僕がいつも活用しているSNS、ツイッターであるワードがトレンド入りしている。「自殺動画」今回は、このトレンドについて語ろうと思う。
私も学生時代は臨床心理学を専攻していて、カウンセラーを目指していたし、鬱になったり、死にたいと思ったことは何度もある。これからもあるかもしれない。
いつもブログの最新記事はツイッターで報告しているが、今回は記事の性質上、宣伝などはしない。
ただ、今そこにある現実を伝え、思ったことを書くというブログ本来のあり方に即して、記事を書いてみる。
※この記事は、ショッキングな内容を一部含みます。しかし、自殺、自傷行為を奨励する記事では決してありません。
Twitterでトレンド入りした自殺動画について
昨年は凶弾で命を落とした安倍元総理の動画
そして今年は、飲食店を騒がせた調味料などに唾液をつけるある種のテロ動画
動画というのは生々しく、ありのままの映像を我々に伝える。
今回もその例にもれなかった。
誰しもが「釣り動画だろう」「誰かのいたずらだろう」そう思って、興味本位でトレンドでクリックをした。
2023年4月14日時点でも本当かどうかはわからない。
下記、動画の内容を含む文章になるため、閲覧の際はご注意ください
その動画では、女子学生と思しき女性2人が制服を着たまま、せーのといって飛び降りているような内容が確認された。そのあとに遅れるように銃撃音のような発砲音に似た轟音が流れる。かなりショッキングな映像だ。
実際に、関東で同様のニュースが報道されており、2人の少女は帰らぬ人となっている。(動画とニュース内容が同一であるかは明確ではない)
Twitterというのは、通報がない限り、性的な画像、暴力的な画像は、他のメディアに比べて放置される傾向にある。放置というか、取り締まりがyoutubeなどに比べるとかなり緩い。
自殺動画をめぐるツイッターでの議論
動画に関して、本物であると断定している人が多く、不謹慎である、見るべきでないという意見もあれば、これが日本の現実であり目をそらしていけないというニュアンスの意見もある。
動画は少女たちの自撮りなのか、第三者が介入しているのか、いまのところ全くわからない。
今回に限らず、自分の死を掲示板や動画でリアルタイムで配信するという例は、過去にも見られた。
私も希死念慮を持つ人間ではあるが、飛び降りというのは歩行者にぶつかる可能性もあるということをどうしても考えてしまう。
さらに自ら配信をするという行為。承認欲求と片付けるのはあまりにも早い。
自分たちの死の瞬間を全世界に発信することで何かを訴えたかったのか?
自分たちの死の原因を作ったものに対しての恨みを発したかったのか。
しかし、本当に追い詰められた人間というのはそのような「たられば」を考える余裕は全くない。
Twitterでは、自殺動画や自殺配信に対して、別の動画を差し込んだり、別の励ますような言葉を投げかけることで、注意をそらす?という人もいるが
現実はトレンドで検索してしまえば、すぐに例の動画にたどり着いてしまうため、あまり意味をなしていない。
またすでにツイッターのアカウントや、有名配信者と関係があるのでは?という情報が飛び交っているが、この記事ではそのような情報を明かしたところでなんの進展にもならないので、そこで議論はしない。
自殺動画、配信のフォロワーがあらわれるという危険性
日本という国は一時期は毎年のように3万人の自殺者が報告されており、行方不明者も加えるとさらに多くの自殺者がいるのではないかと推察され、いわゆる自殺大国といわれている。
今回の自殺動画の件に限らず、有名人が死を選んだなどのニュースが報道されると
やっぱりこの世の中って本当に辛いんだ、生きるのやめようかなとネガティブになる自分と
なんとか自分は踏みとどまって、1分1秒、明日を生きなければと義憤にかられるような自分もいる
今回もそんな二律背反した感情をものすごく抱いてしまった。
もし死んだ彼女たちが自発的に配信したとすれば、現在のように死後誰かが、ネット上で拡散され、保存されるという事態は多少想定していたのではないだろうか?
インスタのストーリーでさえも消化されずに保存され、回される世の中だから。
懸念さるのは、スシローの騒動が起こってからも人気になりたいからといって飯テロ模倣犯が続々とあらわれたように
今回のTwitterトレンド2位をトリガーに、苦しい今の生を生きるのであれば、ネットでずっと語り続けられる、残る存在になりたいと思う人間がフォロワーとしてあらわれる可能性があるのではないだろうか?
この問題点は、自分たちの動画が残って語られること、同情されること、同じように社会や自殺に追い込んだ相手に対して怒ってくれることを期待するという
自殺=希望、自殺=メッセージとして自殺に対してポジティブな側面を錯覚してしまうことだ
私は、本当に人生で疲れてしまった、希望をなくした、何も頼れるものがないという人が自分で死を選ぶということを誰も止めることはできないと思っているし、助けることも難しいと思う。
せめて、自分の家族や友人だけは苦しかったら、その問題に寄り添ったり、一緒に解決する道を探ることしかできない。
しかし、今回の件でフォロワーが現れるなら、彼らは一種の錯乱状態で自殺に対して誤った希望を抱いてしまう。それは個人的の見解として、間違っているといえる。
この手の問題は、何を言っても不謹慎、自分勝手と解釈されかねないのだが、今回の自殺動画のニュースや、動画を実際に見て、思ったことを赤裸々に語った。
亡くなった少女たちが、死後も苦しまないようにご冥福をお祈りいたします