先日、新作映画公開を記念して、テレビで一年前の映画が放送されていたので、みた
監督・脚本は大根仁監督。「モテキ」などが代表作なんだけど、なんと最近はネットフリックスの「地面師たち」で一躍時の人になっている。
この「しん次元!」…なんていえばいいだろう、とべとべ手巻き寿司は公開されてから、かなりの映画オタク層から批判を受けた。
その代表が、考察系で尊敬している「おまけの夜」さんだ。
ということで、結論から言うと、ハードルを極限まで下げたので、案外楽しめた。
しん次元!クレヨンしんちゃんTHE MOVIE 超能力大決戦 とべとべ手巻き寿司 作品評 3Dの恩恵はあったのか?面白かったのか?
メッセージ性の指摘は置いておいて、この映画が純粋に面白かったのかどうかを振り返る。
まず夢中になってあっという間の90分だった…とは思わなかったし、涙もろくなっていないが泣かなかった。
ドラえもんも3Dにしたときに泣かせる方向にいったはずだけど。
お話が野原一家に焦点があたりすぎて、かすかべ防衛隊はそんなに活躍しなかったし、エスパー研究所と令和てんぷく団がめっちゃ仲良かったというのが、なんかすごく寒かった。
アクションに関しては、3Dになったことでなんだかもっさりした感じがする。3Dの映像美とかは、7年の製作期間と白組によってすごく良いものができていると思うけど
しんちゃんのアクションって、しんちゃんや野原一家ががむしゃらに動いたり、走ったりという動的なものが面白いのに、超能力を使うことで、すごく間延びした気がする。
しん次元!クレヨンしんちゃんTHE MOVIE 超能力大決戦 とべとべ手巻き寿司 非理谷充(ひりやみつる)って悪者なの?
本作のメインヴィラン(悪役)の非理谷充(以降は充)について
学生時代はいじめにあい、両親は離婚し、オタクでガンタムロボが好きで、アイドルが好き。そんなアイドルの自宅の送り迎えをなぜかできる関係だったけど、アイドルは当然別のイケメンと結婚して卒業。
充は30歳になってティッシュ配りのバイトをしている。
正直、ティッシュ配りのバイトをして、一人暮らしできてるだけで十分立派。お前はもうがんばったというレベルだと思う。
失われた30年の被害者、時代の被害者、弱い若者という象徴として充をみると、最後のひろしの「がんばれ」はすごーく残酷で、上から目線に聞こえるけれど。
充という劇中のキャラ単体で評価すると、彼は冤罪とはいえ追いかけた警察を悪の力で蹴散らし、大勢の市民のスマホをぶっ壊し、幼稚園に立てこもり事件をして、幼児たちにトラウマを植え付けた
極めつけは、令和てんぷく団のアジトで暴走するのだが、たぶんそこでエネルギーを提供していたひきこもりたちは、爆発の際に大勢死んでいると思う。
以上を総括すると、充は下手すれば死刑というレベルで大罪を犯している。
だからすごーいリアリストな言い方すれば、しんのすけは
「おつとめおわってもオラたちは仲間だゾ」って言えば、まぁ救いになるのかなと。日常系アニメってどのような人に対しても開かれた存在なので。(そういうテーマの映画じゃないけど)
しん次元!クレヨンしんちゃんTHE MOVIE 超能力大決戦 とべとべ手巻き寿司 大根監督のリアリティがずれていると感じた理由
この充とか、社会問題がいろいろと劇中で提示されるから、ものすごいリアリティのある作品だと思って聞いてしまうんだけど
34歳の僕が、若者のカテゴリーに入るかどうかは微妙なんだけど、出生率の低さとか、FIREという言葉が生まれ、投資思考が強まっているとか
ぶっちゃけ
野原一家のように家庭をもって、車があって、庭付きの家があるってことにものすごい憧れがあるとか、そうなりたいと思えるような状況にはないんじゃないかなと思う。
そりゃあ、ジェラシーが0かといわれたらそうではないけど、ひろしもみさえもあの家庭を維持するためにものすごい努力と苦労をかけているのだから。
あと、すごいマジレスをすると、一番大変なのは、バブル世代なんじゃないかな?って思う。あとは団塊の世代の熟年離婚とか
バブルって短期間だったけど、あの短期間で自分の力を過信して、勘違いして、金を使うだけつかったり、実力もないのに家庭をもったりして、そのツケをすごい払っている人が多いと思う。
それだけが理由じゃないけど、日本の自〇率で50代などが多いのって、因果関係があるんじゃないかなって思っている。
今の若者って、最初から映像作品は安く買えて、情報は簡単に収集できて、見合いから結婚して子孫繁栄を強制させられていないという点では、すごい幸福だと思う。
恋愛の形などもある程度、自由度が高いし。
しんちゃんが世に出た90年代に、よーし家庭をもつぞー、車を持つぞーってやって、自分の実力以上の出費とかメンタルを削っている人が、一番大変だと思うし、一番がんばれって対象になっているんじゃないかなと。
あと、大根監督が若者の気持ちなどが全く分かっていないっていうけど、映画監督って滅茶苦茶苦労して、映画一本を作るために並々ならぬ努力をしている方々
そういう人たちが、努力を放棄している若者に同情できないのって、別に当たり前のことじゃないかなと、それを指摘したところでという感じで
クレヨンしんちゃんで現代風刺をやる意味があるのか?
余談として、クレヨンしんちゃんで、社会風刺をやることが正しいかどうか。
これは「モーレツ オトナ帝国の逆襲」っていう古典があるから許されているって思っている人もいると思う。
明らかに、とべとべ手巻き寿司はオトナ帝国にインスパイアされたんだなって思う箇所がいくつかあった。
ちなみに、劇中で活躍した、深田恭子の「キミノヒトミニコイシテル」は2001年の楽曲で、オトナ帝国の逆襲と全く同じ年なので、この因果関係も見捨てられない。
2001年に起こったことといえば
- 小泉内閣の発足(貧富の格差の拡大といわれている)
- 9.11が起こる
- 大阪・池田小連続殺傷事件
- 日本の失業率5%、米国リセッション入り
などなど、非常に暗いニュース、ここ20年の中でもいまだに覚えられているトピックばかりなのだ。
それに比べるとオトナ帝国は、ノスタルジーと今の生活って対比を徹底的にやっていたし、フィクションとしても面白いし、リアリティはあるけど、ゴリゴリにリアリティを押し付けるのではなく、ファンタジー要素もちゃんとある。
あと、ちゃんとアクション映画として見せ場と面白さがある。
確かに今回の映画は原作の26巻が下地になっているようだけど、わざわざクレヨンしんちゃんで取り上げる問題なのか?
それも7年もかけて作ったフルCGでと。
いい表現をすれば、チャレンジ精神あふれるけど、悪い言い方をすれば、あえてやる必要はあったのかなと思った。
いろいろ語ったけど、個人的に好きな映画というのは、面白いとか、優れている映画だけでなく、終わった後に語りたくなる映画なので、私個人は楽しめた。