このブログ、たまに暴〇描写が結構ひどくで、日本で発売禁止になってしまったゴアゲームを取り上げている。
過去にも、モータルコンバット、カリストプロトコル、デッドスペースなど、海外版だけでリリースされたソフトを遊んだ経験があるし、一部レビューも書いている。
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ゲーマーにとって非常に残念なお知らせが流れた
ギアーズ・オブ・ウォーというMicrosoftがXBOX360をリリースしてからずっと継続している看板タイトルのリメイクが、なんとXBOXだけでなく、PSにも発売されることになった。
過去には、Hi-Fi RUSHや、最近ではフォルツァシリーズなど、XBOX独占だったタイトルを、長期的な成長戦略により、PS5でも遊べるようにするというこのMicrosoftの考えは、ゲーマーとして非常に感動した。
別に、XBOXを購入するお金がないわけではなく、自室におくスペースとしてどうしても、PS5と競り合ってしまう。だからどちらとも共存できるswitchは偉大だったというわけ。
ギアーズオブウォー PS5版発売中止によって改めて考える表現の規制について
ファミ通の発売中止のニュースを一部引用する
しかし、公式ブログによると「地域のレーティング制限、およびプラットフォームの方針」により、国内でのPS5版発売ができなくなったという。マイクロソフトストアでは、国際的なレーティング機構であるIARC(International App Rating Council ※訳:国際年齢評価連合)の審査を受け、“18+”(18歳以上)の年齢別レーティングを受けたことが確認できる。一方で、日本国内の審査機関であるCERO(コンピュータエンターテインメントレーティング機構)の表示はない。
『ギアーズ・オブ・ウォー リローデッド』国内向けPS5版が発売中止。国内のレーティング制限、およびプラットフォームの方針により
これだけみると、CEROにはねられたのか、修正を要望されたが、修正できないため、中止になったのかという結論はわかりません。
引用記事にもありましたが、初代ギアーズの日本版は、海外版と異なりゴア描写が一部規制されているのです。
筆者が最近遊んだダイイングライト2。こちらのPS5版は最初はあまり規制がなかったようですが、アップデートにより一部規制がはいったとのことです。
ただし、欠損描写は残されており、最近のZ指定作品の中では健闘しているほうです。
国内版と海外版の違いについて、有名な例をあげるとバイオハザードシリーズ。REエンジンになってから、あらゆる描写がリアルになり、海外版では欠損描写がふんだんにつかわれていたり、死体に対する処理などが国内版と明らかにかわっていたりします。
またアンティルドーンなど、残酷描写はすべて暗転して、ネットでは「暗転ドーン」と揶揄されることもありましたね…
筆者もユーザー側の視点でしか立てないわけなので、本音を言えばお金を払っているわけだし、娯楽として割り切って遊ぶわけだから、規制はあまり好ましいと思っていません。
正直、ゲーマーではありますがPS3からPS5にかけて、本当に感動するレベルでグラフィックが進化したなと思える場面が少なく、逆にストーリーやボリュームが長大になってかみ砕きにくい作品が増えました。
そのため、ゴアグロというのは、AAAの会社にとっては購入してもらうためのフックになり、話題作りにもなります。
でもゴアグロばかりが注目されがちな、モータルコンバットも近年、ゲーム性が目覚ましく成長し、爽快感のある対戦アクションが楽しめるようになりました。
別にゴアグロが大好きってわけではなく、「ラストオブアス」みたいに、製作者側が伝えたいキャラクターの意図だったり、表現がごっそり抜け落ちてしまうってこともあるのです。
ラストオブアスを例に出せば、ヒロインがさらわれて、敵がヒロインを仲間に引き入れるために自分たちが食べている肉を差し出します。
でもその肉がどのような肉であるか海外版ははっきり描写されますが、国内版はカットされているので、ある程度想像の余地はあるものの、「生きるために手段を選ばない者同士の争い」というラストオブアスが根幹が薄れてしまっています。
4gamerからCEROへのインタビューから見るCEROの考えについて考察する
CEROはこういう暴力描写規制となるとゲーマーから批判されることも多いのですが、過去に罪をおかした人間が好きだったゲームがGTAでということで、社会問題になったとき
ゲームをやらない層からすれば、ゲームというコンテンツが叩かれ、そういう経緯も含めて、レーティングができたというのもあります。
厳しいレーティングがあるからこそ、一時期批判された暴力的なゲームも存続を許され、現代にいたると解釈することもできます。
いままで、ヴェールに包まれていたと思われていますが、ゲーム情報サイトの4gamerによるインタビュー記事がありました。
[インタビュー]今の時代におけるCEROの存在意義とは? 審査不通過による発売見送り,対象年齢外タイトルのヒット,IARCなどへの見解を聞く
CEROのレーティングの見解としては
本機構ではゲームソフトの年齢別レーティングを実施することにより、ユーザーや保護者、一般市民に対しゲームソフトの選択に必要な情報を提供し、青少年の健全な育成や社会の倫理水準の適正な維持を計ることを目的としています。年齢別レーティングは強制力をともなうものではなく、あくまでゲームソフト選択の目安をご提供するものであり、それをどのように活用するかは利用者側が判断されるものです。
(上記インタビュー記事より引用)
インタビューの中では、時代に応じて、審査基準は柔軟に変更はしているが、審査員は研修を修了した20代から60代の男女数十名で、入れ替えは基本的にないとのことです。
個別タイトルの審査に対する回答なども差し控えられており、おそらくユーザーが気になっていたカリストプロトコルとデッドスペースはなぜ発売禁止になったのか?という疑問も疑問のままです。
CEROだけの影響で発売禁止になったのか、メーカー側の自主規制なのかはわかりませんが、仮定の話ですがCEROが発売すべきでないと判断して、それが決定打になったのであれば、何かしらその理由や背景を公式サイトなどで発表してくれればなと感じます。難しい事情があると思われますが。
上の協調部分が示すように、CEROの視点で言えば、CEROのレーティングによって、購入機会が阻害されることを好ましく思っていないのです。
その例として、インタビュワーが訪ねた、小学生が銃器を使うエーペックスやフォートナイトが人気であっても、CEROは否定しないし
逆に、ノジマがZ指定の作品を販売しないという状況に対して、選択の目安のレーティングが、逆に購入機会を阻害されているとすれば遺憾であると、「一般論ですが」と前置きしながらも、かなり強い意志を感じます。
昔は、Z指定はなく、18歳以上対象で、基本的に小学生でもフィルターがかけられずに購入はできました。
そのため、ゲーム=ゲーム脳、ゲーム=野蛮という色眼鏡で見てしまう一部の大人に対しての建前として、レーティングが必要であるという前提はわかります。
CEROの倫理観の変化について考える
今と昔でかなり変わったと感じさせるのが、グラスホッパーの須田剛一氏の代表作であるノーモアヒーローズというゲームです。
このゲームは、主人公が殺し屋ランキングにふとしたことで入り、ランキング1を狙うという作品です。
主人公が持っているのはビームサーベルのような武器で、敵をきれば四肢欠損します。
海外版だと、四肢欠損したうえで流血するのですが、国内版だとこげたような表現になり、四肢欠損もせず、折れたような形になります。
現在であれば、switchのダウンロード版なども含めて、海外版の表現で遊ぶことが可能になりました。
ノーモアヒーローズに限らず、CEROの中には「四肢欠損はZ指定でものせるべきではない」という考えを持っていたと、ゲーマーは予想していましたが、時代とともに柔軟に対応している模様です。
現代における規制の必要性について考える 規制は必要だと思うが、理由や背景の説明もセットで必要だと思う
そして、ギアーズオブウォーリローデッドも、カリストプロトコルやデッドスペースのように、アマゾンで北米版が購入可能です。
皮肉なことに、日本版をすすめていた名残か、カリストプロトコルもデッドスペースもPC版でMODを入れる必要もなく、PS5版で日本語表記で快適に遊べ、ほぼローカライズされていた状況でした。
ギアーズオブウォーもそうなっているのか、英語力がないと遊べない作品なのかは気になるところです。
このように、本当に規制をするのであれば、法律とセットなのですが抜け道があるのであれば、結局遊びたいとおもうユーザーは購入できるという状況があります。
人の価値観が多様である以上、「規制」というのはどこまでいっても主観でしかありません。
主観であっても前述したように、なぜそのような「規制」をいれたのか、販売させないという判断を下したのであれば、それだけの判断を下した経緯を説明してほしいと思うのは、おかしいことではないはずです。(あくまで筆者個人の感想です)
まぁ何はともあれ、国内版を購入できないのは残念ですが、北米版を購入し、感想をブログにまとめる予定です。
何が言いたいかというと、現代のPS5はリージョンフリーになってよかったということです。
コラム 規制ゲームへの想い出
過去に筆者が遊んだ世間で残虐といわれる作品を紹介し、その思い出を軽く語っていく
GTA3
通りすがりの一般人に暴力を加えることができ、命を奪うこともでき、金品を盗むという文字だけ読めば、あまりにもひどいイメージしか浮かばない。
しかし、リアルでも道具を持って人を思い切り叩けば、人の命を奪う可能性があるわけで、それで警察におわれて、逮捕、または射殺される可能性もあるから、そのあたりまえすらもロールプレイできる作品だといえる。
また、ラッパーでもあり、ゲーマーでもあり、映画評論家の宇多丸氏は、残虐な行為をすれば警察におわれつづけ、むしろゲームプレイが困難になると評している。
ポスタル2
「郵便の」という意味とは全くかけ離れた作品。
1作目は、コロンバイン事件の犯人の青年が遊んでいたことから、全米で発売禁止になったらしい。
その2作目だからすごい規制がかかった…というわけでもなさそう。
なぜか日本版は日本語音声も吹き替えされている力の入れよう。
このブログでは書けないようなことができるのだが、友達を家に入れて、「ゲームってこんなこともできるんだよ」みたいなことをみせたら、ちょっとドン引きされて
「俺たちはただ残虐なゲームをやりたいわけではない。GTAはゲーム性があるから好きだけど。これは違うよ」と真面目にドン引きされた思い出がある。
たぶん、筆者がなにか起こしていたら、インタビューで「彼はこんなゲームをやっていて怖かったよ」なんていわれたとおもう。
田舎版GTAみたいな趣があり、恐妻家の主人公が、妻のおつかいをひたすらたのまれ、ミルクなどを買いに行くのだが、トラブルに巻き込まれるという話。ミッションだけこなすのなら、やっていることは徒歩版GTA
印象的だったのが序盤のミッションで、暴力ゲーム反対活動家が過激になって、武器を持って暴れまわっているシーンで、これはかなり風刺のきいた内容だった。
モータルコンバット
一時期は、海外でスト2と2大巨頭なんていわれ方もした。
実はEVOの種目にもなっているが、当然ながら上位に日本勢はいなかったはず。
本作の象徴といえるのが、「フェイタリティ」で敵にとどめを刺す残虐描写がはいるのだが、そもそもKO後によろめく敵に特定のコマンドを入れる必要があり、それが面倒。
結局、よろけている敵にキックをあてて試合を終わらせることが多数。
握手したり、赤ちゃんにかえるなどコミカルな要素もある。
確かにグロテスクではあるが、常軌をいっしている描写があり、リアリティはないので、意外と見れるのが特徴。
カリストプロトコル デッドスペース
最近、国内版が発売禁止となって話題となった2作品。
両者の共通点として、異形のクリーチャーによって犠牲となる人々の描写があまりにも強烈という点に尽きる。
特に操作する主人公でゲームオーバーになったときの演出は凄まじい。モータルコンバットのフェイタリティに近い。
正直、数時間プレイしたら残虐な描写が入る=ゲームオーバーなのだから、わざわざご丁寧にショートムービーで死亡シーンなんてつくらなくても、とストレスがたまる。
一方で、デッドスペースなどは密室劇であり、主人公の周りの仲間が次々と犠牲になったり、主人公が目的地につくと多くの犠牲者を目の当たりにする空気、臨場感というのは、スプラッター描写がなければ成立しない。
仲間が残虐に葬られるというのは、「エイリアン」の時代からあったホラー、サスペンス映画においては必要不可欠な、緊張感を高める要素になる。
