映画「ジョーカー」 微ネタバレレビュー ジョーカーの過去を現代最高の俳優ホアキン・フェニックスが演じる

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
スポンサーリンク

バットマンのみならず、DCコミック、アメコミの悪役として最も知られ、恐れられている悪役の一人、ジョーカーの過去を描きながら、男がジョーカーに変貌するまでを描いた作品。
ジョーカーの謎に包まれた過去を現代の解釈で紐解く。

2019年10月4日公開の「ジョーカー」を鑑賞した。

人生で初めて、映画の予告編を見ただけで、鳥肌が立ち、映画公開初日に有休をとって見に行ったのは初めてだった。

公開前から評論家はじめ期待されていた作品だけあって、平日の真昼間の2400円のIMAXに7割近くの客がつめかけていた。

おそらく、当日つめかけた観客の中には、僕と同じようにVFXを駆使して、大量に生産されているアメコミ映画が覇権を握っている現代に不満を感じている人もいたのではないだろうか?

DCコミックスはアメコミヒーローの先駆者であるが、近年はマーベルに後塵を拝している。そして、マーベルの後を追いかけるようにブロックバスター映画を製作している。

映画を見るというのは人の人生を疑似体験することであり、ドラマこそが至上であり、特殊効果というのは、主たるものではない。

ジョーカーの舞台は70年代後半から80年代と監督のトッド・フィリップスは語っている。

どの施設でもタバコが吸えて、地下鉄はごみが散らかっていて、電話も固定電話のみの通話で完結している。

これまで、漫画でも何度かジョーカーの生誕秘話や彼のパーソナリティついて取り扱ったものがある。本作もジョーカーがなぜ生まれたのか?という問いに答える作品だが、数々の社会問題を部分的に取り上げている点にも注目したい。

原作「バットマン」のゴッサムシティのモチーフはニューヨークといわれており、犯罪の温床として取り上げられているが、時代設定もあって「ジョーカー」のゴッサムでは清掃員のストライキの報道からはじまり、確固たる貧富の差が存在することがアナウンスされている。

そして、現時点で2019年最高の作品の一つであるという評価はゆるがない。ほかに鑑賞した映画のレビューものせているので、よければどうぞ。

スポンサーリンク

あらすじ ジョーカーの過去と謎

ジョーカーとなる主人公のアーサー・フレックは、母とともにアパートで貧しく生活している。昼はピエロに変装して、広告塔になっているが不況で仕事もあまりまわらない。

彼は、善人でありたい、母を大切にしたいという好青年であるが

突然笑いがとまらなくなる

という障害を持っている。これは冒頭では「脳の障害」といわれているが、のちに彼に起きたある過去の出来事によるトラウマ(PTSD)によって起きたものであることが判明する。

また妄想や自己愛傾向が強く、前述の障害とあいまって、精神病棟(らしきところ)に収監された過去もあり、セラピストと定期的にカウンセリングと薬を過剰に摂取している。その影響か、食事をとることが全くなく、不健康なほどにやせ衰えている。

このようにアーサーは、「貧しい」「狂っている」「過去にトラウマを抱えている」という複合的かつネガティブな社会のマイノリティに属している。

過去のバットマンシリーズでもペンギンやトゥーフェイスは、差別や貧困によりヴィランになっており、バットマンにおけるヴィランは「社会から迫害されたもの」という意味が強い。

能力もなく、大きなハンディキャップを抱えながらも、社会で成功したい、人に認められたいと思いながら、結局社会や外部の目、「普通」というものに跳ね返されるという悲哀は、引用されているチャップリン映画や、70年代の「アメリカンニューシネマ」の登場人物たちと重ねずにはいられない。

実は、僕も人よりかなり変な笑い方をする。まさしくピエロのように高笑いをするような感じだ。キャハハハハハみたいに。親からも「時々、変な笑い方するね」といわれるほど。

それが原因で、いじめが過熱した過去もあり、人前で笑うことに恐怖を感じていたこともあった。だから学生時代は「ははは」と乾いた感情の全くない愛想笑いを連発していた。正直冷めた人間だな~と思われていたと思う。

そういうパーソナルな過去もあって、「ジョーカー」という作品を見て、殺人衝動に駆られることはないが、やるせない気持ちがふつふつと育ってしまう・・・

ジョーカーに成るカタルシスはなく、あくまでアーサーが生身で生き続けている作品という怖さ

この映画は非常に怖い。

上映前に

アーサーはすごいいいやつだが、いろんな障害を受けて、ジョーカーに変貌する

という見立てで見に行った。彼が僕らが知るジョーカーの姿になって登場するのはラスト30分とかなり遅い。

しかし、ジョーカーに変貌してからも変貌する前も「アーサー」のままなのだ。それが怖いのだ。

アーサーは過去の人で、ジョーカーは別人格ではない。

ジョーカーといえば故ヒース・レジャーがダークナイトで見せた甲高い声が記憶に新しい。ホアキン・フェニックスも芸達者な俳優で、劇中に甲高い声を披露している。しかし、あえてジョーカーになってもアーサーの地声で演じている。

アーサーは、犯罪者としての称号しての「ジョーカー」ではなく、あくまで芸名としてジョーカーを使っている。

よくあるジョーカーが生まれた理由として、酸に突っ込んでしまって真っ白になって、髪も緑になった・・・だが、本作は彼が仕事でやっているピエロペイントを応用して自らジョーカーになっている。

今までのジョーカーのように事故からジョーカーになって普通の人間が狂ってしまうのではなく、ある程度精神に異常があった男が、自発的に犯罪をする、人を殺すことを決心してジョーカーになっているのだから、恐ろしくて当然なのだ。

それを示すシーンとして、日常生活でも首筋にドーランが常に残っていたり、ジョーカーでも見せたダンスを披露している。

もしこれが「俺は狂っちまったぜ」とか「ジョーカー参上!!」ってテンションで変わってしまったら、「あぁあいつは違うやつなんだな」って境界線をはってみていたと思う。

そして、ジョーカーになった彼は、気の利いたジョークを一切言わないし、ジョーカーになった時に世間体を気にする必要もないのか、笑ってしまう障害もなくなっている。

彼がクライマックスに世間に向けて、ある独白を行うシーンもある。物語を追い続けた私たちは、彼の独白が混じりけのない本物であることがわかるが、ピエロ扮装した男の虚言で、周りの反応は「こいつ頭おかしいんじゃないのか?」というもの。

彼がジョーカーとして起こす犯罪は、貧困者が富裕層へのカウンターとして祭り上げられ、犯罪の温床になる。

皮肉なことに、彼は貧困やマイノリティの象徴として祭り上げられるほどに、アーサーの境遇を理解したり、寄り添う隣人は離れていってしまう。

もし、彼がジョーカーとして犯罪業に謳歌して、ハーレー・クインなど仲間ができて、人生に快楽を感じているのであれば、倫理的には問題であるが、それも救いの一つである。よくある「犯罪にしかよりどころがなかった」という終わり方だ。

しかし、どのような生き方をしてもアーサーに救いはない。人を殺しても、ピエロに扮しても、貧困の象徴になったとしても。

そもそも、フィクションのキャラにしても「こうしたら救われたのでは?」と無理やり、救いや解決策を求めることがナンセンスなのでは・・・僕らは目の前に降りかかる現実に向き合わざるを得ないのかもしれない。

映画を鑑賞できる時間的余裕と、IMAXも含めた2400円という金額を払えるということ、この映画を見に行ける時点で、「ジョーカー」に描かれている貧困層とは違う視点になっているということを自覚しないといけない・・・

ジャック・ニコルソンのジョーカーは狂喜

ヒース・レジャーのジョーカーは狂気

ホアキン・フェニックスのジョーカーは本気

だと僕は思う。

本作は見るたびに新しい発見があるだろう。

階段からぎこちなく歩く描写が、自分を殺しながら世間にフィットしていくという表現であり、ダンスしながら階段を下りていく描写が、文字通り「悪に堕ちる」、自由に生きるという表現だったり

こういった対照的な描写も頻繁に挿入されている。しかし、メタファーによる自己満足映画ではなく、効果的にメタファーを用いながら、社会問題がどうであるかという点は明瞭にセリフで解説している。

個人的にVFX満載のアメコミ映画とは違った尺度で、映画の世界にどっぷりとつかれる作品だ。

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。