超光戦士シャンゼリオン だらだら感想 死を正面から描くこと、この世界には絶望と希望がかならず存在するということ

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井上敏樹…平成ライダーを嗜むものならその名を聴いたことはないかもしれない脚本家。

スーパー戦隊シリーズにおける「ジェットマン」の大人向け路線で立て直しを図り、平成ライダーではシリアスを基調とし中高生以上の層も取り込むことに成功した。

そんな井上敏樹が監督・長石多可男、後の平成ライダーシリーズで重要な役割を務める役者も相まって、スーパー戦隊から平成ライダーへの橋渡し的な作品ともいえる。

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(2003/06/21)
特撮(映像)

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(555十周年を祝ってか短期間で二度配信された。井上作品はあとアギトとジェットマンは押さえておきたい…)

シャンゼリオンは基本、主人公の鈴村のだらしない日常から闇次元から地球を侵略にきたダークザイドやダークザイドに立ち向かうS.A.I.D.O.Cの面々とのコメディパート、そしてシャンゼリオンに変身してからの戦闘パートの二つに分かれる。

コメディは一つのミスが二つ目の同じミスに繋がったり、似たような勘違いが立て続けにおこるいわゆる天丼展開が多く、それがうまくはまっている回と肩透かしな回の落差が激しい。

主人公の涼村暁は巻き込まれ型でヒーローになった探偵事務所を経営する男。しかし、人格は優れているとはいえずナンパして多数の女性のヒモになっていたり、金にルーズで1000万以上の借金を抱えていたり、敵があらわれても自分のスケジュールを優先するといったアンチヒーローな性格だ。

しかし、逆に彼がダークザイドと戦わなければならない場面での話の引き締まりはとてもよく、第6話の「ごめんね、ジロウ」ではジロウと名付けたダークザイドの美女と恋に落ちるが、共に人類とダークザイドのためにたたかわなければならないという運命と向き合う。その際、無言で変身シーンをとるのだがこれがとても印象に残る。(無言での変身はとても好きらしい…)

平成ライダーのようなアプローチとして敵役のダークザイドの描写は見逃せない。彼らは人間になり済まし、各々の手法で食糧となる生体エネルギー『ラーム』を食する。生体エネルギーを吸われた人間はもぬけのからになったり、存在そのものが消えるがたいていはダークザイドがやられると元に戻る。

ダークザイドはそれぞれ若い女性のラームを求めるもの、逆に老人のラームを求めるもの、中には「自分がほれさせた女のラームだけを吸う」というルールを課すものがおり、それがダークザイドの個性化に一役買っている。

エピソードの中にはアイドルオタクのダークザイドや箸袋マニアが高じて幹部の命令にもたてつくダークザイド、そして重度の特撮オタクで鈴村に特撮のイロハを教え込むダークザイドまでいる。

シャンゼリオンの脚本で評価できるポイントとして、「光と影」「現実と理想」「生と死」といった表裏一体の概念や価値観の二項対立を描き分けている

例えば主人公の涼村とシャンゼリオン候補だった速水は適当な性格と真面目な性格という明快な色分けがされている。速水の型物でひたむきな性格が涼村のちゃらんぽらんな性格を、逆に涼村のだらしない自己中心的な性格が速水の性格を強調させている。
エピソードの中には速水がシャンゼリオンになる話もがあるが、あまりにも真面目で優しい彼はダークザイドの偽りの命乞いに何度もだまされる。ヒーローとして必要なのは相手の心の裏を読むことでもあるという人生経験豊富な涼村が適任だと分かるエピソードだ。

ダークザイド内の闇将軍ザンダーと暗黒騎士ガウザーこと黒岩の立場も異なる。ザンダーは特撮によくある絶対的な力で支配するが、黒岩は人間で生活するというルールをいかしてダークザイド専用の相談事務所をつくり、恩をうって東京都知事に出馬、独立して東京の皇帝になろうとした。

黒岩は平成ライダーではおなじみの人間と怪物の狭間でせめぎ合う男だ。人間特有のストレス社会に倒れるダークザイド達が多い中、黒岩は生きるための圧倒的な知識を身につけることや女性の心を落とす過程で人心を操ることを体得していく。しかし、涼村の仲間であるエリと敵味方を超えた禁断の愛を交わした。(その際のディープキスは特撮とは思えない濃厚なもので二度も行われた…)

規律やプライドに厳しい男なので、味方であっても卑怯な手をつかえば容赦なく処刑する。黒岩は最終的に人間とダークザイドのDNAをあわせて最強の生物を作ろうとしたが、それは人間に近づきたかった本心か、生息できる住処を失い人間の生体エネルギーを惨めに摂取しなければならないダークザイドという生物に対する絶望なのか。

最終回から前3~4話は不思議なエピソードが続く。

例えばシャンゼリオンはテレビの世界でも特撮ドラマとして放映されるというメタ手法がとられたり、初代皇帝となろうとする黒岩が選民思想を実施するため劣る人間を消去した結果、拳銃を持った子どもに撃たれたり、最終回にいたってはもう一つの世界が提示される。

最終回の見せ方は確かに禁じ手といえる。これまでシャンゼリオンの邪道ぶりを楽しんでいた身としては最終回に従来の特撮ヒーローらしい展開を流されるのも少し興ざめはした。急遽きまった展開(ラストの方向性はあらかじめ決められていたようだが)のため、それまで使い回しで幾度か登場した闇次元の扉の描写もあまり活かされていない。どちらもあるパラレルワールドとして受け入れるのかいいのだろうか。

ただこの最終回も「コメディ」と「シリアス」の対比が狙われている。これまでラームを吸われてもシャンゼリオンがダークザイドを倒すことによって人々は息を吹き返すが、黒岩が粛清の命令を下した際、同じラーム吸引描写にみえるがそこには明確な「死」が描かれている。黒岩を殺したところで子どもたちの両親は戻らない

また、怪物形態ならどのような部位破壊も許されるが、人の死はたとえ口から吐血程度のものでも芯に迫る説得力があるという描写も行われ、これは平成ライダーに脈々と受け継がれるリアリティの根幹をなしている。

ビルの倒壊などではなく明確なこの世界で一人の人間が亡くなるという事実を突き付けていく、死から眼をそむけない描き方は井上脚本では重要な支点だ。

他にシャンゼリオンはアンチヒーローのアプローチをとるためか、特撮にある「熱え」があまり見られない。必殺技のシャイニングアタックは非接触の鉛筆上のCGを飛ばす技であまりピンチでない状態でも出しておけば勝てるような技で、中盤からは三つのサポートメカを用いることで2対1の状況を容易に作ることができ、ピンチらしいピンチはあまり見られない。(17話の「ライバルいっぱい」がピークとなる)

超光戦士シャンゼリオンという作品は戦隊シリーズや仮面ライダーとは異なり明確な後ろ盾がないために、低予算でCGは雑で、使い回しも多く、役者のアフレコもあまりあっていない。しかし、自由な演出が可能となり、掟といわれたルールを破ろうとした作品だ。完全に破ったかどうかは後の平成ライダーを観ればおのずと分かることだ。