川崎殺傷事件 いまだに「一人で死ねばいい」論争が続く背景

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6月2日の夜に放送されたMrサンデーで、川崎殺傷事件の余波として

「一人で死ねばいい論争」について、NPO法人ほっとプラス代表理事・藤田孝典さんと、古谷ツネヒラさんを招き、司会の宮根氏を囲んで、論議の延長が放送されてました。

犯人が、最後に命を絶ってしまい、その動機も犯人の周辺情報や写真などの外的情報すら乏しいため、果たして犯人が、自殺の場所を見つけるために自分より弱い立場を襲ったというのも、あくまで仮設の域を出ません。

にもかかわらず、こうしてこの議論がいまだに語られる背景には、選挙と同様に、論点や争点を1つに絞ったほうが、メディアは取り上げやすい、視聴者は井戸端会議をするときにしても話やすいという明確なメリットがあるからです。

Yahoo!ニュース
なぜ過熱?川崎殺傷「一人で死ねばいい」論争の是非(テレビ朝日系(ANN)) - Yah...
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20190602-00000016-ann-soci
川崎市で小学生らが刺されて2人が死亡し、18人が重軽傷を負った事件から4日が経過した - Yahoo!ニュース(テレビ朝日系(ANN))

まだ2001年の6月に起こった、宅間守による池田小事件の影響があらわれていると思われます。

ただ、意外と「死刑になりたいから」「死に場所を探して」事件を起こすケースって少ないのではないでしょうか?

よく比較される、秋葉原通り魔事件でも、女性関係の希薄さや、非正規で雇用され続ける加藤被告の身辺状況に、同じように「一人で死ねばいい」という意見も出る一方で、社会的マイノリティに何か救いはないかと、不特定多数で集まって、議論するという機会が生まれてました。

被害者の遺族でさえも、「このような人を出さないようにするためには、どうすればいいか」とお応えになっている姿をニュースで見ました。

しかし、後に世に出た加藤自らが、語った事件の動機については、ネットの掲示板のなりすましで、自分のアイデンティティが確立されなかったことによるいら立ちが、主たる要因と語っています。

今回の犯人岩崎も、犯行前に事前に場所とターゲットを下見していたことや、包丁を複数所持していたことから、愉快的犯行、自殺よりも他殺を主とした目的という可能性が高く、精神的な疾患や、テロに酔っている側面があったことは推察されます。

彼が最終的に自殺したことで、第三者であってもやり場のない怒り、義憤が生まれ、そのような受け皿に結果としてなったのが

「一人で死にたいなら勝手に死んでくれ」

という主張だったのでしょう。

これに反論すると、一部では即座に

「なら、被害者に面と向かっていえるのか?」

というのもまさにテンプレ。ただ、秋葉原事件のケースであったように、すべての被害者が、そのような怒りに駆られているのかという断定も性急な話ではないでしょうか。

引きこもり、社会から孤立している人への影響ですが、現代では、誰しもがパソコンやスマホで、ネット情報を収集しやすく、他人の価値観に振れやすくなっています。

僕も、ニートの時期がありましたが、働いている時期よりもはるかにまとめサイトやSNSで人の価値観にふれる期間が長かったです。

もし、このような報道で傷心するなら、気にはなるでしょうが、ネットやSNSの言論から一時的に離れて風化するのを待つしかないですね。

この議論は、答えがないですから賛成派も反対派も弾圧できないでしょう。感情が高まっているだけに、早急な沈下も望めないでしょうし。

いま求められるのは、加害者の闇やゲームやTVを所有しているのかどうかというどうでもいい共通点探しではなく、被害者遺族や重症によって、PTSDを患った関係者へのケアであるべきでしょう。

そこから将来的に、コストがかかっても民間の警備会社に委託するか、バス内に防犯グッズを整備するか、自宅の前に向かうようなシステムを作るべきかを考えなければならないでしょう。

それでもまだ、マスコミがこの「一人で死ねばいい」という、考えようによっては事件の本質やその後のケアも無視した内容を延長して報道するということは、やはり少数の事件当事者や、関係者ではなく、大多数の第三者のためにニュースは存在しているんだなと痛感させられる瞬間でもありました。

(恐怖はもっとも簡単に人々をコントロールすることができる)

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