ドキュメンタリー映画感想 ディア・ピョンヤン 祖国を超えた、家族の普遍的な愛は…

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前の職場の知り合いに、政治情勢に関心のある人がいて、その人から勧められた書籍やメディアの中に興味深い作品があったので、見ることにしました。

ディア・ピョンヤン。監督は後に「かぞくのくに」で日本映画批評家大賞に輝いた、ヤン・ヨンヒ。

この映画はヤン・ヨンヒと朝鮮総連の幹部の父と母が平壌にいる家族に会うというドキュメンタリー映画です。

第二次世界大戦後、朝鮮の南北は政治的に分担され、日本に残された在日朝鮮人の多くは地理的に大韓民国出身でありながら、当時マルクス主義の流行や、南北統一を掲げた北朝鮮のイデオロギーに賛同して、北の人間として国籍を選択し、生きることを決意。

ヤンの父親もルーツは済州島らしいです。

ヤンの父は、40代にして3人の男子供を「帰国事業」で北朝鮮に送りました。

この映画が撮られたのは、2004年。まだ金正日体制だったころで、日本をはじめ各国が独裁主義の北朝鮮の綻びと、闇市など北朝鮮で暮らす人々のあまりにも貧しすぎる実態。絶対服従を強いられる国で、亡命を試みる北朝鮮人も後を絶たなかった時代です。

ヤン・ヨンヒはコリアン2世で、父の教育と朝鮮学校の方針で、革命を叫び、将軍様への感謝の言葉をまわりに訴え、同胞から評価される一方。

北朝鮮へ渡り、帰国前よりも見るからにやせ細り、自分のやりたいことが制限されている(海外の曲などが聞けない、映画がみれない)兄たちと自由を謳歌できている自分を比べ、何かが間違っているということに気づいたようです。

理不尽なことに、帰国事業で朝鮮へ渡った兄たちは、北朝鮮で結婚し家族をつくっていますが、軍部の監視下のもとでしか家族と面会できなかったり、国交がないため自由に日本へ渡ることができません。

ヤンの母は息子夫婦と、孫たちのために大量の仕送りを段ボール一杯に携えて、万景峰号で家族のもとへ直接届けます。周りには「祖国のため、将軍様のおかげで食べていける」と北朝鮮の貧困については、一切触れません。

北朝鮮の極寒を耐え忍ぶため、日本のカイロや孫たちの病気に対して日本の薬が送られていることは、皮肉としかいいようがありません。

この映画は、日本のマスメディアなら限界でモザイクだらけになってしまう2000年初頭の北朝鮮の内部を鮮明に映している点です。北朝鮮に反対的なメッセージをヤンは送っているため、現在は入国禁止されているようですが、当時の北朝鮮のニュースを見ていた私にとっては、驚きの映像ばかりです。

金日成の銅像の後ろには、建築が中断された三角のビルが。パレードの練習と思しき光景が。そして平壌までのルートは農村ではなく、荒れ果てた土地だけがヤン監督の眼前に広がっています。

ヤンの父が古希祝いと結婚50周年で、北朝鮮にて、総連の仲間に祝われ、北朝鮮から送られたバッジをたくさんつけて、マイクに向かって

「私は、まだまだ祖国と将軍様に尽くしたりません。私の残された人生の役目は、子どもたち、4~50人の親戚に金日成主義者に金正日主義者にすることであります」

これを聞いたヤンの反応は「その場から逃げ出したくなった」ということです。両親への尊敬は抱いているものの、主義主張は永遠に分かり合えないという考えをもっているようです。

 


 

最後に、ヤンは父にこう問いかけます

「息子三人を北朝鮮に送った時に泣いた?」

父は考え、下を向きながらも覚悟を決めて

「いや、泣いてない」

と答えます。

ヤンが三人を帰国させたことについてどう思っているかと問い直すと

「見通しが甘かった。早すぎた」

と答えるのです。

ヤンの父は、日本に暮らし続け、いわれのない差別やコリアタウンでの苦労はしてきたと思います。ただ、非常にでっぷりとしたお腹は、彼が日本でそれなりの裕福な暮らしを享受できたという現れです。(貧しさで太ったとも考えられますが)

一方で、北朝鮮で暮らす親戚は、一様にやせ形です。まだ彼らは平壌で生活しているので、最低限の暮らしはできているかもしれませんが、日本の一般的な家庭と比べると・・・・

もしかしたら、腹の底で、「北朝鮮より日本はいい国だった」という想いがあるのでしょう。しかし、それを肯定してしまうと朝鮮総連として猛烈に活動してきた自分への否定、勢いで北朝鮮へ送ってしまった息子たちへの懺悔を認めてしまいます。

僕が逆の立場だったとしても、記憶のない祖国が、統一を宣言し理想的な国家を目指すと自信をもって掲げていたら、賛同していたかもしれません。戦争や併合が絡んでいたらなおさらです。「ここは第二の国として生きよう」と簡単に方向転換できたかどうか。

金日成が、掲げた南北統一は、社会主義国家としてを省けば、日本に残された在日朝鮮人へ強いエールを送っていたのでしょう。

しかし、ヤンの父親が朝鮮総連の幹部として、全力でいきたことで、妻と結婚し、ヤンはその生き方に疑問を持ち、映像作品の道に進んだという考え方もできます。

日本に残された唯一の子供となったヤンの手を強く握り、ヤンは「ほかの国で仕事する場合、北朝鮮籍だと入国禁止になる。国籍は韓国にしてもいい?」と聞くとやさしく「ええよ、お前の好きなように生きたらいい」。そこには朝鮮統一と娘の幸せをささやかに願う父親の顔がありました。

この映画は、ナショナリズムを煽る内容にもなりかねませんが、根底には少し特殊な環境の父と、娘の精神的な出会いと別れを描いた作品でもあります。見終わるとかなり普遍的な家族映画という印象が強くなるでしょう。

最後に、重い病を抱える父に強く手を握り、「もう一度平壌に帰って、家族に会おう」と語ります(ヤンか妻がいったか、ごめんなさい忘れました・・・)

これは、重い病を抱えても、強烈な祖国の想いと家族への愛を持ち続ける父へのエールであるとともに、死の危険があるのに、家族が会いに行けない北朝鮮に対する、抗議的な意味合いを持っていると感じました。

(ホームビデオ以上のメッセージを放つ本作ですが、朝鮮総連の幹部としての顔を持つ父を撮りながらも、母とのプロポーズでデレデレになる人間味あふれる姿を並行してうつすことで、普遍的な家族愛を強調しています)