吉田敬がなぜ芸人で成功できているか? 人生は、パチンコで教わった。で教わらさせていただきます

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本著はお笑い芸人という一般人からしたら人生を賭けたギャンブルに努力して勝利したブラックマヨネーズの吉田敬によるホール店員、パチプロを経験して培った人生観を記したもの。

実は学生時代に一度だけブラックマヨネーズを生で見たことがある。
場所はKBS京都、かたつむり大作戦というイベントで数組のお笑い芸人がネタを披露するというもの。

当時、ブラックマヨネーズはM1に輝いておらず、参加者の中で一番勢いがあったのはキングコング。キングコングのネタは起承転結がはっきりして面白かったか?といわれると朧げな記憶だが梶原の勢いある行動と西野のメリハリある突っ込みによって「この人たちは面白い」というオーラを全開にしてしていた。すべっていたとしても「俺らは面白い」という自信に満ち溢れていた。

ただライブ会場ではなくイベントのためネタを見に行こうというよりは人気者を見に行こうというノリでくる客が僕も含めて多かったことが彼らにとってはある種不運だったのかもしれない。

一方でブラックマヨネーズはM1に輝いた不安症ネタ(○○やったらどないすんねんをどんどん覆いかぶせる)からは程遠い、互いのハゲとブツブツという身体の特徴をネタにしあう古典的だが新しさもなく、そこが強調されてネタはなんだったのか思い出せないという内容だった。
それから関西ローカルでよく姿を見ていたし、ブラックマヨネーズというネーミングは印象的で、京都出身もあって記憶には残っているがまさかここまで長期的にレギュラーをもって活躍し続けるとは想像だにしなかった。

今も昔も僕がはじめて売れていない時代のネタから売れたネタの変遷を1個ずつだが目撃した芸人というのがブラックマヨネーズだ。
その場しのぎの身体いじりネタから脈絡のある不安症の男がより些細なことで暴走していくという起承転結のあるネタまで昇華させたその一端が垣間見える本だ。

吉田氏は勤勉化でパチプロになった過程でまずはゲームセンターで回る釘がいかなるものかを体感して、ホールで実践するときに回転数、当たり額、連荘などをすべてデータとしてとっていたらしい。

吉田氏はデータを撮り続け、大当たり確率や連荘数がメーカー公表の数にしっかり収束する。だからこそ釘を見てボーダーを最優先に考えることを念頭に打ちつづけていた。

それに付随して面白いエピソードがお笑いコンテストで散々悪いクジ番号をひいていた吉田がM1決勝で「確率は収束する」と小杉を言い聞かせて理想の中盤5番をひきあてるというエピソードだ。

出ない日は「今日は水やってんねん」「今日は耕しててんねん」と、花咲かす準備作業をしてるんだと言い聞かせて、同じ台でひたすら打ちつづけてました。(p20)

たとえ回ったとしても母数の倍ぐらいはまることはざらだし、逆に回らない台でも二桁スタートで大当たりしてラッシュに入ることがある。よくよく言われることだが、ギャンブルの恐ろしいことは努力をしていなくても大勝ちすることがあってそれで錯覚してしまうことだ。

それに対して吉田が行ったアプローチが
「勝ち負け以前に今日俺は30まわる台を打ったことを満足しよう」

ということ。巻末インタビューでちょっとプラスがでても回転する台なら後にはまっても打ちつづけるし、逆に回る台を一日中打ちつづけないと意味がないという彼なりの信念がある。パチプロからすれば「んなの当たり前だよ」って反応するが養分からすると「あ~なるおど」と感じるところがある。
僕も信念がない人間なので、マックスではまったら簡単に甘デジに逃げてしまう。履歴を見てスタートを見て「なんだかこれから100回転以内で当たりそうな気がする」という根拠のない立ち回りをしてしまうことがある。あくまでパチンコもスロットも確率が支配する世界。パチンコなら釘によって抽選機会を削られたり得られたリするのでなおさらボーダーに目を向けざるを得ないだろう。

現在は縮小しているが、ホール企業の一つである玉三郎の社長が「この釘を上にすると私たちがお客様から利益をいただき、逆に下にすると○○円赤字になります」とテレビで教えていた映像があった。つまりはそういうこと。

彼のそういう思考は一朝一夕で身に着けたのではなく通信販売などであるパチンコ、競馬必勝法などに惑わされて購入していたい出費を経験して得たものというのが説得力があっていい。

年下の嫁を決定した要因の一つが、ホールで打ちに行って自分の的確な指示を満たしたというエピソードもほっこりする一方で論理的に打つことをかんがえているんだなと想ったり。でも万が一僕に彼女ができたとしてもホールには絶対いきませんから・・・・

またお笑いでも自分のスタイルを周りに左右されずに貫き、素振りをなんども繰り返しているような奴が一番怖いという。そういう鍛錬や思考を重ねた人間のラッキーヒットは一般人のラッキーヒットよりも大きいものになるという思考も面白い。

僕も無駄にパチンコ、スロットを打っているけど「どれだけ勝とうが負けようが自分でブログで書いてネタになると確信を得るまで打ちつづける、またはそう感じたらきっぱりやめる」という信念で付き合ってみてもいいかと感じた。

ちなみにパチプロ時代の話やノウハウばかりが注目されがちだが、ホール店員で培った一つのエピソードが肉体労働者の自分にはえらく響いた。

これは吉田が素行の悪い客に本気でキレて恨みをかって店前に待ち伏せされて店長に送ってもらったときのエピソードについて

僕ただのバイトやし、お店に愛があるわけでもないんですよ。そんな愛のないもののために一生懸命やる必要もなかったというか、ウカツなことしたらアカンなと。「勝負所でもないところで男を出したらアカンな」と肝に銘じました。
その日を境に接客変わりましたよ。本当はよく
ないんでが、あまり注意しなくなりました。そもそも、ここの客と勝負じゃなくて、ちゃんと自分の人生と勝負せなアカンなと考えさえられましたから。そういう積み重ね、経験がたくさんあるから、売れてない時代に自分らしい漫才を作り続けることができたんかなって思います。
だから、必要以上に偉そうにする警備員さんとかいるとわかるんですよ。「ああ、この人は人生うまくいってへんから、今自分が使える目一杯の権力を使ってるんやな」みたいなね。(p39)

これでもあくまで彼のお笑い芸人のように勝負どころがある人にのみ通用する理論です・・・俺ねぇわ

他にパチンコプロだったからこそ感じるパチスロに対する不信感という点で、大型店に何時間も前から並んでそこの店に設定5~6使われているという根拠なく並んで多数決を盲信していると批判的に書いているエッセイもあるが、現在は設定告知演出も多数使われており店側も「高設定つかってまっせ」とアピールできる。

おそらくここで言いたいことは強い店=勝ちやすいのではなく弱いぼった店でも魅せ台は必ず1台はいれるから、前提の店選びを評判だけで決めるなという提言だと思う。
さらにブーメランになってしまうが、本書で吉田が推しているAKBの演出、エアバイブはすべてKYORAKU製であり、彼の番組は京楽が・・・・あとはご想像にお任せします。仕方ないですね。吉田氏が勧める機種や演出も疑って読もう(笑)

人生観で参考になる体験談として売れていない後輩が売れている吉田を見て早く右打ちしたいあまりストロークがおざなりになって右打ちになって「左打ちにもどしてください」と連呼される様を見て、売れてから何をするかをイメージする前にそれを積み上げるための努力をすべきで右打ちしたいなら左打ちをもっと丁寧にすべきだというのはまぁ当たり前の話だが、そうだなぁと共感する。

僕、ブログではまだまだ弱小ブロガーだが1万アクセスになったらうれしいなと功名心が出てしまうこともある。そう妄想する時間があるなら1つの記事をしっかりかけやってことですよね~

吉田敬の人生観が濃縮されているのが実はエッセイではなく巻末の後輩芸人との数ページの対談にあって、身近な人間でダメな部分をみているからこそ人生のお笑いの先輩として厳しいストレート一杯の言葉を投げかけている。もし本屋でみかけて気になるならその対談の数フレーズを読んで「あぁ確かに」と思えたら購入していいと思う。

本書で吉田敬が何を伝えたかったか僕なりに解釈してみる。

高尚な映画を観たり、哲学書をみて「こう思った、こういうことを学んだ」というのは思考の質はともかく誰でもできる。それは誰でも「こういうものをみたから何か感じ取らなければ」と脳が指令を出すから。
一方でパチンコ、パチスロは遊びで、さらに金銭のやりとりが生じるためやり始めこそは「演出はどうか?」「確率、スペックはどうか?」と考えるものの投資が膨らんだり、逆に大量の出玉を獲得すると派手な演出もあいまって思考が殺されていく。そういう思考が擦り減らされる情報でも学ぶこと何かを感じようとすること、自分が当初考えていたことを徹底できているか?という鍛錬が重要であると示している。いわゆる初志貫徹というやつだが、それを非日常的な空間でも貫けるか。勝ち負け以前のスタイル、矜持をはれるか、なんだか吉田氏の愛好する福本漫画のようなくだりだけどそういう思考メソッドを養うという点では自己啓発書のような役割を持っていると感じました。