最近、時事ネタについてコメントする記事が増えたので、ニュース関連のカテゴリを追加しました。よかったら暇な時間にお立ち寄りください。
さて、今回はちょっと胸が痛くなる事件です。
富山市の50代の無職男性が、野良猫、飼い猫問わず1年間に50~100匹を餓死させ、死体を遺棄したという報道が流れました。
メディアによっては、ボランティア団体が犯人である男性に問い詰める様子をモザイク+音声加工されていますが、無加工のメディアもあります。
男の言い分によると
ずっと独りで誰にも相手にされなかったことで、ストレスが溜まる。
そのストレス発散のために猫を捕まえ、ふろ場に閉じ込めたり、お湯をかけたりという虐待を行うことで発散していた。
他にも風呂場でお腹をすかしてニャーニャーと鳴くさまをじっくり聞くことに興奮を覚えるなど、かなりサイコな供述もしています。
僕も犬を飼っているので、報道当時はこの身勝手極まりない言い分に、かなり憤慨していました・・・
でも今回は、あえてその犯人の行動原理について、少し考えてみようかなと思います。
自分より弱い立場を監禁して、餓死させることで男が得たもの
これが、別に良い話ではないですけど、害虫に同じことをやったら被害届とか、ニュースにはなるかもしれませんが、ここまで批判が殺到しませんよね。
動物で犬ではなく、猫というのは放し飼いされていることが多かったり、野良猫がどの地域にも頻繁に生息している点からターゲットにしやすかったのでしょう。
最初から嗜虐性(残酷なことが好きなこと)目的で、捕まえていたかわかりません。寂しさを紛らわすために、野良猫を自分で育てようという気持ちが1%でもあったかもしれません。
実際に孤独をかかえた中年男性が、野良猫を自宅で養い続けることで、野良猫が大量に繁殖活動をしてしまって、家じゅうが猫まみれという事件もありました。
いずれにせよ、孤独をまぎらわすために、自分より立場の弱い猫という存在を家において、仮の主従関係に満足していたわけです。
さらに、ボランティア団体の詰問に応える彼の姿は、とても50匹以上の猫を餓死させた凶悪犯には見えず、非常に老けていて、姿勢も非常に小さいのです。
餌を与えない、一定の場所にずっと閉じ込める、相手の要望を聞かないといういじめとハラスメントを繰り返すことで、日常生活では味わえない全能感(自分は何でもできる)に浸っていたのではないでしょうか。
現代では、ゲームでハイスコアを記録する、車を上手に乗りこなす、好きなアーティストの曲をギターで再現する。
といった、趣味や日常生活のちょっとした行動を蓄積させて、仕事やプライベートで積み重なった挫折や不安をカバーしようとします。
この犯人は50歳を超えていますが、全能感を合法な方法で解消するやり方をうまく見つけられなかった、あるいは犯罪をするという行為そのものに刺激を受けたのでしょう。
また、全能感というのは、言い換えれば自己肯定感に繋がります。
自分で自分を認めることができず、周りからの承認でしか自己肯定を得られなかった、なれの果てが、弱い生き物を監禁して餓死させるというのは、やはり暴走としかいいようがないですね。
「家族」への嫉妬
今回、仮に野良猫だけをターゲットに絞っていたら、残忍な男として記録はされていたと思われますが、ここまでの批判を受けることはなかったでしょう。
しかし、犯人は飼い猫までもターゲットにしています。
おそらく、捕まえた猫の中には首輪や飼い主であることがわかる印がされているはずです。
素人でも毛並みの艶などで、飼い猫かの判別はつきます。
彼は、他人が家族同然に養っている猫に餌をちらつかせ、誘拐して監禁して餓死させているのです。
道路に捨てたら、変死体として警察に捜査される
一方で、自分の行為に対する罪の認識が十分にありながら、犯行に及んでいるのです。
これは、明らかに彼が積極的に飼い猫にまで、手を染めていると考えるのが妥当でしょう。
これは、私の想像ですが、50歳になって、家族関係をつくることができず天涯孤独になった男。多少なりとも人に好かれようとしたり、家族をつくろうと金銭的な代償を払ってきたのかもしれません。
そんな男の目の前に移るのは、かわいくて、人によりつくだけで家族として承認され、大切に名前を呼んでもらって、育てられている猫たち。
自分の無力感とそんなペット社会に対するぶつけようのない怒りなどが、男の心の中に沸き起こったのではないでしょうか。
その反動が、ふろ場に閉じ込めて、粗末に扱うということで、嫉妬心が満たされているのです。
日本の少子化の波は止まらないでしょう。子供を育てることよりも、かわいくて従順で、面倒を見ることにも一定のコストとやりがいのある犬や猫を飼うほうが、メリットが大きいとして、選択している人が多いのもこの現代社会。
裁判でも、子どもではなくペットの親権で争うケースがいろいろと・・・
このペット社会の影で起きた、ある50代の男が起こした凶悪事件は、再び私たちとペットの関係の在り方を考えさせる契機となりました。
この男性は、確かに鬼畜といわざるをえない所業をしました。
しかし、長期間孤独の状態に置かれ、今後もこの状況が好転しないとなると・・・同じ事件でなくとも、この男性のような狂気的な立場に身を置く可能性は誰だってあるでしょう。
今後、より一層早期退職の波がきて、老後ではなく、40代中盤からすでに孤立無援という状況になりかねません・・・
私たちは、今一度自分が何によって支えられ、何を支えようとしているかを再認識しなければならない時期に来ているのでしょう。