ようやくガリレオのドラマシリーズ1話から、スピンオフも含めてほぼすべて(シーズン1の4話以外)を視聴して、この沈黙のパレードを見ることになった。
世間では賛否両論のある作品でもあり、ラストの展開に疑問がないわけではない(その部分は記事でがっつり書く)が、おおむね面白かった。見せるところはみせれたし、役者同士の演技は十分に堪能できた。
公開から2年ぐらい経過しようとしているし、ネタバレ前提で話していく。
ラストに真犯人が沈黙をやぶったことについて
ミステリーとしては、ヒューマンドラマの方向性は違うけど、古畑の笑うカンガルーみたいになっている…(そういえば、田口浩正さんどっちもでてるな・・)
でもこっちの方が深刻で、音楽家夫婦の新倉留美は、自分の夫の直紀の夢をかなえるために、並木佐織を支えていたけど、佐織がそれが重いということで離れていって、とめるためにもみ合って、傷害を与える。
死んだと思ったら、実は死んでおらず、沈黙で罪を逃れた?蓮沼寛一に利用されることになる。
中盤までは、留美が聡美を殺し、それを隠蔽して留美をゆすった蓮沼、その口封じのために事故に見せかけた、液体窒素を活用した窒息死を直紀は実行した。
しかし、終盤になると実は留美に突き飛ばされた時点で、聡美は死んでおらず、蓮沼に利用されるために殺されたという説が濃厚になる。
事故として処理された直紀が、罪を認め殺人罪となれば、草彅は蓮沼が聡美を殺したことを全力で捜査すると誓う。
それに加え、留美は自分の罪ではなかったため、赦されるのではないか?
しかしながら、留美が聡美を突き飛ばさなければ、蓮沼が聡美を連れ去るという事実そのものが生まれなかった。後悔しながらも救急車を呼べばよかったのだが、子供を身ごもっている聡美を突き飛ばすというのは、流産の可能性もあり、もう街にはいられなくなるだろう。
留美があたかも被害者を演じて、3年間も並木の飲食店に通っていたというのは、良心の呵責にさいなまれていたと思うが、やや常識離れ手している。
そして、直紀が沈黙を破ったところで、結局留美の傷害罪は適用されてしまい、留美が聡美を突き飛ばしたことが周知になってしまう。
結局、留美も直紀も富裕層だったが、もとの家に戻れない状況になってしまう。
沈黙のパレード考察 金銭的に裕福だが、何も残せていない不幸
原作者の東野圭吾氏は、本作について天才VS普通の人々という位置づけだったようだ。
凶器、トリックなどは比較的早い段階で解明され、果たして誰が実行犯だったのか?動機は何か?
それは容疑者Xの献身や、真夏の方程式以上に深堀されている。
ちょっと邪推するが、富裕層の苦悩みたいなものが描かれている。
明らかに下町のような街の中で、かなりの豪邸にすんでいる新倉一家だが、子宝には恵まれず、本当に世間に影響をあたえた、自分たちが後世に残せたという曲やアーティストを世に排出していない。
実は、新倉直紀は、家族が資産家で家族の資産を受け継いでいるという設定があり、自分の本業、本業としたいもので大きな成果をあげられていないのだ。
確かに聡美に対する執念は、聡美のためではなく自分たちのためというのが浮き彫りになっている。
また新倉氏の苦悩は現代人の苦悩にも通ずるものがあって、少子化が進み、子供はいないけど、発信できる機会はあるけど、自分がなにも残せていない、残せた気になれないという不満、不幸としてとらえる苦悩がある。
実質主役だった草彅(北村一輝)
沈黙のパレードは、まさに北村一輝の演技が光る作品だった。登場するたびにやせ細り、声にはきがなくなっていく。いくら役職があるとはいえ、この事件で彼に関与させるのはやめたほうがいいんじゃないかと思えるほどに。
犯罪者を有罪にできなかった、野放しにしたということで、新しい犯罪を生み、善良だった一般人を犯罪者にしてしまった。
そのプレッシャーや罪悪感は、草彅にとって抱えきれなかったものだろう。
この草彅というキャラは、原作では長く湯川のバディをつとめていた人物であるが、ドラマだと女性刑事にその相棒役を譲り、プレイボーイでお調子者というやや軽薄なキャラで終わっている。
それが、かえって映画版とのギャップを生んでいる。映画版はドラマと違ってキャッチーなセリフや大げさな演出はない。助手の栗林さんもあまりでない(笑)
ヒューマンドラマとしての沈黙のパレード
ミステリーとしては少し弱めだが、ヒューマンドラマとしては逆に考察のしがいのあるドラマだった。
映画3作を比較すると(3部作になっているわけではない)
容疑者Xの献身 ミステリーもドラマもどっちもかなり楽しめる。犯人はすでにわかりきっているが、アリバイ工作という点で楽しめる
真夏の方程式 ミステリーは正直かなり弱い。ドラマに振り切っている作品。倫理観についても考えさせられるが、正直あの少年は悪いのか?とは思う
沈黙のパレード ミステリーそこそこ。湯川が町の人々の心理状況までもすべて解いてしまうほどの全能感を発揮してしまう
思い出補正を抜きにして、立て続けに3作品みたが、容疑者Xの献身は今なお通用する考えさせられるテーマだった
真夏の方程式は、当時は衝撃を受けたが、現在見るとちょっと出来すぎのヒューマンドラマといったところ。
沈黙のパレードは、両者のいいところを両方出そうとしている。