西郷どん まもなく西南戦争開戦 NHK「英雄たちの選択」で未来の平民と過去の士族の戦争であることを知る

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NHK大河ドラマの「西郷どん」もとうとうクライマックス。次週は「西南戦争」が描かれることになります。

それに先駆けて、NHK「英雄たちの選択スペシャル西郷隆盛・西南戦争」が放送されたので、視聴しました。

あっという間の2時間で、西南戦争はどういう戦争だったのかという考察としても有用だったので、放送の流れと感想を少し載せていきます。

ちなみに、U-NEXTで見るか、12月16日の午後2時30分から再放送されるみたいです。

再現ドラマをベースに

西郷隆盛

桐野利秋

薩摩側。西郷の助力もあり、陸軍少将にまで上り詰めるが、西郷が政府から離れるとともに、薩摩で西郷とともにする。政府の徴兵制を断固反対し、士族の権利と武力を守ることを主張。西郷暗殺未遂を受けて、話し合いではなく、武力によって訴えかけることを強く推したため、開戦したといわれている。

山縣有朋

政府側。陸軍大将。徴兵と独自の情報ルートを用いることで、1万人以上の猛者を抱える薩摩をはねのけることに成功。

この3人をメインに話を進めています。

西南戦争の流れとして

①政府は、平民にも武力を与える徴兵制を提言。国民一人一人が国への愛国と武力を持つことで、世界との領土問題、戦争を見据えた国づくりを目指す。

一部の士族(武士)は、武力は自分たちが独占し、誇るべき権利であり、それを平民に渡すことへの抵抗と、一朝一夕の訓練で、諸外国と闘えるわけがないと、徴兵へ反発

山縣は、政治的なスキャンダルを起こし、桐野に追求されながらも西郷に直接許しをもらう。

②後に廃刀令、士族への給料の廃止により、士族たちの不満が爆発。各国で小規模の反乱が勃発。薩摩藩の不満も高まる。

③西郷が起こした私学校に、政府から派遣されたスパイ兼暗殺者が発見。桐野はじめ、若者たちに背中を押された形で、「俺の命、みんなに預けたぞ」と事実上のGOサインを出す。

西南戦争開戦

結果は、周知のとおり、西郷率いる薩摩藩は、新政府軍に敗れ、西郷は桐野によって介錯をされ、桐野も戦死。

教科書では、かなりあっさりと書かれいましたが、この戦争は、武家社会の本格的な終焉と、士族VS平民の新しい時代を告げる戦争でした。

まず、薩摩藩士の考えは、大軍を率いて、熊本城を制圧し、東京へ上京することで、各地の不満を募らせた士族たちが、西郷というリーダーとともに結集するという青写真を描いていました。

士族からは、カリスマ的な存在だった西郷の存在を恐れた、山縣は熊本城の制圧が各地に広まることを最も恐れ、西郷の軍を九州でたたくことを至上命令にしていました。

政府軍は、東京から九州に電信網を引き、モールス信号によって、西郷たちの行軍を逐一知らせつつ、船を用いて、物資と兵を吸収に提供し続けました。

「自分たちが動けば、兵士が集まって戦ってくれる」

という武家社会特有の信頼関係を信じ続けた、旧社会的な西郷たちと

「援軍は、自分たちが身銭を切って、物理的に兵士を送り続けなければならない」

という、現実的で、確実な手法を選んだ、新政府。

白兵戦に持ち込めば、剣術の訓練に長けた西郷側に有利ながらも、それを食い止めるべく、熊本城の周りを焼き払ったり、天守閣を落とすことで、要塞として徹底的な下準備を行いました。

単独で、熊本城を攻めることは困難である、と判断した薩摩側は、熊本城に一部兵士を残しながら、敵の援軍、物資供給ルートの要である田原坂に陣を敷き、高所から政府の援軍を攻撃し続けました。

戊辰戦争の豪傑たちが集う薩摩側が、熊本城の先陣で出鼻をくじかれるも、冷静に相手の出方をうかがいます。

西郷たちを確実に仕留めるべく、兵士を最大限まで温存した山縣は、この考えがあだとなり、準備万端の薩摩側の陣形を崩すことができず、薩摩側が願っていた白兵戦に持ち込まれ、多くの平民出身の兵士が命を失います。

苦渋の決断を強いられた山縣は、地元の警視隊に日本刀を渡し、臨時の抜刀隊として、薩摩と白兵戦で戦わせることに。

この抜刀隊は、政府側についた薩摩藩士であり、政府側につき未来の日本を託した抜刀隊と、武家社会を存続した状態での新しい国づくりを考える士族側とのプライドをかけた戦いとなった。

抜刀隊はほぼ壊滅状態になりながらも、奮闘し、薩摩側を退け、田原坂を攻め落とすことに成功。

しかしながら、西南戦争の天王山といわれた、田原坂の攻防は3000人以上の死傷者を出しました。

西郷は、桐野たちとともに逃亡しましたが、、4万以上をかけた兵士の大捜索により、ついに追い詰められ、平民出身の兵士たちが、歴戦の勇士集まる薩摩藩士におそれず立ち向かっていく姿を見て、武家社会の終焉と、新しい国民が自分の国を守る未来に自分の命を託して、西郷は命を落としました。

政府から離れ、故郷に帰ってから西南戦争を起こすまでの西郷の言葉や、書物があまりにも少ないため、立ち上がることを決めた、最大の要因や何を思って戦争を続けていたのかという細かい心理的な背景は、ベールに包まれたままです。

勝算があって、現政府にとってかわる形で蜂起したのか、薩摩の若い衆の不満のはけ口として、仕方なく立ち上がったのか。そのきっかけの解釈だけでも西郷の人間性への評価が真っ二つに分かれますね。

繰り返しますが、僕がこの検証番組を見た感想として

立場は皆異なれど、新しい国をつくるために、結集して薩摩に立ち向かった新政府軍

立場は同じだが、旧態依然とした武家社会を取り戻そうとした薩摩

との争いだったという見方です。

この薩摩の急襲は、海外からの戦争をしかけられたとき、軍隊は、指揮系統は、情報収集はどうあるべきかという新政府の新しい未来を示した戦といえるでしょう。

こうした、いわばイデオロギーの衝突、国を想うぶつかり合いというものが、繰り広げられることで、より西南戦争は、後世への重大なターニングポイントとして、語り継がれることになるでしょう。

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