伝説巨神イデオン 接触編・発動編をみた率直な感想 ネタバレあり ガンダムとの違いと戦争ドラマとしての評価

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youtubeのサンライズ公式チャンネルで、伝説巨神イデオンの劇場版の前後編が公開されていたので、駆け足で見ました。

合計3時間でしたが、かなりあっという間でした。おそらくテレビ版もしっかりできないと疑問がかなり残る内容でしたが、イデオンという作品の大枠を知ることができたので、いい映像体験ができたと思います。

 

イデオンといえば、ガンダムの富野監督が手掛けたロボットアニメで、富野監督作品の完成系の1つともいわれています。

一方で、かなりショッキングな映像が多く、女性や子供でも容赦なく戦争に巻き込まれて、無残に死んでしまう描写が連発します。

 

とりあえずこのイデオンという作品を振り返っていきましょう。

 

 

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イデオンはなぜ地球も人もリセットされる運命にあったのか?

イデオンという物語は、ちょっとした勘違いによって、地球人とバッフ・クランという異星人が命を奪い合う戦争に発展してしまったという物語です。

 

地球人もバッフ・クランも第6文明人が作り上げた「イデ」という無限のエネルギーを動力として動くイデオンをめぐって戦います。

 

地球人、バッフ・クランにはそれぞれ故郷となる「地球」が存在しており、別の惑星で暮らしており、バッフ・クランのほうが兵器開発や宇宙の構成についての知識が地球人より一歩リードしているというところ。

 

イデオンは地球人とバッフ・クランの衝突により共鳴して起動。

おそらくイデは互いが和解し、協力することで、イデも含めて大きな文明の一歩を歩んでほしかったという願いがあったものの

 

そんなイデの期待を裏切るように、地球人とバッフ・クランはそれぞれの武力をぶつけ合って、互いの愛する者の命をひたすらに奪い合います。

嫌気がさし、人類を試すことをあきらめたイデは、最終的に彼らの故郷を破壊し、イデオンは互いを絶滅させるために、主人公のコスモ達にひたすらバッフ・クランをせん滅させるような導きを行います。

 

このリアリティは放送当時の1980年のアメリカとソ連の冷戦がベースにあると思われます。

いつでも核によって世界がなくなり、我々が住む地球そのものがなくなるという危機があったわけです。

 

イデオンでは互いの兵士が問答無用で死んでいくのですが、戦った者たちは全裸となって、思念体のようなものになり、温かくつながっていき、満たされたようなラストを迎えます。

ラストに海の実写シーンが挿入され、新しい生命がうまれるのでは?という予期をさせて物語は終了します。

 

 

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イデオンにおける殺伐とした戦争描写について

不謹慎だが、ガンダムは戦争をベースとした作品でありながら、新しい兵器が出てくると心が躍ってしまう。そして敵味方がやられたあとも「次はどんな新兵器がくるのかな?」とワクワクしてみてしまう自分がいる。

 

一方で、イデオンは二足歩行ロボットは基本イデオンだけで、バッフ・クランはひたすら戦闘機や白兵戦を仕掛けてくる。

 

序盤はイデオンとバッフ・クラン戦闘機の戦いが流れる。イデオンはすべてミサイルと手足をつかって戦闘機を叩き潰す。その描写も確かに痛々しいと想像することはできるが

後半になるとイデオンを強奪したり、イデオンの近くで戦ったほうが凶悪なイデオンガンの射線に立つ危険性がないことをしったバッフ・クランはひたすら白兵戦を仕掛けてくる。

白兵戦でありながら、やっていることはミサイルをぶっ放して、より殺傷力の強い武器を使いまくるというかなり原始的な戦い方だ。

 

ガンダムでも白兵戦は要所でみられたが、一時的なものに限られたが、イデオン、特に発動編は白兵戦が延々と繰り広げられる。

 

これはイデオン発動編がすでにテレビの打ち切りをへて、作品を作るために劇場版としてリリースされたという背景がある。

 

そもそもイデオンの見た目もガンダムいう「どでかいジム」みたいなものであり、あまり洗練されたものでもないし、ドッキングシーンなども商業的に用意されているが、ガンダムの二番煎じ感が強い。

 

イデオンの武装はガンダムのように1対1を想定した武士道とか日本人に刺さる要素が少なく、どうやって効率的に敵を破壊するかを極めたようなものになっている。

 

当然、戦争を行う以上、映えを意識する兵器を使う理由なんて1つとしてなく、いかに効率的に敵の戦力を減らすかだけに特化すればいい。そう考えるとイデオンという作品の恐ろしさが増す。

 

 

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イデオンにおける赤ん坊について

人類に絶望したイデは中盤から、自分の新しい世界にふさわしい無垢な赤ん坊に呼応し、その時に強力な兵器を使いやすいように意図的に力を発揮している。

印象的なシーンとして、カララというバッフ・クランの総司令の娘だが、お腹には、地球側の総司令の子供を宿していた。

 

カララは私怨も入り混じった中、自分の姉に眉間を撃たれて絶命。しかしカララのお腹の子供はイデの力によって守られており、カララは死んでいながらもお腹は光っており、イデが力を発揮しつづけていた。

これほどまでにイデの能力は極端に発揮されている。

 

イデは単独で存在することが不可能で、人の精神エネルギーなどを媒体にして力を増幅させる性質を持っている。

そのため、イデが純真無垢な赤ん坊を選んだともとれるし、赤ん坊の全身全霊をつかって泣くという行動が、イデの力を一番ストレートに発揮できる状況なのかもしれない。

 

地球人とバッフ・クランによる極限状態の戦争によって、結ばれ、子供を宿す状況も生まれたが、戦争の極限状態は一般的に子供を作れる現役世代の数を極端に減らしてしまう。

イデは緊張状態という試練を地球人、バッフ・クランに与え、それを乗り越えたら、大きな技術革新と人口が増える、自分のエネルギーとなる子供が増えるということも期待したと思うが

結果的に、戦争という極限状態は人口抑制に働いてしまう。

 

しかし、戦争を乗り越えたら人口はそう単純に増えるのだろうか?

日本と韓国を例にとれば、それは逆に働いている。団塊の世代という空前絶後のベビーブームの果てにあるのが、緩やかな人口減少とは誰も想像できなかったと思う。

社会が成熟すれば、単純作業で得られる金銭が減り、教育にかける金銭は反比例して増える。

 

最低限の教育水準、周りの価値観、未来が見えるネットワークという道具をもった我々の中には

「現在の生活で子供を作ることはしてはいけないし、できない」

という結論にたどり着きやすくなってしまう。

 

 

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イデオンというコンテンツ アニメは想像力を働かせる

イデオンは経験と想像力の重要さと恐ろしさをひたすら我々に訴えかけるような作品になっている。

我々は経験から様々な恐怖やしてはいけない行動、逆に○○されたら○○しろという強迫にもつながってしまう。それを加速させるのも、抑え込むのも想像力の力が重要になる。

 

兵器を目の当たりにして人はどれだけ理性をたもてるのか、お互いの命を奪うべきではないという原点に立ち返ることができるのか?そういうものをひたすら試されているような気がする。

 

後に富野監督は「必要悪として戦争を描いていたが、戦争は絶対にしてはいけないものという考えに変わった」とインタビューに答えている。

 

富野監督が手掛けた後期のガンダム作品、∀とレコンギスタでは、無暗に戦闘シーンを作るのではなく、どうやって主人公たちが想像力を働かせて思いとどまるのか?これが1つのテーマになっている。

 

アニメ、漫画、映画というコンテンツは時に想像力の乏しい人間に、行動をあたえる動機をつけてしまうが、一方で、戦争を体験していない世代にたいして、戦争の危険性や想像力を植え付ける役割も持っている。

イデオンはそんな想像力の力を改めて鍛えくれるような作品なのだと感じられた。