働くおっぱい 感想・レビュー(前半) 等身大の「えろ屋」という仕事に思う紗倉まな

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今回はエッセイの紹介です。

作者は、セクシー女優・・・自称「えろ屋」の紗倉まな(以下まなてぃー)による

働くおっぱい

なかなかにインパクトのあるタイトルですね。

過去にも飯島愛、穂花といった人気セクシー女優が、エッセイを出版してましたね。どうしても「なぜこの人は身体を売る仕事を選んだのだろう?」という同性・異性ともに好奇の気持ちで見てしまうのです。

ちなみに、まなてぃーは、たまたま見たその手の作品に出ていた女優さんをみて、美しいと感じたから・・・だそうです。

このエッセイは、えろ屋として8年、小説家、エッセイストの二足の草鞋を履く、リアリティのある20代後半女性の日常になります。

セクシー女優についての活動について、主観と客観を交えて思ったことや、スタッフと会食したときの恥ずかしい出来事、日常生活のトラブルを冷静に振り返ったりなどなど・・・

どの話が印象に残ったかを具体的にあげるのが難しいほど、どのエピソードも5000字近い、日常の出来事に対してのまなてぃーの濃ゆい反応が見られるわえです。

ただ、男としては、あえて今一度、生理の大変さを詳しく解説されたお話がなかなか印象的だったかな・・・ダヴィンチ読者は、僕も含め女性経験が乏しい人も多いかもしれないし・・・(勝手な決めつけですんませんが)

あと、お尻の谷間に痣ができるという珍事に遭遇し、見せる仕事だけに苦労しながらも、ファンデーションで隠すスキルをみにつけました~となんだかほっこりした終わりにできるのも、彼女の文才ゆえかなと。

今回は、「これは興味深いな」と思った内容を引用しながら、どこにでもある接客業のアラサーの親父が思ったことを徒然なるままに書きます。

引用していくと、かなりボリューミーになってしまったので、前半後半に分けたいと思います。

女の子はなんにでもなれるけど、その分、なんにでも苦労しなければならない一面もあって、つくづくしんどく、その上面倒くさく、時々「女」という着ぐるみをいっそのこと脱ぎたくなるような衝動に駆られる

「上司がさ~」のくだりも、社内での出来事も、細々とえろ屋をやっている私からすると全員が全員、ものすごく立派な大人に見えて「苦しいのだろうけど、その生活もまた羨ましい」などと勝手ながら思ってしまうのであります。

肉の刀が振り下ろされるたび、大汗をたらしながらの、サーカスのような派手なセックスを終えると、一生分の性を消費したような疲労感と妙な達成感が訪れる。

8年目のAV女優より

女性、えろ屋という仕事、そして周りの友人たちの会話で思うこと。働くおっぱいの基礎的な部分は、最初に集約されています。

少し意外に思ったのが、彼女は個人事業主という扱いで、確定申告も一人で行っているということです。ソフトオンデマンドとは専属契約を結んでいるだけみたいですね。かなりたくましい・・・

僕も確定申告できるぐらいに稼ぎたいな・・・

長い間おなじことを繰り返していくと、心がどこか擦れていく。心の擦れの原因は慣れだ。この村ではさらに、性を酷使することに直面し続けるせいで、どうしても普通と異常の線引きが曖昧になってしまうことも、心の荒みに加えられてしまう。郷に入っては郷に従えの末路は、性の抵抗がなくなる一方で、性への清らかな執着を失うことなのかもしれない。それが「日常」にまで流れ込んで来たら、危ない。どこにも戻れなくなってしまう。

性職者の友人より

カメラの前で裸になることに慣れ、8年間も継続しながらも、こういう危機感を持っているというのは、逆に正常だと思いますね・・・何から目線?って感じで悪いですが

しみけんなども過去のインタビューで言ってましたが、AVという世界に依存して抜けられなくなる人もいるわけです。

まなてぃーは単体女優という、花形での経験が長く、さらに兼業として他の仕事を多数抱えているので、いつでも「えろ屋」から離れることはできるように見えます。

ただ、このような文章を書くということは、彼女もえろ屋から抜け出せない何かを感じているのでしょうか・・・

自分がどれだけほこりを持っている仕事であっても、適した環境でなければ酸素も薄く、苦しくて生きにくい。理解されない仕事の上位に君臨してしまったのだから

自己責任をとるというのは、とことん自分が選んだものに寄り添って、丁寧に使い切ることなのかもしれない。肩書とは、軽い気持ちで選んだものでも、その後どのように扱い、どのような最後を迎えるのか試されているのだ。つまり、途中経過と最終形態をいろんな人に見つめられながら背負っていかなくてはいけない十字架にもなり得るのだ。

AV女優と職業記入欄に書いたらより

有名人は、一度なってしまったら二度と取り外すことのできない肩書ですね。

なにせ、今はネットの時代ですから少しでもテレビで活躍したら、掲示板やSNSで「評価」される時代です。

とりわけ彼女の仕事は好奇の目にさらされ続けるわけで、相当に精神を消耗しているのかな~と勝手に感じたりもします。

意外とまなてぃーはネットの評判(特にネガティブなもの)もエゴサーチをかけて調べているらしいです。

ちなみに、まなてぃーは終始、周りの評価に対してネガティブな一面を見せていますが、正社員や公務員として働いている女性でもその傍らで、セクシー女優をやっていたり、若い女性の中で希望の職業として秘かにあがっているのも、現代のセクシー女優なんですよね。

これは、飯島愛や及川奈央のようなセクシー女優の知名度を上げた女優たちの貢献や、単体女優がどれだけの競争を経て、成立しているかという職業への理解が深まったことからだと思われます。

裸の価値が下がっても、人間としての価値だけは、誰にも決めつけられたくない。変な抗いではありますが、まぁ、そんなものです。(中略)

金に困った淫乱女というウルトラ古典的なレッテルが世間によって貼られ、勝手に闇人間属性に当てはめられたりする。そのおかげでゆがんだ優越感を得ては興奮を高めている人というのが、ネットの掲示板やSNSなどに書き込まれた変わり映えのない文言を眺めてみても、意外と多いのかもしれないなーと思っている。

キスも裸もセックスも他人に見せている人が、アイドルでもないのに、なぜかアイドルのように「恋人」や「恋愛」を隠すというのは、なんだか、ものすごく滑稽なように思いはしませんか?(中略)なぜか「恋愛」を公表できないという、そんな妙な状況が7年間以上続ているからであります。
(中略)結合部を見せつける撮影をしていたとしても、ピュアな心を少なからず持っているであろうという希望的観測、その極端な落差に、いわばその圧倒的真逆要素に、もしかしたら多少の希少価値を見出してもらえているのかもしれないな、と。

AVの仕事を始めてから、いいなぁと思う人がいたとしても、確実に悲しむ人の顔が浮かんで躊躇ってしまう(中略)股間だけでなく、恋愛にも必ずモザイクがかかるだなんて、モザイクだらけの人間みたいで、最後には存在すらぼやけてしまいそうに思える。

人に好きになってもらうために頑張る仕事というのは、それだけ、自由が減るものでもあるのかもしれない。

AV女優は恋愛NGより

一番引用が多くて、一番気になった内容はコレですね。

彼女が物書きを精力的にがんばっているのは、そのぼやけそうな存在に対して、抗っているのかな・・・

紗倉まなという芸名は活躍とともにスポットライトを浴び続けるけど、本当の彼女を出すことすらも、スポットライトの対象になる。そんな有名人の苦悩を少し垣間見たような気がします。

ただ、今の時代に「恋愛禁止」に過敏なファンってどれぐらいいるんでしょうね・・・

ジャニーズは、結婚しながらアイドルを続けている一方で、女性アイドル、声優、そして女優はまだまだそういう批判にさらされているんですかね?

指原莉乃が選挙で1位になったことで、その様相も変わったように思うんですけど。

女性アイドルには、まだまだ献身性とか

「ほかの女の子は、したい恋愛を我慢して頑張っているんだ!!お前は抜け駆けするなよ」

という確証のない同調圧力にあてがいたくなる?のかなぁと。

僕もそうですが、男性って嫉妬深い生き物ですから・・・・

前半だけでも3000字超えましたね・・・後半はどうなることやら・・・