できなくなるからと推測している。

だから、日本の自〇者数でボリュームゾーンは4,50代の男性といわれているし、思春期の子供が多いのは、短期間で大量に知ることが増えるからだと思う。ましてやネットやSNSの発展は、余計な既知を増やして、未知を増幅しているといえる。

 

たぶん、雨穴さんの作品を見なければ、間取りに対して無機質で怖いものや人の情念がこもっているものなんて見方なんて絶対にしなかったと思う。

間取りは間取りとしか考えなかったと思う。

変な絵に対しても、複数の絵を組み合わせなければただの絵。中にはほほえましいとさえ思える絵もある。

もちろん、小説だから、フィクションだから意図的に恐ろしい意味を雨穴さんは乗っけているわけだが、だからといって現実で見えているものがそのままの意味である保証なんてどこにもない。

もしかしたら、僕らの中にある既知になって未知に対する不安が雨穴さんの作品を通して、増幅しているかもしれない…

 

雨穴さんの不安の根源は、人よりも過剰に吸収を急襲してしまうところではないかと推察している

常に変な家や変な絵のように、一見したら何の変哲もないものが、実は…ってことが雨穴さんの実生活で起こりまくっているのかもしれない。

そう考えるなら、確かに素晴らしい作品は作り続けられるかもしれないが、生きることに関してはものすごい大変だなと思う。

たとえて言うなら、花粉症なのに、毎日が春で杉の木まみれの場所で歩いているような危機感…

 

ということで、youtubeでいろんな対談動画をみるんだが、ここまで内容が濃くて、感情を揺さぶられる対談はかなり久しぶりだった。

格闘プロゲーマーの第一人者の梅原氏が、他業界同士の対談は、互いをほめあうだけだから中身が濃くならないといっていたが

今回の対談は、成田氏の問いかけに雨穴氏が本気で悩み、絞り込んで出した、普段の雨穴氏の創作では見えない、仮面の向こう側の雨穴氏を垣間見た気がした。

しかし、それは喜びというより、苦痛の方が大きかったかもしれない。

 

 

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