レッドデッドリデンプション2 ネタバレ全開 エピローグ後の展開 生きるための暴力と不必要な暴力のボーダーライン

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この記事はレッドデッドリデンプション2(以下RDR2)の重要なネタバレを多数含みます。さらに初代RDRのネタバレも含みます。未プレイの方で、ネタバレを避けたい方は、ブラウザバックを推奨いたします。

ようやく、完全にRDRのストーリーが終わりました。おそらく30~40時間ぐらいの密度だったと思います。まさかエピローグに5~6時間以上かかるとは思いませんでしたが…

RDR2はRDRを含め、アーサー、ジョン、ジャックの物語が一つに連なった大河ドラマのような壮大なお話でした。

RDR2のエピローグをあらすじ形式で記載していきます。何度も言いますが、ここから先は、ネタバレです。

ちなみにこちらもネタバレですが、アーサーに関するストーリー考察は以下の記事をご覧ください。




ジョン・マーストンと復讐の代償

アーサーは、ジョンを逃げるために自らがおとりとなって、裏切者のマイカとギスギス関係のダッチと三つ巴になりますが、二人に逃げられた形で、朝日を迎えながら結核でこの世を去ります。

残されたジョンと妻アビゲイル、子ジャックは数年後、ストロベリー近くの農園で働くことになりました。

妻子がいるのに使用人という身分で、周りから見下され(どうやら土地を持って一人立ちしていないと結婚はできないような価値観がある)、土地問題でやってきたギャングを昔の血が騒いで一掃してしまい、アビゲイルから見限られて家出されるという散々なジョン。

彼は、必死に努力を重ね、酪農家、農家としての知識とスキルを積み上げ、地主の信頼を積み上げて、銀行から多額のローンを組んで、ブラックウォーター近くに土地を購入します。

過去の仲間であるチャールズ、おじさんと出会い、彼らの協力の下、家と納屋を建設。

彼の努力により、アビゲイルとジャックは戻ってきましたが、借金を返すためにセイディと、ともに危険な賞金稼ぎに首を突っ込みます。

セイディは、裏切者のマイカの情報をつかみ、彼女とチャールズとともに潜伏先の雪山へ行き、とうとうマイカと対面。自分を助けてくれたアーサーの仇討ちとばかりに向かい合う二人。

(正式にプロポーズをし、アビゲイルを将来の伴侶として迎えるジョン)

対峙する中、山小屋から出たのは、過去のリーダーであるダッチ。彼はマイカと手を組んで、ブラックウォーターで残した金を回収していたのです。

ジョンの必死の説得により、かつてはジョンを見捨てたダッチもマイカを撃ち、その場から去ります。

ジョンは、残されたブラックウォーターの金を回収し、借金を返済し、牧場を立派に育てました。めでたしめでたし・・・とはいかず・・・

真人間になるために、必死に農場で働く健気なジョンですが、文明時代が整ったどころか、数年前のコルムやルモワン、ダッチギャングのように悪事はしているが、一定のルールや信念のっとったギャングは壊滅。

(殺人にブレーキをかけない連中ばかり。まっとうに生きることが最も困難だった時代です)

多国籍で、無法者を集め、享楽的に殺人を繰り返すギャングが乱立しているという無秩序な時代な中で、まっとうに生きる苦しみを描いています。

ジョンは、勤勉に仕事し、賞金稼ぎも合法のまっとうな仕事ですが、マイカへの復讐を忘れることができませんでした。

もし、アーサーなら「マイカのことは忘れて、遠くへ逃げろ」とジョンに語り掛けていたでしょう。

初代RDRではエドガー・ロスに裏切られて殺されたジョンの復讐として、ジャックがエドガーに制裁を加えて、かっこいいカットインとともにエンディングでした。やや肯定的な復讐といったみせかたです。

一方で、RDR2ではマイカのギャングを虐殺したことで、連邦保安官のエドガー・ロスが捜査に乗り出しました。以前にマイカとダッチがブラックウォーターの金に手を出したことで、追っていたのでしょう。いわくつきの金だったため、金の亡者であったダッチですらもいくらか手放していたと推測されます。

(アーサーの墓を訪れる、元フィアンセのメアリー)

RDRでは、エドガー・ロスがジョンの農場を突き止め、アビゲイルとジャックを人質にとって、ジョンを利用して、過去のギャング仲間を殺させます。

仮にジョンが多額の負債に苦しんでいたとしても、勤勉に働き続けて、復讐を忘れていたら、RDRにはつながらなかったという見せ方をしています。

かなりほろ苦いラストです。

なるべく厄介事を起こさず、穏便に生きていたいというアビゲイルと、過去の出来事をゼロにはできないと反論するジョン。

ジョンには、懸賞金がついており、ダッチギャングでの行動は無駄であったのかという自問自答がされますが、彼の自衛力があって地主から気に入られたり、新しい土地をてにいれるということは、その土地を全力で守らなければならない。

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暴力に対する問題提起

まさにこの時代は、自己防衛のために武力を身に着ける時代だったのだと感じさせられます。

思えばロックスターの作品における犯罪というのは

自己防衛ややむにやまれず生きるために、法律やルールを犯してしまうことはある。しかし、自ら進んで法律やルールを犯すことはやってはいけない

という倫理観があると感じられます。

「暴力を描くことで、道徳を説く」というアプローチです。

北野武映画を思い出します。自分のために暴力をふるった人間は、必ず暴力の制裁を受けたり、肉体的、精神的被害を被るように作られているからです。

他に、復讐を描いた西部劇として、クリント・イーストウッドの「許されざる者」という映画があります。

友人を殺されたイーストウッドは、ラストシーンで、殺した相手を皆殺しにします。

一方で、そのアンサーとして監督されたのが、「グラン・トリノ」です。差別的な考えを持つ頑固者の老人が、いじめられっ子の青年を助けるために、暴力ではなく自らの命を持って、守るという映画です。

いずれも両極端なラストですが、暴力による解決は新しい暴力を生み、非暴力による解決は、取り返しのつかない被害を被ることになる、しかし人間はどちらかの行動をとらねばならないときがくるかもしれないという問題提起に感じます。

妻と母が溺れていて、どちらかしか救出できないという選択肢に似たジレンマです。

RDR2もそうした「暴力」に対する選択を何度も問いかけます。

「暴力を使って生きていくことは、不幸を招く。しかし暴力を放棄してしまえば、暴力に脅かされてしまう」

結末は用意されていますが、道中では

  • 殺すか赦すか
  • 進むか放棄するか

という選択肢が幾度も積み重なっていきます。そして、懸賞金のシステムがあるため、罪を犯すことへのペナルティが非常に重い作品です。

ちなみに、セイディのように賞金稼ぎとなって、無法者を捉えたり、ボディガードとして暴力で生きていくという選択肢はとれたはずです。

実際に、このゲームでは大勢の賞金稼ぎが存在しており、「家族を養うためにそいつを捕まえないといけない」とアーサーに対峙する賞金稼ぎもいました。

思えば、生きるために行う犯罪にアーサーは加担しながらも、不必要な戦闘を行うダッチに懐疑的な視点を持っていました。

暴力か非暴力かというと極端な事例になってしまいますが、僕らが年を重ねていくうえで、白でも黒でもないグレーな選択し、玉虫色の決着というのは何度も経験していきます。

テレビゲームというのは、その選択を前もってロールプレイさせてくれる機能があるものだと思います。

このレッドデッドリデンプション2という作品のストーリーは、キャラクターが膨大で、多角的にアメリカ社会を捉えることができる作品ですが、僕はそういった疑似体験をできたことに、満足と使命感を覚えました。

ロックスターは、世界でいち早く「暴力」をゲームというバーチャルな世界で、可視化させ、プレイヤーをいやおうなしに暴力と向き合わせた会社です。

ただ野蛮で、魅力的に暴力を映すのではなく、暴力の末路、暴力の危険性をゲームを通して伝えているという点では、真摯な作品と言えます。

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