園子温×長谷川博己=ラブ&ピース 何が人形や命を忘れなくしているのか?

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園子温×長谷川博己の本格的タッグといえるラブ&ピース。「地獄でなぜ悪い」以上に園の個性や人間性が活かされた作品。

ファンの間ではエロ&グロを封印した園が「子供向け」を意識して作った作品ということで注目が集まった。
そういう意味で異色な作品ではあるが、園フィルムらしく点で見ても印象的なシーンもあり、序盤とラストへ綺麗に繋がっていく流れは美しい。 これまでの作品も複雑な要素というのは実は少なく、シンプルなメッセージやテーマ性の明瞭さが園子温の武器でもあった。

ストーリーはミュージシャンを目指したがすぐに断念して楽器部品の中小企業に入った鈴木が、会社でいじめられながらもミュージシャンを目指したいという儚い夢を持ちながら生きているという話。
いじめに耐えながらひたすら音楽を考え、企業に自分を売り込んでいくというひたむきな努力ではなく、半ば人生を諦め、今の会社で生涯を終えようと、しかし自分が徹底的にダメ人間であるという自覚は強く、ニュースのコメンテイターに罵倒されたり、周りのちょっとした冷やかしが自分の人間性を否定するように感じるという極度の被害妄想の持ち主である。

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(どのような境遇にあって人はまるで自分が何者から話題にされていそうという恐怖心をもって生きているのかもしれない)

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(終始眉間にしわを寄せ、どもり、無精ひげがあって白髪も目立つ)

この鈴木のダメ人間描写はものの15分程度であり、長谷川博己の誇張気味な演技がやや鼻につくものの、自分が集めた薬やタバコの箱を中途半端に残して、それで遊んでいたり、誰も遊ぶ相手がいないにも関わらず人生ゲームを所持していたり、ひたすら孤独で一人遊びにふけっていた、でもなんとか充実している人生を送っていそうだなという想像力を彼の部屋や表情からかぎ取ることができる。

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(右はしにゲートのように積みかねたタバコのPEACEとHOPE。このように鈴木はこういう遊びをしつつも買ったものは大切にしている模様)

彼は休憩中にたまたま出会った亀を購入し、ニュース映像から「ピカドン」(原爆)と命名。ちなみに僕はこの名称をはだしのゲンで知ることになった。
会社に持ち込むほどピカドンを愛していたが、それが社内で発覚し亀を持っている自分が罵倒されていることにおびえて、トイレに亀を流し込んでしまう。流した瞬間に自分の愚かさに気づくのだが、人から言われた嘲笑をすぐに真に受けて取り返しのつかないことをしてしまうまさに駄目さ加減がまるで自分を見ているかのようで生々しい。(極度の腹痛もちっていうのもなんだか……)

子供向けということもあり、長谷川博己の演技力を開拓することもあり、鈴木の序盤は何度も言うが誇張されたものになっているが、40代まで映画監督してまったく花開かなかった園らしい見返すほどに生々しいダメさが描写されているのがたまらない。

鈴木が捨てたピカドンのいきついた先は下水道のサンタが捨てたられた人形やペットをかくまっている特別な場所で、サンタ扮する西田敏行に願いを叶える飴を間違って食べさせられる。願いの多さによって飴を食べた対象者の姿を大きくしていく仕様らしく、鈴木の成功を願うピカドンは鈴木の夢の分だけ肥大化していく。

その後、鈴木はDQNバンドに拉致され、そこで無理やりギターを持ってうたわされ、忘れられないピカドンへの想いを熱唱。たまたま出くわした大手音楽会社に拾われ、DQNバンドとともにバンドを結成する。

会社の社長は「ピカドン!!お前を忘れない」という東京オリンピックにふける現代人への反抗心による歌詞を買ったが、マネージャーにより簡単に「ラブ&ピース」と改変されてしまうあたり、大物になった自分が本来やりたかった原液が薄められてしまうという皮肉も感じさせられる。

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鈴木がワイルドリョウとしてスターダムを駆け上がって以降はご想像通り、彼が成功に一気に駆け上がり人間性を失っていく。
リアルタイムで関係性を切り離していく鈴木パートと捨てられたものを拾って再生していくサンタパートの二部構成になっており、この二つは交わることはない。

ありきたりな話だが、少しでも物語を面白くしようと思ったらサンタと鈴木をめぐり合わせて「○○をすれば願いをかなえてやろう、逆に○○をしたら一気に不幸な人生が待っている」というベタなテイストにしてもよかっただろうが、二人を会わせないというところに園監督のこだわりが見えてくる。

サンタパートなくして鈴木パートは成立しないのだが、サンタパートは絵だけでも圧倒的にメッセージ性がある。例えば人形やおもちゃが捨てられ、たとえ言葉を発したとしてもそれはファンタジーの世界でおもちゃの有効期限は一生ではなく飽きられたら捨てられるというサイクルを僕たちは受け入れてしまっている。その捨てられた人形に混じるように本当に生きた犬が何匹も交じることで、「人間は命のある動物を人形と同列に扱って飽きたら捨てる」というメッセージを結果的にふくませている。

もちろん人形にも尊厳があるのだが、人形を簡単に捨てるようになってから人はあまりにも簡単に大切なものを切り離すようになるという警鐘もこもっている。


からこそピカドンは小さくも着実に一歩ずつしっかり歩む動物としての姿と、肥大化してかわいい顔立ちになって人形のようにたたずむ二面性を見せていったのだろう。

残念ながら西田敏行がそれを補うように「物を大切に」というメッセージを何度も上塗りしてしまうため、このパートは結果として怠惰な印象を与えてしまう。
そもそも西田敏行演じるサンタは、長谷川博己の鈴木と異なり僕らがイメージする西田敏行像そのままにえんじているので変化が乏しく面白みも薄い。
トイ・ストーリーでもおもちゃを大切にしようというくどいほどそれを示すようなテーマがあらわれるのだが、やはり印象的なのは悪童シドによって勝手な改造をされたおもちゃがウッディの前にあらわれるシーンだろう。名セリフというものは忘れてしまうが、名シーンというものはすぐに脳内の本棚から取り出せるもの。

「お前を忘れない」とくどいようにデビューソングを連呼する鈴木。そのシーンが繰り返されるごとに彼は若々しく派手な衣装に身を包み、曲調もよりポップに大衆へ迎合した流れになっていく。歌うたびに何か大切な関係を一つ一つ忘れてしまう。

それに乗っかるようにサンタパートでは人形劇や着ぐるみをきてジオラマを破壊していく特撮などCGによって過ぎ去りし技術を再び復活させようと試みている。人形劇のシーンは流れはそのままトイ・ストーリーなのだが本物の人形を扱うことでボロボロになった悲壮感や新品に塗り替えられた時の期待感などがストレートに伝わる。特撮は皮肉にも長谷川博己が一つの代表作となった「シン・ゴジラ」でCGでも迫力あるシーンがゴジラで再現できることが証明されてしまったので、ある意味本作はオーパーツ的な価値が加わったという評価もできなくもない。

正直に言うと初見はあまりにも退屈で、先に端末でネタバレを見てしまったぐらい集中できなかった。ただ振り返ってみると序盤とラストを対比して一つの線につながっていったり、やはりピカドンによる黒歴史公開はくすっと笑えてしまう。部分的には光るシーンも多く、園子温の最高傑作ではないが園ファンなら抑えておきたい内容であることは間違いないのだろう。