ネタバレしかない トイ・ストーリー4 ウッディの葛藤とと20代後半~30代前半になった僕たちの悩みが交錯する

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どうも、今回は久しぶりに映画レビューです。

紹介するのは

トイ・ストーリー4

です。

あ・・・タイトルにもあるように「ネタバレ前提」の考察になります。ご容赦くださいね。

ピクサーの旗揚げとなり、代表作の一つである「トイ・ストーリー」の完結作?前回あれだけきれいな幕引きをした3の続編ということで、良い意味でも悪い意味でも注目を集めた4です。

正直4って娯楽作として、そんな面白い映画ではないんですよ。なぜかって、やっていることが今までの1~3の焼き直しのシーンだったり、展開だったりするわけです。

1のビデオを擦り切れるまでみた僕にとっては、お約束のシーンばかりで、新鮮味はなかったです。

そして、もしお子様と一緒に劇場に見に行くとしても、1~3を懇切丁寧に解説しているわけではないので、1~3の展開を多少知ったうえで見ないとわからない映画ではあるんですよ。

以上を踏まえて、4をあらわすなら

ウッディというおもちゃの人生の行く末を追体験する映画

3でアンディからおもちゃを引き継いだボニーによってゴミからつくられたフォーキーっていうユニークな仲間や、1でウッディの恋人だったボニーの再登場などのキャラクターの展開はあります。

ただ、バズはラストまではかなりコメディキャラとして扱われていましたし、レックス・ポテドヘッド、ハム、スリンキーといったレギュラーキャラは、まったくと言っていいいほど活躍しません。

劇中の8割~9割はウッディで構成されています。

最初、エンドロールが流れた時

「なんか、唐突だな・・・ラストのための100分だったな~3で終わっておけばよかったかな」

と思っていました。周りの観客もそんな声が漏れていました。

ただ、風呂に入りながら、自分の人生と重ねてみて、昨年に転職した時の心境と結構オーバーラップしてるんじゃね?と思ったとき、ちょっと見方が変わりました。

ウッディは、アンディのお気に入りで、周りから一目置かれる指導者でした。

しかし、ボニーにはあまり好かれておらず、スタメンから外されます。それでも指導者としての役割は捨てきれずにいます。

リスクを承知で、ボニーの幼稚園体験入園に潜入し、はぶられているボニーに気を使います。その中で、ボニーが作ったフォーキーが彼女の幼稚園生活にとって大切なものであると確信したウッディは、なんとしてもフォーキーをボニーのお気に入りのおもちゃとしてメンタルから振る舞いまで、指導します。

1を見ている人は、まずここで感動すると思います。1ではバズという来訪者が現れ、ウッディは嫉妬で、バズにあらゆる妨害工作をして、そこでトラブルが起こります。

おそらく1での経験を踏まえているのもあるのでしょうが、ウッディは「もうボニーの心の中に自分はいない」という確証があったのだと思います。

トイ・ストーリー・・・というよりおもちゃの世界に終身雇用は存在しません。

どれだけ素晴らしい愛のある主人に恵まれても、成長したら飽きられますし、引っ越ししたら整理されます。その時の心の傷を抱えつつも、新しい主人に巡り合うことを祈るか、捨てられたことによってダークサイドに堕ちるか・・・というのがトイ・ストーリーのおおまかな話でした。

ウッディは、「おもちゃは子供に遊ばれて、愛されて、幸福に感じるんだ」という信条を持ちつつも、アンディとの別れから、それが絶対ではないということを経験上知ってしまっています。

彼が、執拗にフォーキーを指導する姿も「ボニーに愛されるおもちゃとしてのウッディ」という役割が難しいから、指導役に徹するということを考えると、なんだか切ないですね。

バズが、フォーキーの世話に追われているウッディの身を案じると、ウッディは「心の声がそうしろと、従っている」と返答します。

過去作で、自分が敵役にいってきた「おもちゃとしての幸せ」と現在の「ウッディとしての幸せ」は確実にずれている。

これは、心理学でいう超自我(○○でなければならないという規律)とエス(自分はこうでありたいという欲求)の狭間でウッディという自我が、戦っている状態です。

このことについて、バズは全くその気持ちがわかりません。「心の声」=「音声スイッチ」と誤解します。これはコメディとして活用されていますが、バズにとっては2のウッディのように、おもちゃとしての幸せとバズとしての幸せが、イコールになっているから理解できなかったのです。

車から出たフォーキーを連れ戻し、アンティークショップでボーの電気スタンドを見かけます。

そのアンティークショップで、ギャビーというウッディと同様のアンティークのおもちゃで、ひっかけ紐で音声が出るおもちゃと出会います。

ギャビーはウッディと違って、生まれながらにしてずっとアンティークショップの棚に飾られ、子どもに遊ばれ、愛された記憶がないです。その原因は、彼女のボイス装置が壊れているから。ウッディの装置と取り換えようと、ウッディとフォーキーを捕えようとします。

ギャビーは、今までのダークサイドに堕ちたおもちゃと違って、捨てられた経験がないため、純真に愛されたいという欲求があるだけで、単純な「悪者」として描かれていません。最終的に、彼女はウッディが初代から提唱した、おもちゃらしい幸せを獲得しようとします。

ウッディは間一髪で抜け出し、逃げ出した先に、9年前に別れたボーと出会います。

ボーは、アンティークショップに飾られましたが、そこから脱出し、迷子のおもちゃになりながらも、移動遊園地で、子どもたちの相手をしつつ、自由を謳歌しています。

おもちゃのルールを結構やぶっていますね(笑)。まるでデトロイトの変異体のような感じです。

ボーは、腕をテープで補修し、つえも折れたものを補修と商品としての魅力は失っていますが、すでにおもちゃとして、子どもに媚を売る必要はないという意志の強さでもあります。

そこからフォーキー奪還のために二転三転して・・・

https://youtu.be/QJSZjVY50aQ
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ウッディの選択について

この映画のラストは、ウッディがバズの

「彼女なら大丈夫だ・・・ボニーは大丈夫だ」の一言で、ボーと一緒に迷子のおもちゃとして、自由に生きていくという選択をして、仲間と別れます。

ウッディにとって、気がかりだったのはおそらくボニーではなく、自分の仲間たちを結果的に裏切る行為になるのではないかという後ろめたさだったのかもしれません。

それが、仲間を見捨てない向こう見ずな行動や、ウッディとしてではなく、おもちゃとしての行動をがむしゃらにやってきたと考えると、最後のウッディは報われたのかなと少し思ったり。

完全なハッピーエンドというわけでもなく、ウッディの新しい人生はこれから続いていくような終わり方をします。

実社会に落とし込むと、ウッディはフォーキーというボニーの新しいパートナーを残しつつ、しっかりと新しい職場、もしくはフリーランスとして生きることを決意したように見えます。

幼稚園や小学生のころにトイ・ストーリーにふれた私たちは、すでに20代後半~30代前半。

親となって、子どもと一緒に劇場に足を運んでいる同世代もいる一方で、僕のように身は固まらず、いまだにおもちゃと遊んでいる人も多いかもしれません。

そして、この時期というのは、結婚だったり、転職だったり、今後の人生を左右しかねない大きな決断を迫られる時期でもあります。

トイ・ストーリー4のメッセージはとてもストレートです

「今おかれている環境が自分にとって本当に幸せなのか」

「自分が○○であるべきだという考えに固執していないか」

こういう問題提起を投げかけてくれます。20代後半世代ならズシリとくる内容かもしれません。

今までの流れから、トイ・ストーリーは「おもちゃ論」で語られることは避けられないです。

しかし、この映画は、「風立ちぬ」みたいに、ひたすら人物の情動や感情のゆさぶりを考察しながら、自分の人生に照らし合わせて考える、深みのある映画だと思います。

今、人生の悩んでいて、幼少期にみたトイ・ストーリーに慰めてもらうのではなく、さらに悩みを深めていくという流れで活用してもらいたいです。