仮面ライダーBLACK RX 「私」を救えなかったBADEND ヒーローは象徴であり続けなければならないのか?

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ニコニコで二年にわたり、東映チャンネルから一話ずつ放映されたBLACK、RXを毎週の楽しみにしていた。

仮面ライダーBLACK RX VOL.1【DVD】仮面ライダーBLACK RX VOL.1【DVD】
(2005/05/21)
倉田てつを

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RXは2~4話完結という平成ライダーでは当たり前の構成をみせるだけでなく、フォームチェンジ、武器による必殺、コメディとシリアスの使い分けといった演出にも多大な影響を及ぼしている。

筆者も最初は、BLACKへの思い入れが強かったので、コメディパートに関しては抵抗があった。南光太郎の底抜けに明るい性格はこの作品が続編ではなくパラレルワールドではないかと疑うほどに…

しかし、これはまごうことなき南光太郎の未来であり、BLACKの正当な続編だ。

このブラック考察ブログを拝見し、なるほどなと思わされたのは、BLACKという作品は主人公の南光太郎が親友の信彦を救うという「私」とゴルゴムの世界征服から守るという「公」で板挟みになっているところにドラマ性があるという点だ。

前者は、人間・南光太郎としてのストーリーであり、後者は仮面ライダーBLACKとしての物語だ。

そして、両者は比例するわけではなく、逆に世界を征服するシャドームーン(信彦)を倒さない限りは救われない。

光太郎は公を選択した。信彦を失い、家族ぐるみの付き合いをしていた信彦の関係者とも縁を切り、最終回は公道を孤独にバイクでかけて終了したのだ…

RXでは佐原一家に居候して開始する。ボロボロになった光太郎を大黒柱である佐原俊吉に拾われ、ヘリの操縦士という仕事と家族を両方手に入れた。
また、親友以上彼女未満の密な関係を持つ異性の白鳥玲子との関係も忘れてはならない。

そんな平和な日常を脅かすのが自分たちの故郷が壊滅の危機にあるため、民を移住させるために地球侵略を目論むクライシス帝国だ。

クライシス帝国はゴルゴム以上に猶予がないため、早急に世界侵略を行おうとする。そして、それを阻むRXへの排除を積極的に行う。だが、BLACKよりさらに強化され、複数のフォームチェンジを備えたRXを打倒するためには正攻法ではなく、南光太郎の弱点、佐原一家を利用する必要がある。

実際、佐原一家の子どもを誘拐したストーリーでは光太郎が幾度もピンチに追い込まれている。

そういう見方をすれば、RXは悪の組織から世界を守る正義の味方ではなく、自分の家族を守るという私の壮絶な戦いになる。

序盤のエピソードは佐原茂の成長を頼れる兄として見守るようなエピソードが実に象徴的だったが、中盤以降はBLACK同様に四国空母化計画を阻止するなど公のヒーローとしての責務を全うしなければならなくなる。そのため、家族との団欒描写とヘリ操縦士としての仕事描写がほぼ排除されている。

話が進めば光太郎がRXであると気づく者もあらわれる。玲子と茂はその役回りだが、肝心の父と母は知らない。

父は男の勘とやらで光太郎が重大な責務を担っていることを指摘し「いつでも帰ってこい」と激励する(実に感動的だ)が、母の唄子は光太郎が居候してから子どもたちに危険が迫っているという女の勘と母の役目として光太郎に遠回りながら離れてほしいと頼む。

光太郎は再び、世界を救うヒーローでありながら孤独という公の象徴としてあり続けなければならないのかという葛藤が生まれる。BLACKほどその葛藤は誇張されていなかったが、BLACKを観た視聴者なら必ず気付くジレンマだ。

物語も大詰めにさしかかるとクライシス幹部が自らの最強怪人を引き連れ、RXと直接対決に臨む。一方で世界のどこかで来るべき日に訓練を行ってきた昭和10人ライダーも登場する。

この10ライダーは戦闘力こそRXに大きく見劣りするのだが、その役割が実に重要となる。

まず、10ライダーが登場した理由は最後の打ち上げ花火やメディアミックスなんて商業的理由は分かりきっているし、役者が登場して変身シーンをみせる手間や予算がないのも分かる。深い意味なんてそこにないだろう。

だが、人間として変身して現れるのではなく、単に「一号」「アマゾン」「ストロンガー」として登場する彼らは単なる記号と象徴にしか見えない

一方で南光太郎は彼らの前でも南光太郎として(倉田てつを氏の姿で)登場する。仲間を引き連れてクライシスと戦う姿は世界を守るためだけではなく、自分の家族を守るために戦おうとする決意がみられる。

しかし、最終回直前の46話でジャーク将軍によって佐原一家は襲撃され、子どもを守るために盾となった父と母は殺される。RXで明確な死が描かれたのは、29話、30話でクライシスが水不足を利用する際に親を殺され復習を誓う的場響子の話だ。
(ちなみに的場響子は両親を殺された怨念で水を自在に操るチートを習得し、アーチェーリーのスナイプ率も真・斬月に匹敵する非ライダーとしては桁外れのスペックを持つ…正直ジョーより活躍している)

RXは底なしのスペックを誇りながらも自分を救ってくれた二人を救えなかったのだ。この時点でいくらクライシス皇帝を打倒しても、怪魔界を崩壊させても私を守る彼の闘いは敗北したのだ

あまりにも酷だ。一度、満身創痍で世界を救い、私のささやかな幸せを臨もうとした男がまた同じ過程で大切な家族を失い、孤独に至る。戦いを望んだわけでもなく巻き込まれたことがきっかけだというのに…こうしてRXも10人ライダーと共に象徴化してしまうことに切なくなってしまう。

よく「あなたのライダー像は?」いやヒーロー像全てに言えることだが「自己犠牲」を求めるファンが多い。これが剣崎や葛葉のように「目の前の人を助けたい」という手に余るほどの願望があるならば、一定の自己犠牲はやむなしとは思う。(剣崎は相応の対価を払ってそれを示した…葛葉はどうなることやら…)

BLACKではシャドームーン登場後しばらくの間、またゴルゴム怪人と戦う過程で公のヒーローを臨んだ面がある。だがRXでは少なくとも佐原一家の中の南光太郎、玲子との関係を成熟させたいという私の願望が強かったはずだ。彼の世界を守るという公の目標と私の目標がとても合致しているようには思えない。

私は年齢を重ねて、誰かを救うと宣言する人間は自分が幸福であるという認識があり、それを他人に分けられるだけの余裕がある人間でなければ説得力がないと考える

非常に合理的で救いようのない話だが、お金のない人を最も救えるのはお金のある人であり、精神薄弱の人を救えるのは精神が安定した人ということになる。ならばヒーローは自分を投げ出す「余裕」がある自己犠牲が的確とはいえるが、RXに至っては自分の家族を守り個の平和を守り公の平和も守ることをベタでも提示すべきだったと思う

結局、公を守るために私の幸せをなげうつというのはBLACK同様ほろ苦いラストであり、地球を守ることと親二人の死が天秤にかけられるというのはリアリティがあるが、救いようがなさすぎる。だからRXは前半のコメディが強すぎる分、後半のシリアスな展開が尾を引くのだ。

演出、ストーリー構成に斬新さはあったものの、RXはヒーロー像をひたすら保守的に固めるような立場を結果的に担った。公を守るという凡人の観点からすれば「わがまま」な行為を私の幸せを犠牲にするという天秤にかける仕組みは合理性はあり、学生時代に観れば酔いしれるように感情移入しかねないが、成人を過ぎればそこに一抹の疑問がよぎるのだった。