龍が如く0 誓いの場所がなぜシリーズ最高のストーリーと言われているのか?

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
スポンサーリンク

時間に余裕ができたので、「龍が如く」シリーズの最高傑作と呼び声の高い

龍が如く0 誓いの場所

龍が如くシリーズは

初代、2作目、3作目、そして番外ですが「北斗が如く」を遊びました。

2020年初頭に発売予定の「龍が如く7」ではコマンドRPGという、これまでのアクションゲームから大きな転換を迎えます。

確かにマンネリ要素の強いゲームですからね・・・

スポンサーリンク

増えすぎた前日譚にあえて挑戦する意義

龍が如く0は、1作目から17年前の話になります。俗にいう前日譚です。

映画界でも、初の続編となった「ゴッドファーザー2」を代表に、スターウォーズ、ハリーポッター、ロードオブザリングなど長期でナンバリングされているタイトルの多くに前日譚の作品が存在します。

(part1の続編でありながら、part1に至るまでの話も並行して、描くという難題を克服し、その後の「続編もの」に大きな影響を与えました)

ゲーム業界でも

FF7、キングダムハーツ、ゴッドオブウォー、メタルギアソリッドなどビッグタイトルの多くが、模倣し、当たり前の風習となりました。

特にメタルギアソリッド3は、数多くの前日譚の作品の中でも最もストーリーの評価が高い作品の一つになります。

前日譚を描くメリットですが

  • シリーズ、キャラクター、世界観がすでに認知されていることが多く、既存のファンを取り込みやすい
  • 長期化したシリーズのストーリーをリセットする効果があり、新規参入者を誘導しやすい

龍が如くも魅力的なキャラが多く

「あのキャラはどうして、あのポジションになって、あんな性格になったのか?」

という疑問に答えてくれるようなストーリーでした。

龍が如く0では、龍が如くで長く活躍し、愛されるキャラクターのイメージを損なうことなく、ストーリーに反映させ、そして、原点回帰の「極道モノ」「ヤクザ映画」「Vシネマ展開」を踏襲した、作品になっています。

また、バブル時代の日本社会を投影しているため、町中いたるところが風俗街になっていたり、当時のブームをそのまま取り入れたり、物語のキーが「土地」になっていたりと、社会勉強できるような側面もあります。

一方で、シリーズのレギュラーキャラへの愛着が強すぎると、新規キャラの印象が薄まってしまいます。

それは、龍が如くが得意とする、俳優陣の起用で、クリアしています。

久瀬、阿波野、渋澤、立華、佐川は、どれも一癖も二癖もありますが、実在の役者が演じることで、さらにアクの強さが増しています。

後のシリーズの整合性をとるために、0のオリジナルキャラの多くは、何かしらの形で物語から退場するいわば消耗品。

現在のところメタルギアのように、前日譚が独立してシリーズになるという予定もありません。

(余白を作りすぎてしまうと、膨大な伏線を回収しきれなくなることもあります)

そういう理由もあって、0のオリジナルキャラにもどこか情が映ってしまいますね。

龍が如く0のストーリー構造のえげつなさ

しかしながら、ただ前日譚を描くというだけでは、満足されないのも事実です。

しっかり一本のストーリー、映画、エンターテイメントとして評価を受けることも大切です。

龍が如く0では、それまでの主人公の桐生一馬だけでなく、シリーズにたびたび登場し、ファン投票も1位の真島吾朗とのダブルキャストになっています。

それぞれのストーリーを比較すると

桐生一馬

殺人の濡れ衣を着せられて、身の潔白を証明することと、東城会の風間の立場を守るために、堂島組から抜けて、行動するサスペンスストーリー

真島吾朗

組の長の命令を破ったために、キャバレーを経営しながら極道に戻ろうとする。目付け役の佐川からマキムラマコトという女性の殺害を命じられるが、もろもろの事情でマキムラマコトと関西の近江連合から逃げるサスペンスストーリー

同じサスペンスであり、極道が関与している話ではあるのですが、桐生は逃げながら、立華不動産とともに真実を究明する話ですが、真島はマキムラと逃走しながら、ストーリーの核心に近づいてしまうというこの微妙なアプローチの違いが、深みを生んでいますね。

全く異なるジャンルを用意して、バラエティ豊富であることを演出することは簡単ですが、龍が如く0では、ジャンルは同様であっても、アプローチを変えることに挑戦しています。

これにより、桐生のストーリーは利権と利益のために、人が簡単に殺されてしまう殺伐とした展開ですが、真島のストーリーは、一人のか弱い女性を守るという命の尊さに触れるものになっています。

現在のバブルのイメージは、金があり、自由があり、人生を謳歌しているってイメージですけど、劇中の人物は極道だったり、仕事だったり、自分の過去だったりと社会や人間関係に相変わらず縛られているんだな~という点で、親近感もわきます。

それぞれのストーリーに設定されているマクガフィン(作劇において、登場人物の動機づけやストーリー展開を左右する重要な小道具でありながら、最後までその正体が不明な物のこと)も秀逸で、「カラの一坪」「マキムラマコト」がそれぞれ土地と人間、莫大な利益と、感情を持った、対比があります。

このマクガフィンが非常に重く、重要であるため、龍が如く0は様々な登場人物が様々な思惑を持っているわけですが、カラの一坪とマキムラマコトに重ねて考えると、非常に理解しやすくなっているわけです。

物語を難しくするとか、難解にすることよりも、構造を誰にでも理解しやすくして、それでいて万人が「これって深いな~、複雑だな~」と自分で気づけるように導くってのが、理想的なドラマツルギーなんでしょうかね。

また、桐生と真島のストーリーが同時並行で進むのですが、多くのキャラが物語冒頭から出演しているので、「群像劇」のような一面もあります。

物語序盤からとある理由で不在の風間にしても、たびたび登場し、桐生と人物の出会いをつなぐことで物語に参加しています。

ゲームというのは、ストーリーを楽しむといって時間は膨大にかかるため、キャラクターを小出しにしたり、数時間おきに新しいキャラを出して刺激を与えようとしているわけですが、それが結果的に「空気なキャラ」を生み出す要因にもなります。

あと、最初から様々なキャラを立てると物語の整合性を取るのが、難しいというのもあります。

どのキャラも本音と建て前、正義と悪を持ち合わせており、それをしっかり長いストーリーの中で、どちらも見せている懐の深さに感銘を受けました。

龍が如く0・・・ぞくぞくするほど素晴らしいストーリーでした。

人の冷たさだけではなく温かみも描き、社会の厳しさだけではなく、希望を見せる。

他のアドベンチャーや小説や映画と比較しても、素晴らしい作品ではないでしょうか。

ブログ内関連記事

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。