最近のゲームでは少なくなったが、昔のゲームは当たり前のように「取り返しのつかない要素」が存在した。
一定のタイミングでアイテムを取り逃がすと2度と取得できないというものだ。
よほどそのゲームに愛着がない限り、アイテムぐらいどうでもいいと思うこともあるが、そういうアイテムに限って、最強武器を超えたりするものもある。
アイテム取得ではないが、ドラゴンクエスト7の主力メンバーのキーファが途中で抜けて、彼に使ったドーピングアイテムの種が帰ってこないことから、ネットでは「種泥棒」なんてキーファは言われてる。
とにかく幼少期はプライドが高く、そういう時限イベントを見逃すことが許せなかった。
弟に指摘されたが
「兄さん、バーチャファイター4の家庭用やってる時、一敗でもしてたらリセットしてたよね」
今は違う。
僕はFF6のシャドウの命を助けることができなかった
FF6というファイナルファンタジー6作目にシャドウという忍者が登場する。誰がどう見ても忍者という見た目だ。
FF6は終盤に世界が崩壊するイベントが発生して、仲間が散り散りになる。
世界崩壊時に、シャドウがなんとか食い止める的な発言をして「先に行け」といわれる
何も知らなければ80%ぐらいのプレイヤーがそのまま直進して逃げるだろう。
何せ世界崩壊の危機的状況だからだ。
それに、シャドウって…なにか印象に残るエピソードあったっけ?
ロック、ティナならまだわかるが、シャドウへの思い入れはとくにない。
そして世界崩壊後にセリスを操作し、なんどもお魚をゲットするイベントをこなして、さあ再出発
セーブ、ピロリロリン→そして、覆水盆に返らず
私のデータで2度とシャドウと会えなくなった。
あの時、引き返していれば元気なシャドウと共に帰れたのだ。
いやいや、忍者ぐらいそんな状況打破しろよという声も虚しく
FF6は古い作品なので、ポケモンのがくしゅうそうち(XY以降)のような経験値振り分けはない。
後半はパーティーを分けて攻略する必要がある。その影響か、後半のボスは抜け穴が多く、ラスボスのケフカもそんな強くないらしい。
それでも、そんなこと知ったら余計にシャドウが惜しくなる。寝てる時もシャドウの残像が
「なんで俺を助けなかった」
そして、筆者は一通り仲間を集めてFF6をリタイアした。
スカイリムに教えられたこと ゲームは人生で、リセットは効かない
そこで、筆者のゲーム人生を変えたのがベゼスダの名作であるスカイリムだ。
洋ゲーファン、RPG好きならたぶんこれでもかとリマスターを繰り返しているのでプレイ経験があるだろう。
もしくは同系統のフォールアウトでもいい。
フォールアウトも遊んでみたが、3も4も目的地にいこうとしたら、迷って敵に袋叩きにされて、リタイアしている。
スカイリムの特徴としては、膨大すぎるほどのイベントが存在し、その選択によってNPCの生き死にが容易に決まる。
戦うつもりがなくても、相手を結果的に挑発して、抜刀されて、殺さざるを得なくなる。
その時、筆者はおもった
「ああ、ゲームも人生なんだ」
いままでゲームといえば、リセット可能、書き換え可能、だから自分の納得のいく展開まで、いわばリセマラしてたのだ。
もちろんスカイリムでも全選択肢をみたいんだという欲求を持つ人もいるだろうが、圧倒的物量の前にほぼ多くのプレイヤーは諦め
「こうならざるを得なかった、反省して次に生かすしかない」と前を向くことを促されている。
取り返しのつかない要素 アイテムかキャラロストでかなり変わる説
取り返しのつかない要素そのものをシステムに組み込んでいるのが、任天堂の昔のファイアーエムブレムだ。
筆者のFE原体験はGBAの「封印の剣」だ。
ユニットが倒されたら、2度と復活しない。
そのため、スカイリムのようにこれも人生だと、やり直さずに進んだら、歴戦の猛者以外は絶対に詰む。
またFF6のシャドウもキャラクターそのものなのでなくなれば後悔する。
幼少期にこのように、キャラロスト=取り返しのつかない要素を経験すると失敗することを恐れてしまうようになる。
「それって、自分の性格をゲームに責任転嫁してるだけでしょ」
まあそうかもしれない…
一方でスカイリムのロストはNPCのロストだったり、選択肢によって得られたはずのアイテムのロストだったり
あとはスキルツリーで特定のビルドは諦めるしかなかったり
確かに、見過ごせないところもあるが、プレイヤーが覚悟すれば、仕方ないと前に向けるものが多い。
だからもう僕はFF6のシャドウを助けるのを諦めた
たぶんいまファイアーエムブレムをやっても全員生存にこだわらないだろうし、FF6でシャドウを失っても残ったメンバーでリベンジするが、また自分の中で燃える要素になると思う。
ゲームの中で、すべてを達成したい、満たしたいという願望はなくなり
いまある手札でなんとかするか、なんとか楽しもうか
それは、精神的にある程度成長した証明なのかなと思う。
本人が幸せならそれでいいが、コンプリートしないと気が済まないメンタルがいまも続いていたら、一つのゲームにあまりにも時間を使うことになるし
スマホゲーなら月の課金額が生活を困窮させるレベルにまでなりかねない。
悪い言い方をすれば、妥協するようになったが、見方を変えればゲームで映し出された結果に対して、自分で受け入れたうえで前に進めるようになったといえる。
