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上島竜兵さん死去 速報と報道からみる「死」を伝えることについて思ったこと 死への対策

2022年5月11日

ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんが、死去されました。あまりにもショッキングな内容です。速報され、ネットでは病気があったのか?家族関係、子供、娘とかなり不謹慎な情報が飛び交っています。
私が個人的に感じたのは、報道の伝え方です。仕事があったので、ワイドショーを細かく見ていたわけではありませんが、感じたこと、変わらなかったこと、今後の有名人の死についての報道へのあり方について、思ったことを書きます。

筆者は大学時代に臨床心理学を専攻し、カウンセリングを受けた経験も豊富にあります。プロとしてではありませんが、ボランティアも相談関係のボランティアに1年以上かかわってきました。

そして、この場を借りて、上島竜兵さんのご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

上島竜兵さんの死因が報道されたまずさ 即座に死去した状態だけを伝えた理由

7時に報道された速報では、上島さんの死因について、報道されていました。

この死因は、三浦春馬さんなど、一連の俳優の死と同様のもので、ニュースを見た人々には、大きなショックを与えたことでしょう。

有名人が自分で死を選んだことが、報道された場合、ウェルテル効果として、報道をみた一般人が、連鎖的に死を選ぶという現象が起こるといわれています。

特に三浦春馬さんや、上島竜兵さんが選んだ死の方法というのは、有名な方法であり、だれでも実践することが容易であります。

そのため、8時以降のワイドショーでは、「自宅で死去」という死因については、触れられない報道がとられていました。

私もこうしたことが正解だと思います。自分で死を選んでしまったことを捻じ曲げることはできませんが、死因について、公開することが正しいとは思いません。

有名なアーティストや、芸能人の場合、同じ手法で後追いが発生する可能性が、高いからです。

 

上島竜兵さんが死を選んだ理由について、答えのないことを語り合って、共同を強制するマスメディア

私は、死を選んだ人が、なぜ死んだのかの理由を語り合うことは、無駄なことであり、死の冒涜でさえあると思っています。

近年のメディアは、死の事実だけを伝え、不安をあおるのではなく、相談窓口を紹介することを義務付けられています。

しかし、相談窓口を紹介するという大義名分をもとに、長尺をつかって、なぜ死んだかを議論しあうのです。

不謹慎かもしれませんが、いじめであったり、死を選ぶということは、明確な答えがないため、出演者が、自分の感想を寄せ集めるだけでも成立します。

また、答えがないからこそ、ずっと話し合うことができ、尺も取れるのです。

これは、受け手にとって、不安を掻き立てる議論でしかありません。

  • ○○さんは、明るいけど心の中では傷ついていた
  • ○○さんは、仕事がちゃんとあったのに、急に亡くなった
  • ○○さんは、みんなに好かれていたけど孤独に弱かった

おそらく、これらの要素に該当しない人は、少なく、誰しもが「俺もかも」と該当し、不安を覚えるのです。

では、不安を解決するためにはどうすればいいのか?みんなで考えよう、みんなで話し合おう。孤独な人にとってはテレビやメディアに触れていこうという誘導にも見えます。

 

死に対する報道への違和感と対策 死は常に隣り合わせであるという意識

私は、毎回のように「○○さんが死ぬとは思わなかった」という言葉に疑問を抱きます。

なぜなら、死ぬとは思わなかったという言葉、死を臭いものとして蓋をしているような使われ方だからです。

心理学では、タナトスなど死への欲求を人は持ち合わせていることが記載されています。

そもそも日本は、一時期ずっと1年間の死を選んだ人数が3万人以上をキープしていた過去があります。減ったとはいえ、現在も2万人を超えているのです。

感染症が諸悪の根源のように語られていますが、微増はしていても、極端に上昇しているわけではありません。

家族が集まり、家にこもることで、外のストレスに対しての対策がある程度、できているのでは?と思います。

死を選ぶことについて、私も関連書籍を読みますし、1年に1か月ぐらいは、死にたいと思いつづける期間があります。実は今がその期間でして、夢でも上島さんと同じような死を選んだ夢を見ていました。(無意識のうちに願望していた?)

つまり、突発であれ、計画的であれ、人々の中には、希死念慮(死にたいと願う)を持っている人がおり、そういう人たちがいてもおかしくないという考えの上で、対策することが必要なのです。

例えば、孤独になった場合、他人に相談できない場合、どのような行動をすべきなのか?

挫折や失敗をした場合の、代替行動は何をすべきなのか?

日常生活で、自死のリスクが常にある、隣り合わせであるという意識であったり、考えからの対策をすべきなのです。

よく、地震の報道を受けると、枕元に地震対策グッズを買う人が増えますが、同じように自分の死に対して、どのようにセルフケアできるかが大切なのです。

こればかりは、自分の中である程度、マインドコントールできる方法を考えていく必要があります。

鬱になった時も、どのように対処するのか?

有名人の死の報道については、あくまで有名人個人の問題だけで風化させてしまっており、それでは、有名人の死を食い物にしているという、違和感が拭い去れないのです。

 

自殺への対策の1つ 自分が自殺するとしたら、何が理由になるかを考える

自殺対策について、抽象的なことしか発言できなかったので、私が実際にやっている対策を記載したいと思います。

仮に私が自分で死を選んだ場合、主にこの理由で死んだということになるでしょう。

私は、まず希死念慮にかられたときに、なぜ死にたいかを言語化してみます。

「いや、言語化できる時点でお前冷静だろ」っていわれるかもしれませんが、パニックになって、不安になっているからこそ、あえて言語化を試みるのです。

ちなみに中学生時代は

容姿について、学校に来るたびにいじめられ、けなされ、殴られてきた。俺はそれが嫌だから、この世を去る。どうせ生き続けても何もいいことはない

と理由を仮定しました。結果に移した場合、おそらく私をいじめた人間の中には、反省するものもあらわれるでしょうが、中学生であり、複数人で責任感も割り勘されているため、結局はその後遊び惚けて、楽しい人生を送られる。それは悔しいからとりあえず死ねない。

大学生の時は

いじめを受けた傷をそのままに、同級生をいじめてしまった人間の屑だ。さらに集中力が途切れやすく、運転免許すら取れなかった。自分はゴミである。社会で活躍できるわけがない。だからこの世を去ろう

中学生の時は、被害者意識で死にたかったのが、自分が加害者になってしまった情けなさ、そして能力のなさを痛感して、生きる期待値よりも死の期待値が跳ね上がりました。

この時ばかりは、時間に身を委ねました。時間が解決するというのは、年を重ねるごとに痛感させられます。

あと、私のような無能であっても、死を選べば、生んだ親は仕方ないとして、弟は困るだろうなと思いました。本当に死にたくなれば、そんな余裕もないですが、書き留めて言語化することで、冷静に死んだ後の状況も想像することが可能になりました。

現在30歳を過ぎて

結局、容姿についていじめられた後に努力もできず、彼女もできていない。

仕事はなんとなく継続しているが生きてる実感はない。何のために貯金をしているのだろう。

ブログで収益があがっているといっても実感がわかない。

親の厳しい介護がそのうち待っているんだろうな・・・

15歳で終わらせた方がベストだったじゃないか・・・

だれにも愛されないなら、このまま終わらせた方がいい

30歳というある程度、人生を生きてみたうえで、たどり着いた結論であり、これを崩すことが相当難しいです。

20歳の時にいろいろ趣味に没頭してみたりしましたが、そんな趣味もないです。

学生時代の理由は、とにかく今が苦しい、しんどいでしたが、大人になると、将来に期待がもてない、展望がない。生きる期待値より死の期待値が跳ね上がっている状態です。

この方法は、自分の死へのイメージをすることで、逆に生きるための方法を見つけるというものですが、欠点としては、自分の死の理由があまりにも具体的だったり、自分の心をえぐるような理由であると、死への加速装置になってしまうところです。

現在進行で悩んでおり、この課題に直接ぶつかるのか、逆にかわして別の価値観につなげていけるのか・・・そういう瀬戸際にあるのかな?と思います。

 

死の理由を書くことは、セルフカウンセリングであり、対策になる

私が赤裸々に、自分の死の理由を時代ごとにあげたのは、これが一種のセルフカウンセリングだからです。

カウンセラーがいない場合、このように自分の気持ちを文章化し、客観視することは、冷静さを取り戻すうえで非常に重要です。

文章にすることで、あたかも他人の問題のような客観的思考がうまれ、自分の問題が、主観でしか見れないという危機感から、とりあえず距離を置くことができます。

前述のように、あまりにも具体的に理由を並べすぎると、死への加速になってしまいます。これは気を付けてほしいので、自分の無理のない範囲でやることをお勧めします。

また詩を選ぶかどうかは本人のメンタルによるところが大きいです。

例えば億超えの借金をしても平気な人がいれば、100万ほどの借金で命を落とす人もいます。

私は、生きることがベストだとは思いませんが、生きることで楽しめること、得られることの期待値が1でもあれば、とりあえず生きたほうがいいと思っています。

いつかみなさんと笑いあえるといいですね、では私の次のブログの更新までお待ちください・・・

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