万引き家族にリンクする日本社会 コロナショック、野田市虐待死事件は映画を超えた |ジョーカー パラサイト半地下の家族 是枝監督 ポンジュノ監督 評価

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コロナショックにより、映画館で僕たちが鑑賞していた「ジョーカー」「万引き家族」「パラサイト」がそこにある現実として、問題になりそうだ。ダウも日経平均株価も下落、そして実体の経済は中国の相次ぐ工場閉鎖などで、本格的な冬が訪れる。
映画からいまさら学ぶというのは、手遅れかもしれないが、ここ数年で賞レースをにぎわせた作品が何を伝えようとしていたのか、その違いの比較や評価について今一度、考えて、私たちの今の社会へのヒントはないか探っていきたい。
筆者は大学時代から1000本近い映画を鑑賞しており、その経験や知恵が活かせるなら幸いだ。


また、映画と社会を繋げている記事になっているので、上記3作品のネタバレも含まれる。

他に、映画についての記事をいくつか書いている。よろしければ参考にしてみてほしい

 

 

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万引き家族 中年も老人も突如として訪れる孤独という危機

30歳の私が見た万引き家族は、家族から虐待やネグレクトを受けて、捨てられた子供たちの行く末も気になりつつも、結婚しても突如として配偶者から暴力を受けたり、結婚生活が順風満帆に見えても、相手の浮気や死別で、一夜にして孤独になる核家族の恐怖を目の当たりにさせられる。

 

私は、家族5人の実家暮らしであるが、明日いきなり父親や母親が死ぬこともありうる話だ。

あくまで、私の肌感覚によるものだが、現代の日本はつながること、家族になることは孤独を埋め合わせるリスクヘッジとして機能するという考えを持つ人が減った。

 

 

そもそも、金銭をかけたり、休日を割いてまで、家族を求めるということが無為であると判断する若者が増えたし、30歳で相手がいなければもう積み立て投資に専念して、籠城戦(ろうじょうせん)を試みる若者もちらほら現れている。

中学~高校の私の知り合いは、私と同じように実家や家族という資産が残っているなら、それに逃げよう、すがろうと考えている、あるいはすがるしかない状況ともいえる。

 

万引き家族で描かれた、一見豊かな中流階級の家族でも、主人公たちを説教した警察にも、突如として孤独が訪れ、経済的困窮に直結する恐れがある。

万引き家族は、再び虐待の対象となってしまった少女や、ネグレクトされた少年が家族のもとに戻ることが、果てしなくホラーなのだが、中流家族との関係が描かれないまま終わった松岡茉優や、結局万引き以外の生き方を見つけられたかどうかもわからないリリー・フランキーという放置された人々の行く末のほうが、わからなくてホラーだ。

 

コロナウイルスと野田市虐待死事件公判によって引き起こされる万引き家族

万引き家族は、是枝監督が日本のあらゆる問題をコラージュさせた映画であり、問題提起の強い作品であるが、コロナウイルスによって、経済危機、家族の分断が加速化していくことは、間違いない。

万引き家族は、年金を問題視とした作品ではないが、年金の受給額は減額になり、国民年金も満足に払えなかった貧困層は、老後が死活問題になっていく。

 

 

実際、生活保護を受給している老人が生活保護のボリューム層だ。

そして、最近マスメディアでも取り上げられている野田市虐待死事件公判。この殺人事件は、日本が家族至上主義であったことを如実に思い知らされる。

 

万引き家族の警告のように、教育、しつけ、愛情は必ずしも家族関係によって育まれるものではないという意識が浸透していれば・・・

 

 

パルムドール 是枝監督とポンジュノ監督のアプローチ、そしてジョーカーで描かれる貧困

この2年間で、「ジョーカー」「万引き家族」「パラサイト半地下の家族」といった貧困や家族関係にまつわる作品が、賞レースをにぎわせた。

3作品ともメインキャラは、まず金銭的に貧困であり、時代は多少異なるが、アメリカ、日本、韓国とともに資本主義社会であり、貧富の格差が問題視されている国々が、舞台になっている。

 

 

そして、どのメインキャラも罪を犯している。

そのうえで

  • ジョーカー 人間関係と精神的な困窮と差別
  • 万引き家族 人間関係の欠落、貧しさ
  • パラサイト半地下の家族 社会のステータスの貧しさ、世間体

前提も異なるのだが、万引き家族は、日本で起こっているあらゆる社会問題を提起しながらも、問題提起だけで終着している。

 

家族でなくても、異なる立場の人間でも協力しあえば、生きていけるんだという終わり方にせず、社会、世間、法律に認められる人間関係(つまり家族)を維持しながら、逸脱しない生き方を継続させる難しさとガタがきているという警告のような作品だった。

 

 

一方で、ジョーカーは個人の発奮により、閉塞する状態を無理やり打開するというアメリカらしい、個人主義のラストを見せる。(健全とはいえないが)

パラサイトに至っては、序盤は貧しいながらも、家族で協力して苦境を乗り越えるという家族至上主義的な一面を見せる。

 

パラサイト半地下の家族、ジョーカーを超えて 日本は個人と共同体が二極化している

日本というのは、明確な対策や方針、宗教を持っているわけではない。

それが示すように、私はツイッターで、軽く1000人を超えるツイートを見てきたが

  • 個人で生きることを決意し、投資をしたり、副業で生きていくスキルを発信するアカウント
  • 子だくさん、家族で生活する日々をアピールし、共感性を集めていくアカウント

 

フォロワーの多いアカウントの傾向として、個人に振り切っているか、共同体に振り切っているか二極化している。

 

上述した通り、すでにもうそんな選択肢を考える時間は終わっているのかもしれない。リーマンショックに並ぶ不況が、コロナウイルスを契機に我々の前に訪れる。