ネットフリックスドラマで話題の「今際の国のアリス」ってドラマを見たので、その感想を述べる。
このドラマ、シーズン1が2020年、シーズン2が2022年で、一応シーズン2で完結しているように見えるのだが、まだ謎が残っていたため、2025年の9月にシーズン3が満を持して登場している。
国内の監督、キャストで固められており、原作も国内の漫画が存在する。
個人的にシーズン2の方が、スケールがはるかに大きくって面白いし、文字通り寝る時間を削って、全部見てしまった。
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今際の国のアリス ネタバレあり 各ゲームの面白さの評価 シーズン3の感想と考察
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今際の国のアリス すべての原作映像化ファンに告ぐ ジャパンドラマの集大成
今際の国のアリスは、日本だからこそできたメディアって感じがする。だからこそその年のネットフリックスのドラマで、日本がメインなのに3位に入るという偉業を成し遂げている。
これは主演の山崎賢人を筆頭に、実力派かつ、アニメや漫画原作の作品によく出演されているキャストが非常に多い。
そう、日本のアニメ、漫画原作の映画やドラマというのは、ヒット作もあれば、酷評作もある。しかし努力や鍛錬を積み重ねてきたキャストの方々の努力がこの「今際の国のアリス」という結果につながっていると思うと、非常に胸熱だ。
端役も含めて、ノイズになるようなキャストはほぼいなかった。
キャストが豪華なのは間違いないが、この手のデスゲームはあまりにも大御所の俳優などを起用すると、「この人生き残るんだろうな」とか逆に「この人を早くリタイアさせて衝撃的な展開にするんだろうな」と先入観が入る。
確かにキャストの知名度で生存率がはかれるから、そういう点では日本の俳優をしらずに本作を見た人や、海外の視聴者は本当に幸せかもしれない。
あえてMVPを上げるとすれば、裏主人公といえるチシヤの村上虹郎。そして、シーズン2でアリス達に立ちはだかるキューマの山下智久だ。
本作はデスゲームものといわれれているが、サバイバルであり、頭脳戦であり、心理戦であり、そして銃撃戦である。
「なんのこっちゃ?」と思った人は鋭い。
エンターテイメントのごった煮であり、CGのクオリティも素晴らしく、CGのクオリティが素晴らしいからこそ、フィクション感が非常に薄れて、臨場感が浮き彫りになる。
では以下からネタバレになる。これから今際の国のアリスを100%の純度で楽しみたいという人は、ネタバレをみないことを進める。
でも視聴したら最後。僕たちは「今際の国のアリス」を鑑賞しないと、本当に生活リズムが狂い続けてしまう。
今際の国のアリス シーズン1
シーズン1は、山田悠介の×ゲームや、名作映画の「CUBE」みたいに、東京という開かれた町だが、生き残るために密室でゲームを繰り返すという内容になっている。
正直2話までは、見終わった後にぐっすりと寝られるような内容だった。いろんな刺激的なデスゲームが出て終わるのだろうと。
最初の「生か死か」「おにごっこ」もなかなか面白かったけど
それが3話になって、ハートの7「かくれんぼ」ゲームですべて変わった。
主人公アリスと一緒に無人の東京に巻き込まれた、カルベとチョータ、そして最初のゲームであった女性と命のやりとりをする羽目になった。
そこで、容赦なしにアリスと関係のあったカルベとチョータが死ぬ。
冒頭で、ラインのやりとりをして「この3人で物語は進んでいくんだ」と思わせておいて、いきなり3話で死ぬのだ。なかなかに衝撃的。
まどマギのマミったに近い状況。
そこからもう、ずっと見続けることになった。
絶望的な状況になったアリスは、ウサギというクライマーとサバイバル技術を持った女性と出会う。
アリスはゲーム中に聞いた「ビーチ」という場所が、ゲームから抜け出す手がかりだと考え、ビーチを目指した。
ビーチは、ボーシヤが作った理想郷。ボーシヤはアグニという元自衛官が友人で、ホストクラブの経営をしていたが、部下が仕事を苦に自殺し、家業の帽子屋を継いだ。
カリスマ性のある男で、あえて酒池肉林の地を築いた。幹部などの上下関係も作り、裏切り者は絶対的な死をあたえるという飴と鞭を使い分ける。
そんなボーシヤは、ビーチの目的としてすべてのゲームのでトランプのカードを獲得すれば、脱出できると吹き込む。その情報に確証はない。
ボーシヤはアグニとの方向性で対立し、アグニは自己防衛のためにボーシヤを撃つ。
アグニは新しいビーチの長になるが、ボーシヤの死と、ビーチで発見された女性の遺体がトリガーになって、ゲームが開始。
ハートの10「まじょがり」。裏切りのゲームであるハートの大規模なゲーム。
まじょがりの犯人を業火で燃やさなければ、犯人以外みんな死ぬ。
アグニはビーチの住人を徹底的に銃殺する。しかしそれは友人のボーシヤを間接的に狂わせたビーチの住人に対する復讐でもあった。
魔女狩りの犯人は意外な人物だった。そしてビーチの中にディーラー、ゲームの運営者が潜んでいたことをアリスは突き止める。
トランプの10までのゲームが終了。そして舞台は荒廃した渋谷を中心に、ジャック、クイーン、キングの絵柄のゲームが勃発する。戦いはまだまだ続く。
奇しくもパンデミックと重なり、巣ごもり需要もあって、スマッシュヒットを飛ばしたのかもしれない。
今際の国のアリス シーズン2
2022年、シーズン1から2年後にネットフリックスオリジナルコンテンツとして再び放映されたシーズン2の感想。
シーズン2は、異形都市となった東京の国民たちとの直接対決が繰り広げられる。
果たしてこのゲームを裏で操っている黒幕はいるのだろうか?
真っ先にアナウンスもなくスペードのキングからの逃走劇が開始する。
対戦車ライフル、アサルトライフルを駆使して、ビーチの生存者や他の生存者もほぼ皆殺しにするスペードのキングから逃走しながら、再びゲームクリアのビザを稼ぎつつ、他のゲームに挑む。
アリスたちは「すうとり」クローバーのキングのキューマと5VS5のチーム戦を行う。
キューマの仲間はもともとバンドを組んでおり、アリス達同様に異変に巻き込まれたのだが、ゲームに勝ち続け、国民となることでゲームマスターとしての地位を得る。
国民になれば、ゲームをデザインし、自分も絵柄のマスターとしてゲームに参加しなければならない。敗北は死を意味する。
常に全裸のキューマに対して、最初は変人のイメージしかなかったが、次第に彼の言っていることや、彼との関係についてアリスは友情に似た熱いものを抱くようになる。
仲間の死を恐れない連係プレイにアリスは敗北を覚悟したが、仲間の決死の行動によって逆転する。
アリスは、死に際のキューマに「生きる意味は自分で見つけろ」とアドバイスに近い遺言を残される。
仲間とはぐれた、チシヤは、「どくぼう」(ハートのジャック)による卑劣なサバイバルの裏切り者ゲームで生き残る。このゲームでの生き残りがシーズン3で重要な役割を担う。
続けてチシヤは「てんびん」でビーチで幹部をしていたクズリュウと対決する。
クズリュウは企業専門の弁護士を担当していたが、企業を汚職を隠すために奔走させられてしまい自分の正義感について揺らぐことになる。
チシヤも医者として一人でも多くの患者を救おうとしたが、病院の経営のためにお得意に優先して臓器移植をするなどを要求され、人間性を失っていく。
この「てんびん」では、チシヤをさらに上回るクズリュウの頭脳だったが、チシヤとの心理戦やチシヤとの人間性に振れたことで、自己犠牲になって他者の命をつなぐという選択をクズリュウは取るようになる。
シーズン2の特徴は、人対人であり、シーズン1のように無機質にゲームを進め続けるのではなく、ゲームマスターを説得することや、ゲームマスターの人間性がゲームに反映されるため、その駆け引きも面白い。
一方で、ゲームマスターを説得すればクリア的な力技がみられるようになったので、頭を使って、アリスと一緒にゲームを攻略していく一体感はシーズン1よりは薄れている。ミステリーよりも心理色が強い。
アリス達と戦い続けたスペードのキング。彼もアグニ同様に軍人の経験があった。キングは戦地で仲間?同じ兵士の死に際に遭遇し、彼の頭部を撃つことで介錯した。
彼にとって生存者を狩るということは、これ以上ゲームに苦しまないように介錯する意味もあるのかと想像した。
そして、ラストはクズリュウ同様にビーチの幹部でありながら、国民側だったミラ。彼女はハートのクイーンであり、クロッケーというゲートボールに似たスポーツをアリスと行う
ゲームを3回行えばアリスの勝ちだが、妨害するためにミラはアリスが触れられたくない冒頭の仲間の死の真相について、話せる範囲で話しながら、ゲームを棄権させるように、アリスを促していく…
結末ネタバレ ラストシーン 今際の国のアリスとはどのような物語だったのか?
「進撃の巨人」のようにタイトルそのものが、ストレートに結末であり、アリス達は、渋谷に落ちた隕石によって臨死状態になり、臨死状態になった多数の人々でサバイバルゲームをしていたということです。
本当にゲームで勝利したら生き残れるという自力感のあるものだったかもしれませんし、最初から生きている人はある程度決まっていたのかも。墜落現場付近の人は即死でしょうし、そうだとアリスの友人2人がなぜ死んだかは説明はできませんが。
今までのデスゲームと違い、今際の国のアリスは
明確に生きることのみが報酬
という点が異なります。もちろん、今際の国の国民となってゲームをするのが人生だっていうSAWのアマンダみたいなやつもいそうですが。
だから、多くの人に共感を得られるんですよね。
これがイカゲームやカイジのように多額の負債を抱えた人が集まるデスゲームになると、お金を持っている人は高みの見物で楽しむみたいな状態になりますけど。
死に対しては、基本的にみな平等(もちろんお金があれば延命できるけど)
そして、ラストシーンに現実世界の机にジョーカーカードが置かれており
「現実世界こそ、最後のサバイバルゲームである」という比喩になっているという解釈は素晴らしいと思いましたね。
アリスや生き残った人々が、今際の国でのトラウマにおぼれてしまうのか?はたまたそれを教訓として、強く生きていくことを考えるか。
キューマが言ったように、この世界がどうであるかを考えるより、自分たちはどう生きるかを考えるかが重要。それが今際の国のアリスのメッセージ性であると感じられます。

