デス・ストランディング クリア後ネタバレなしレビュー 運ぶ、ムービー、オンライン

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ゲーム歴20年以上の筆者が、11月8日に発売された小島秀夫監督最新作の「デス・ストランディング」をクリアしました。クリア時間は43時間ほどです。まだネットの賛否両論を見て、購入を決めかねているPS4ユーザーが多いので、ネタバレを極力回避しながら、デス・ストランディングがどのような作品であるかをまとめていきます。

別の機会にストーリー評価を書こうと思いますが、デス・ストランディングのプレイフィールの感想は

「面白いと思える瞬間とつまらないと思う瞬間」が極端に分かれるゲームです。

デス・ストランディングを絶賛するプレイヤーは、その面白い瞬間を強調して取り上げ、逆に酷評するプレイヤーは、その逆の行為をすることで、ネット上における賛否両論の嵐が、巻き起こっているのです。

今回は、デス・ストランディングの根幹をなす

  1. 運ぶというゲームシステムとオープンワールド
  2. 非同期のオンラインシステム
  3. ムービーゲーム

この3点を軸に、それぞれの長所と短所を私なりの実体験を交えて解説していきます。

純粋なゲームプレイの感想は、第一印象や、途中経過のレビューの方が、詳しく記載しており、下記のレビューだけでも、購入の材料にはなるでしょう。

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「運ぶ」ことへのストレスをうまく与えている箇所と、与えすぎている箇所が激しく分かれる

デス・ストランディングはクリア時間に最低40時間ほど要する作品のため、密度の濃さという点ではやや評価が難しいところがあります。

配達拠点が密集していれば、自分なりの配達スケジュールを組んで、スケジュール通りにこなせた時の爽快感は大きいです。

前回の記事で記載したように、エピソード3の「フラジャイル」は、できることが増え、移動できる範囲も増えたことで、オープンワールドゲームとしてのデス・ストランディングの快感は十分に楽しめる内容でした。

一方で、中盤以降になると拠点の距離が非常に離れており、サブミッションで各拠点の親密度を上げようというモチベーションが維持できなくなります。

特にエピソード5以降は雪山での移動が増えます。

常に鈍足で、スタミナの維持が難しく、アイテムを劣化させる時雨が常に降り続けています。

さらに、プレイヤーが非常に頼りにしていた「あるシステム」が使えなくなるのですが、この「あるシステム」が使えなくなることで、ステルスゲームとしての面白さが一時的に死ぬことになりました。

ただ、やみくもにしゃがんで歩くだけ・・・という非常に退屈な時間を過ごすことになったからです。

デスストランディング 雪山 つまらない

傾斜も多く、スタミナを消耗しながら進むことになります

加えて、カイラル通信が整っていない地域を往復するという、時間を要するミッションも存在します。

同じような平地の配達こそマンネリを招くので、歩行が困難な雪山で、さらに悪条件をつけることで、ゲームの難易度と乗り越えた時の達成感をプレイヤーに与えたかったのでしょう。

ただ、私は「退屈」に感じるところも多く、これがもし、小島監督作品でなければ途中で投げ出していた可能性もありました。

準備を怠ってしまうと、後戻りが難しい場合もあります

プレイ中は、音楽も流れますがYOUTUBEでラジオを聴きながらプレイしつづけなければ、プレイを継続することは難しかったでしょう。

物語の終盤、最後の配達は、「マジかよ・・・」と声を出してしまいました。

合間の銃撃戦や、アクションシーンを楽しく感じさせるために、配送のパートは困難だったり、根気を要するものになっています。

銃撃戦が面白いと感じてしまうと、本作のコンセプトがやや崩れるかも・・・・

最近のオープンワールドゲームのように、過度に空を飛べたり、戦闘力が高い主人公に設定しまうと、プレイヤーの飽きも早い。

私が、2019年ベストゲームにあげる「SEKIRO」も主人公が10回攻撃を受けても死ななかったり、逆に攻撃力が強すぎたら、強敵を倒す快感がなく味気ない作品として、記憶に残らないでしょう。

スマブラの生みの親であるゲームディレクターの桜井政博氏は常に、ゲームプレイにおける「抑圧と解放」の重要性を書籍で話されていました。

デス・ストランディングはこの「抑圧と解放」が非常にはまっている箇所と、抑圧がほかのゲームに比べて長すぎると思ってしまう箇所が極端に分かれているように見受けられました。

オンライン非同期システムは、空虚な世界に想像力を与えてくれる

デス・ストランディングのアイデンティティといえる

オンラインによる非同期システムは、非常に素晴らしいと、手放しで絶賛できるものです。

序盤、例えばA地点からB地点に配送して、またA地点で依頼を受ける場合は、A地点とB地点がカイラル通信でつながっています。

行きの道は、自力で進む必要がある困難な道のりになりますが、帰りになるとほかのプレイヤーが建設した橋や、立てた梯子を使って、ショートカットできるようになります。

最初は、単に「便利になったな~」「ありがたいな~」という表面的な手助けへの感謝しかありませんでした。

しかし、物語が中盤以降になっていろいろな場所にカイラル通信がつながっていくと、乗り捨てられたトラックから

「この先の道は険しいから、ここで捨てたんだな・・・いや、あえてここでトラックを置くことで僕を助けようとしてくれているのかな?」

中途半端にかけられた梯子から

「ただの嫌がらせかな?いや梯子の数が足りなかったから、別のプレイヤーに託そうとしたのかな?」

ゲーム上では、「橋」「トラック」「梯子」といった記号としてのオブジェクトですが、人為的に建てられたものだからこそ、そこに建てられた経緯やストーリーがあります。

そのストーリーが、デス・ストランディングの一見して、殺風景ともいえる世界観に、想像力と世界観の深みを与えてくれます。

デスストランディング オンライン トラック

親切であえておいてくれているのか、それとも挫折して乗り捨てたのか・・・

デス・ストランディングにおける非同期のオンラインシステムは、すべてにおいて便利に、有利に、働くものではありません。

時として、邪魔なオブジェクトもありますし、不適切な箇所にアイコンが置かれていることもあります。

その無駄や、邪魔な要素にすらなるから、遊びの幅が広がったといえます。

ただ、このオンラインの非同期システムについて、考察的で哲学的なレビューになってしまったように、オンラインシステムの感動や面白さも運搬同様に中盤以降は、当たり前の存在として受け入れてしまうため、新鮮味や感動は薄れてしまいます。

ムービーは世界も個人も濃厚に語りすぎて、「授業」と思える箇所が多い

ストーリーではなく、「ムービー」についても言及しましょう。ムービーへの評価は個人差がありますが、全体を通して振り返ると「素晴らしい」よりも「退屈」と感じる時間が長かったのが、本心です。

小島秀夫監督、小島プロダクションの作品は、メタルギアソリッド4を筆頭に、「ムービーゲー」といわれ、ゲームプレイにおけるムービーパート(カットできないイベントシーン)の占める割合が、長いことで有名です。

デス・ストランディングに関しては、序盤は用語や世界観の説明においてムービーをかなり詰め込んでおり、終盤はこれまでの世界の成り立ちから、黒幕が何を意図して行動していたかの説明をするためのムービーがつめこまれます。

デスストランディング マリオ ピーチ

こういうジョークもありますけどね

特に終盤は、とある場所でサムがある人物から、世界の成り立ちからこれから世界がどうなっていくかを

歩く→体育座りして聞く→歩く→体育座りして聞く

を何度も繰り返します・・・私はこれを「授業」と呼んでいます。

デス・ストランディングは、ママー、デッドマン、ダイハードマン、ハートマンとそれぞれのあだ名がなぜつけられたか?というキャラクター個々のエピソードを深堀すると同時に、世界の謎も同時にムービーにて説明されます。

そのため、普通のゲームの2~3倍ほど読解力や、想像を働かせる必要があります。

作業をメインとする運搬と、読解を必要とするムービーは、社会人ゲーマーにとって「親切」であるとはいいがたいでしょう。

後に、小説が発売されるということなので、クリア後は間髪入れずに注文しました。小説のレビューも追って行う予定ですので、お楽しみに。

終盤は1時間ゲームを遊んでいるとすれば、半分ぐらいがムービーシーンといっても過言ではありません。

また、MGSVのように、今までプレイヤーが見たムービーシーンを別角度で再現して、隠された真実が判明するという仕掛けもあります。

ムービーシーンをすべてカットすれば、実質的なプレイ時間は30~35時間になるでしょう。

デス・ストランディングは楽しいだけでも、面白いだけでも、腹が立つだけでも、つまらないだけのゲームではない

デス・ストランディングを振り返ると、ここまでプレイ中に

「楽しい!!」「つまらない」

「新しい」「ありふれている」

「感動する」「腹が立つ」

相反する感情が入り乱れた作品はないと思います。当然、ゲームは娯楽なので、プレイ中ずっと楽しいと思える作品が、理想だと思います。

しかしながら、アニメや映画と違って、時間のみならず五感までも長期間拘束するコンテンツだからこそ、様々な感情を湧き立たせるメディアであることがゲームの可能性や、没入感を広げてくれる要因なのだと気づかされました。

もし、数年後に小島監督と小島プロダクションによる最新作が発売されたとしたら、僕は迷わず

「発売日に購入する」という選択肢を取るでしょう。

デス・ストランディングはむしろレトロゲームである

デス・ストランディングは体験したことのない新しいゲームだと絶賛する声があります。僕も本作は好意的な感情を持っていますが、新しいゲームだから評価しているのではなく、むしろその逆です。

デス・ストランディングは、物をA地点からB地点へ運ぶ。ということを繰り返す作品です。

物を運ぶ過程には、重い荷物によってバランスが崩れるという前提から、山岳地帯や川すらも主人公の脅威として立ちはだかったり、主人公を邪魔する敵が配置され、ステルスとアクション性の高いゲームを両立しています。

もっと簡潔に表現すると

脅威から逃げたり、障害物を回避しながら目的地へ進んでいくゲームといえます。

「これがなぜか面白い」と一様に声をそろえるのはなぜか?

面白い理由は、デス・ストランディングが全く体験したことのない新しいゲームだからではなく、昔遊んだゲームに近いレトロで、原始的なゲームだから面白いという、逆説的な結論に至りました。

ファミコン時代の1980年代後半のレトロゲームが、「スーパーマリオブラザーズ」を筆頭に、左から右へ敵をかわしながら、目的地に進むゲームが主流でした。

クリボーやノコノコを倒すことは、マリオの能力値を上げるわけではなく、スコアを上げるというだけで、明確なメリットはありません。それどこからジャンプで踏みに行くという行為は、ダメージを受けるリスクと表裏一体なのです。

クッパに対しても、現在の「マリオオデッセイ」とは異なり、ステージの橋まで行って仕掛けを作動させて倒すのが、基本です。

「スーパーマリオブラザーズ」はタイミングよくジャンプしたり、火の玉を避けることで、操作の上達やゲームに慣れていく快感を得ていくゲームでした。

さらに言えば、「パックマン」なども、敵をかわしながらアイテムを取っていくというゲーム性です。
脅威から逃げたり、障害物を回避するだけで、ゲーム性として十分に成り立つものができます。それどころか、複雑化している現代のゲームにおいて、デス・ストランディングはレトロゲームの魅力を再定義したともいえます。

運ぶことばかりが注目されがちですが、様々なジャンルのゲームが複合している総合コンテンツといえます

1987年の「メタルギア」からゲームを作り続けた、小島秀夫監督にしかできないアプローチといっても過言ではないでしょう。

そして、初代PSとホラーゲームの代表作といえるカプコンの「バイオハザード」や、小島監督の代表作である「メタルギアソリッド」も、敵を倒すことを目的としているわけではなく、敵をかわしながら、物語の謎を解明しながら、ストーリーを読み解く面白さがあります。

合間に、贅沢なシューティングアクションが挿入される点も、バイオやメタルギアと同じようなプレイフィールといえます。

デス・ストランディングは、実は複雑なゲームではなく、複雑になったシステムやゲームプレイをリセットして、「ゲームというメディアが登場した時代に、プレイヤーから遊ばれたゲームは何か?」を研ぎ澄まして、作成された作品ではないか?と僕は考えています。

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