細田守2018年最新作 「未来のミライ」 ネタバレ含む感想 家族という小社会で生きる4歳児

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人生は愛をめぐる物語じゃないですか。愛を得たり失ったり、その繰り返しが人生。そのいちばん最初の出来事だと思ったんです。これは4歳児の話ではなく、愛をめぐる「人間の普遍的な人生の話」になると。(中略)

愛を失った人間はその後どうするのか?また、愛を見つけられる自分にならないといけない。悲観ばかりしていられないから、そこから一種のアイデンティティ探しが始まる。つまり、自分自身を見極める旅に出ないといけない。(中略)みんな追い求めていると思うんですよ。自分というものが、必要あるのかないのかわからない、危うい位置に立っている。

(未来のミライパンフレット 細田守監督インタビューより)

僕は、大ファンってわけじゃないですけど、細田守監督の長編アニメはワンピースのオマツリ男爵からすべて見ています。オマツリ男爵は、ワンピースという作品の本質をとらえ、さらにジブリを解散された、当時の細田監督のほとばしるエネルギーとメッセージに満ち溢れた作品ですので、細田守監督が好きならぜひ一度は見てください。

さて、上記にパンフレットの細田守監督のインタビューを引用していますが、この映画はまさにこういう映画です。

情報をできるだけ遮断して、見ました。「なんか未来の妹がくるって感じからして、タイムリープとかそういうの?オリジナルの時かけをつくるのかな?」ぐらいの考えで見ました。

ただ、本質はかなり普遍的なお話です。

少なくとも、孤立したシングルマザーや、自分では隠しきれない個性という発達障害のメタファーも含んだ「おおかみこどもの雨と雪」(2012)に比べたら、何か問題提起をしたいという作品ではなく、細田監督の日常で得た普遍的な生き方、発想が取り込まれている作品です。

4歳の上は赤いシャツ、下は黄色のズボンというしん〇すけスタイルのくんちゃんが、新しい妹を迎えて、両親が妹の世話や溺愛で、自分への愛情を失った落胆で、暴れ、家族の居場所を失うくんちゃん。そんな彼は、家族にまつわるあらゆるエピソードへとタイムスリップしていって、成長していくって話です。

くんちゃんって、あまり好きになれないキャラです。拍車をかけて、子どもの声がうまい専業の声優(声優の中でも子供の声を出せる声優はかなり少数)ではなく、上白井萌歌のこどもをあまり意識せず、18歳の声色で4歳のわがままなボイスを連発するという拙さが、余計にくんちゃんに対するネガティブなイメージを抱きやすくしています。

おそらくそれが、狙いではないでしょうか。細田監督のメッセージ通り、くんちゃんのような嫉妬やわがままな感情、愛を失ったときのどうしようもなさは現代人の大人でも共感できる部分がある。だから子役や子供の声がうまい声優に任せず、経験の浅い上白井に託したのでしょう。

最初は、違和感バリバリでしたが、個人的に適役だと感じます。

ネタバレは控えようと思うのですが、ネタバレしてもまくらに顔をうずめて泣きたくなるような内容じゃないです。

細田監督の絵やキャラの表情って中性で、繊細的なので、日常描写や心理描写がぞっとするほどリアリティさを帯びる場面もあれば、総括するとカタルシスにとっちらかった印象を受けることもある。

近作の「バケモノの子」(2015)が特に顕著で、いくつかある社会問題をパッケージしているけど、総括すると無難なおとぎ話とエンディングって形で、全く印象に残ってないんです。

心の闇や鬱屈に関しては、本作の方がよく描けていると思いますが。

僕は、親になった経験はないですが、長男で二人の弟がいるので、親が自分にかまってくれないという嫉妬を感じたこともありますし、要求が満たされないと暴れまくるような男の子でした。

そうやって親にだだをこねた時期があるから、成長するほどに辛抱強く育てた親へのリスペクトがあるし、万が一自分が親になったら(ならないと思いますが)そういう風に恩返ししようかなと考えることもあります。

お話の流れや伝えたいことはわからないことないんですけどね・・・・ただいささか無理があるんですよ。

例えば、家族を題材とした話なら、今は亡き高畑勲の「おもいでぽろぽろ」のように、成長した主人公が幼少期を振り返って、家族関係や愛を取り戻すってほうがリアリティがあるし、王道な見せ方です。

対して、「未来のミライ」は4歳児のくんちゃんに「家族はこんな不思議な縁とつながりで成立しているんだよ」「その出会いがあるからいまの君がいるんだよ」ってくんちゃんを強制的に成長させるために、言葉に言葉を重ねる必要があります。高畑勲作品に比べると場面と家族のやりとりで、考えさせることは放棄しているんですよね。すごい説教臭い作品になってしまいました。

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この映画って明らかに「お話」「寓話」として教材的な作り方に特化しすぎている気がします。「俺は今こう思っているんだ!!」というメッセージではなく、「俺はこう思うから、こうしたほうがいいよ」っていうアドバイスのような印象ですね。

だから、くんちゃんにありえないような経験や視点を増やさして、家族という小社会から抜け出すために、未来を家族として認めて、未来の兄として生きていくという解答まで出しています。

うーん、解答自体は悪くないですし、子どもが見たら「家族を大切にしよう。特に兄弟は」って感情は芽生えると思うんです。

ただ、最後まで、家族のほとんどのルーツをくんちゃんに見せて教育させるっていうこの映画の本質のプロットになんか納得がいかないんですよね。

家族って自分では選択出来ないし、ドライな言い方をすれば、血はつながっているけど感情やルーツは別々の共同体ですからね。

そして、成長して、物心ついて思春期になって、学校生活で外部と接触すれば、自分の付き合いたい相手とかやりたい経験を得られますけど、くんちゃんのように4歳という状態だと、自分の経験やルーツは親にほとんど把握されているのに、自分は親のことを全く分からないっていう理不尽な状態なわけです。

でも、当然くうちゃんに「お母さんはこういう辛い経験をしたから控えよう」、「お父さんはこういう性格だったからね」っていうませた思考を持たせる必要はないです。それは大人になって養っていけばいいし、大人になったって、親のなれそめや祖父母がどうしたかなんて全く分かりませんからね(笑)

未来の立ち位置も「家族を思いやってほしい」というくうちゃんへの教育係にしかなっていなくて、その役割だけを全うしている印象です。細田監督のヒロインや女性キャラってそういう役割のキャラが多い気がするのは気のせいでしょうか・・・

かなりラストへの結びに無理のある作品に感じられ、そこにいくばくかの歯がゆさを受けるのです。

メッセージ性のある作品かと見受けられますが、メッセージ性というのは整合性や対比が伴う必要があります。

たとえば「オマツリ男爵」でいえば、仲間の死にすがる敵に対して、ルフィは仲間を一時的に失いながらも新しい仲間と闘って勝利を得ました。その仲間もルフィ海賊団の豊かな個性や美男美女じゃなくて、何の変哲もないおっさんばっかなんですよね。これ自体がワンピースの批評になっているんですけど、目的を達成するために仲間をすべて変えてでもやっていかなかえればならないっていう社会人細田守のプライドが現れています。

代表作となった「サマーウォーズ」は「デジモン ぼくらのウォーゲーム」のプロットを下敷きにしていますが、旧家の太い人間関係のつながりや、公務員の活躍を描く一方で、最終的に見ず知らずの人々の集合体であるネットのパワーのほうが強いという現代の評価社会を象徴するような対比がネット民の感動を誘いました。

その点で、「未来のミライ」ってパワーがない作品だなと感じることがあります。

例えば高校生になった未来やくんちゃんのシーンをすべて、排除した場合、くんちゃんは自力で自分のアイデンティティは妹の兄として生きることを見つけたというかなりポジティブなメッセージに見えます。過去の母やひいじいさんに愛されながらも今の妹の関係に目を向けたという。(かなりくんちゃんはませたキャラにみえるでしょうね)

くんちゃんの現状に対して対になるキャラや関係性があれば、メッセージ性の強く、娯楽性もあるダイナミズムな作品になったのではと惜しい部分の目立つ作品でした。

一つ、未来のミライが逃げなかった描写として、「家族に共感できる人がいなかったから、外部の関係に救いを見出す」という安易な着地点に降りなかったことだと思います。

「4歳児にとって家族内の人間関係が絶対だから、そこで生きていくためにはどうするか?」

そこを細田監督は最後までストイックに考えていたと思います。

ただ、最初はありのままのくんちゃん、感情をむき出しにしてそのまま自然を見せていく作品にも関わらず、中盤からルーツ巡り、未来のミライによる引導が目立ち、自分が4歳児に立ち戻って、愛を見つける、再獲得するという想像の余地を与えてくれよと思いました。

次回、細田監督は舞台は現代でも、登場人物を大人だけに絞ったり、セリフを抑えて動きで魅せていく作品を作ってほしいなと思います。やりたいことの方向性やいままで違うアプローチが多々見られる作品でしたが、惜しいポイントも散見される映画でした。

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