八王子の中2いじめ自殺について いじめられっ子の自傷、なぜいじめは正当化される、自殺を防止する考え方をまとめる

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4日前、東京の八王子で中学2年の女子が、電車に飛び込み自殺を図ったという痛ましい報道が流れました。

自殺の原因は、部活の上級生にラインで部活を休んだことをとがめられたということでした。ラインで「死ね」などの誹謗中傷や、現実でも無視され続けたとのことです。

学校が問い詰めた時に、自殺した女子は、「謝ってもらったので大丈夫です」と答え、それ以上の追求はしなかった。

女子は、転校するも、転校後もラインでのいじめは続いたといわれています。

僕は、学生時代にいじめられた経験もありますし、グループを組んで、陰口をたたくといういじめを行ってしまったこともあります。その来歴は記事の最後にまとめています。この手のいじめについて、意見をする場合は、自分がどのような経歴を辿ったかを書く必要があると考えたからです。

そのため、偉そうなことはいえませんが、いじめられた後のトラウマの処理の難しさや、逆にグループを組んでいじめることの安心感さえも知っています。

今回は、そういった経験を軽くまとめながらも、いじめられた後の辛さや、いじめから自殺に結び付けないための自己体験に基づく、セルフコントロールをいろいろ書いていきたいと思います。

どちらかといえば、現在進行でいじめられている人、いじめている人よりも、そこから抜けたけどまだ苦しいという人に対する記事になるかもしれませんが、ご了承ください。

いじめが終わった後も、自分で心を自傷し続ける

いじめを受けた場合、識者の中には

  • 不登校したってかまわない
  • いますぐその場所から離れて、環境を変えた方がいい

という考えがあります。これは的を射ています。評論家の宇野常寛さんが言われるように、定期的にクラス替えをするのも一つの手でしょう。

しかしながら、転校したとしても不登校したとしても、いじめを受けたという自覚が本人にあればPTSD(心的外傷後ストレス障害)として、残り続けます。

僕も、いじめを受け手からしばらくは、声がろくに出なかったし、夢で何度もいじめられる光景がフラッシュバックしました。動悸でその場を動けないこともありました。

ましてや、いじめを理由に不登校、部活をやめる、転校した場合

「私が不登校しているのは、いじめが原因だ」

といういじめによって、自己嫌悪に陥る思考回路ができてしまいます。

自殺というのは「自分を殺す」という意味ですが、いじめが終わったとしても、いじめられっ子はしばらくの間、自分をいじめ続けます。

残念ながら、僕がその後誰かをいじめてしまったように、いじめを受けてしまうと優しい気持ちになるのではなく

「どうすれば、効率よく人の心を傷つけることができるか?」

を体得できるようになります。

意識していなくても「あなたはどうして、そう簡単に人の傷つくことがいえるの?」と諭されたことがあります。

そして、心の中でやろうと思えば、いじめられたときの苦痛や悲しみをいくらでも再現できてしまいます。

その期間は、時や周りのサポート、そして自分が自分をいじめてしまっているという自覚がなければ、なかなか解脱できないと思われます。

これは、見えない自傷です。自分のトラウマで自傷することを辞めない限りは、いじめと自殺の因果関係を切ることは難しいです。

いじめの理由は、正当化され、強化されていく

今回のケースであてはめると

「大事な部活があるのに、家族旅行で休んだから許さない」

(いじめっ子の中には、いじめは悪いことではなく、罰や教育という考えにのとって行われる種類もある)

こういう理由は、部活や学校に限らず、社会人になっても

「あいつは、みんなと足並みをそろえて仕事出来ない」

「大事な飲み会を自分の理由で休み続ける」

小さな共同体や、村社会に依存しているような形で、続いています。

僕がいじめてしまった相手も

「自分は叱られたのに、あいつだけお咎めなしか」

というのが発端でした。一つ間違えれば、その陰口で相手を自殺に追いやっていたかもしれません。これは、相手に赦されたとしても消えない罪です。

これも残念なことにやっている間は

「あいつは○○したから、これだけいっても正当化される」

と自分の中で、ゴーサインと出してしまいます。周りが「そうだな」「そうに違いない」といえば、行動に対する正当化がより強化されてしまいます。

首謀者である上級生は、「部活を休んだことを楽しそうに語ったことは、規律違反で許されない」と思ったでしょうし、仲良くしていた同級生も、「上級生がそう決めたから正しいこと」と行動し、それを見た上級生は、より正当化への強化を行ったものと考えられます。

いじめられている本人は、「苦しい」「やめてほしい」と表立って言えない人が多いので、この正当化の強化は日に日に止まりどころを失って、エスカレートしていきます。

僕が、いじめてしまったことに気づいたのも、いじめていた渦中ではなく、ふと電車に乗って

「つらいいじめにあったな・・・でも解放された。いやまてよ・・・おれはあいつをいじめてしまったかも」

という振り返りでようやく気付きました・・・愚かなことですが。

いじめによる自殺を防ぐためのセルフコントロール

これは発展途上です。なぜなら僕にいじめのトラウマがよみがえって、自殺する可能性を否定できないからです。

以上の経験をした僕の経験からいえる防衛手段をいくつか取り上げます。

あくまで、僕の考えで、個人的な感想であることを前提に読んでもらえると幸いです。

とりあえず生きている状況を自分で、ほめたたえる

いじめの渦中にあったときは、とにかく週末にゲーム屋へいって、安くてもいいからジャンク品の中古ソフトを買ったり、生き続けるようにコントロールするように、好きなドラマやアニメをあえてつくっていました。

誕生日にとても喜ぶ人はいますが、いじめにあっているときは、「毎日新しい一日をむかえることが自分にとってのギネス記録だ」と言い聞かせてました。

自分がいじめの最大の理解者で、自分だけを幸せにすることだけを考えればいい

僕は容姿について、徹底的に同性からいじめられたので、異性で誰かひとり好きになってくれる人がいれば、癒されると思いました。

そんなこと当然ありませんでした。

容姿はもともと悪く、いじめによって心が悲観的でひん曲がっているので、誰も相手にされません。

そうなると「やっぱり容姿でいじめられたことは正しかったんだ」となんと自分でいじめられたことを正当化し始めました。

仮に万が一で、彼女ができたとして自分がいじめられたトラウマの代償になってもらうというエゴな関係しか築けないと思います。

自分がどれだけいじめられ、傷つけられたかを認知しているのは、親でも教師でも、ましてやこれから会う他人でもなく自分だけです。

テレビで有名人のいじめられ体験が流されて、「それでも今僕は活躍しています」と結論付けて、勇気づけようとしていますが、あれ完全に逆効果です。

いじめられっ子は自分のいじめ体験がどれだけ壮絶化を語り合い、相手の方が壮絶だと「自分のトラウマや体験はたいしたことないんだ」と悲観的になります。

僕がいじめられたときに、よくいじめられのドキュメンタリーが放映されていましたけど

「いじめられた体験が金や地位に結びつかないといじめられ損なんだな」

と思うようになっていました。

いじめが終わってから、自分を精神的なリストカットに追い込むことを認知して、自分を自分でカウンセリングする、傷を修復することに勤めることを自覚するだけでも物の考えは変わると思います。

自殺後の世界をシミュレーションする

僕は、いじめにあっているときは

相手の家を滅茶苦茶にする、相手の家族を滅茶苦茶にする妄想

滅茶苦茶の詳細は割愛するとして、よくあるいじめられっ子の妄想を繰り返していました。

しかし、一番やっていたのは、

「自殺したらどうなるか」というシミュレーションです。

「当人にそんな余裕あるわけないだろ?」

と指摘する人もいそうですが、いじめられている期間だって、ご飯は食べるし、ネットはみるし、睡眠はするし、笑うことだってあります。

家族は当然悲しむでしょう。自殺の方法によっては、報道でとりあげてもらえるかも?

やはり、一番考えるのは、いじめた相手がどういう状況に追い込まれるかです。

  • まぁ、いじめを罪として捕まえられないでしょう。
  • 家族が転居を余儀なくされるほどの世間体が悪くなることはないでしょう
  • 僕のいじめ程度なら加害者はネットで特定されないでしょう

葬式やお通夜、ニュースで報道された瞬間は、いじめた首謀者は涙をみせたり、懺悔することはあるでしょう。

でもその後の人生、仕事につくだろうし、伴侶とであって幸せな家庭を築くかもしれませんね。テレビでゲラゲラと笑っている姿も想像できます。

そう思うと悔しい。自分が得られるはずだった幸せをこんな奴らのために棒に振るのか。

金を稼ぐなら自分が稼ぎたい、人に認められるなら自分が認められたい

そう思うようになったのも、冷静に自殺シミュレートして考えたからだと思います。

この3つはいずれも精神論っぽい考え方です。根性論的かもしれません。所詮テクニックな考えなので、「根本解決に至らない」と言われてもそれは致し方ないところです。

これからも、いじめについて思うことがあれば、下記のようなある種語る資格のない立場ですが、両方経験したことがないコメンテーターが発現するよりは、中身のある経験が書けると思います。

いじめ来歴

学生時代1年間にわたっていじめを受ける

容姿をけなされる、青あざを定期的に作られる暴力を受ける

不登校を考えるが、親に高い学費を払わせているという負い目でなかなか告げられず

カツアゲされそうになったので、親経由で教師に告白する。教師は迅速に対応してくれた

その後もいじめは続いたが、「こいつはチクるぞ」と言われ、エスカレートは免れた

いじめが終わった後も、自分に自信は持てず、5年以上にわたって、定期的に学生時代の夢、いじめられる夢を見続けていた。

学生時代に1年間にわたっていじめをしてしまう

いじめを受け手から数年後

仲間外れにする、相手の友達を奪う、グループになって陰口を言うなどのいじめを行う

その後、大学になって、知り合いのつてで、本人にメールで謝罪はするも、その後のメールを無視され「まだ許してくれないの?」と送ると「あんなことで許してもらおうと思うなよ」と言われた。

同じ友人から

「俺たちがまた連絡することで、いじめられた記憶を掘り返してしまったんじゃないか?」

「俺たちは、いじめたという十字架を背負いながら生きていくしかないな」

まさにその通りだと感じた

大学に入ってからは、いじめられたトラウマの脱却といじめてしまったことへの贖罪も込めて

電話相談のボランティア

学外活動で、引きこもりの青年の話を家にはいって聞く

という活動を行っていた

臨床心理も目指したが、自分と同じような境遇の子供への問題に入り込んでしまうという欠点を見つけ、断念・・ただあらゆる自信がまだ喪失していた状態。これは自分の責任

時が流れ、いじめのあらゆる記憶は薄れていっているが

いじめられたというトラウマで保護しようとすると、「でもお前、いじめもしたような」と自分を攻撃し

逆にいじめをしたという後悔が現れると「あの時、いじめられていたのだから仕方ない」と悪魔のささやきのように正当化しようとする自分が現れた

現在に至る

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